放課後美術室で待ってるから
綾瀬 りょう
第1話
「君を描かせてよ」
呆然と立ち尽くす、少年を表現するとすれば絶望という色かもしれない。普段空き教室として使われていないはずの教室で私が絵を描いているとは思わなかったのだろう。
少年は飛び散る硝子の中央に立つ私の姿に驚きながらも、手にはサッカーボールを握っている。一言も発しない少年を私は知っている。高校生という子供から完全に大人に成り代わるこの時の男性をもう「少年」とは呼べないのかもしれない。それでも今の彼の表情は戸惑いを隠せない、幼さの残る少年の面影があった。一目見たときから私の心は少年、彼に囚われていた。ひっそりと物陰に隠れながら私は彼を描いていたりもしていて、同じ学校に通っているというだけでお互いの認識をしていない。私と彼の関係を表すとすればそんな関係だった。
関係を動かす時が来た。私は口元が緩むのを必死で押さえながら彼に話かける。
「手に持っているボールが絵を壊したのは、見れば分かるかな」
「壊すつもりはなかったんだ。ごめん。弁償でも何でもするから」
足元に転がる絵は彫刻をモデルにしたもので、練習用。交換条件を出すまでもなかった。初めに「君を描かせてよ」と言ったのもこの流れを予測してのものだったけど、彼の心は動揺しているためか私の言葉がちゃんと理解できていないみたいだ。教室の窓ガラスを割り、絵まで壊してしまえば慌てない方が可笑しいか。
「何でもするって言ったもんね」
二人だけの教室。彼は私の名前を知らないから逃げようと思えば逃げられたのに、自ら囚われてくれた。証拠はあるから逃げようとしても無駄だけど。
確認するように私は口にする。一歩彼に近づくと彼は手にしていたボールを落とした。
足元にはガラスが散らばったままだったので、ボールは運よく転がらず、その場にとどまっていた。
「絵を壊すつもりは無かったんだ」
「君がモデルになってくれれば問題ないわ」
私は彼に近づきボールを拾い手渡す。私よりも二十センチほど大きな彼の瞳に写るのはガラスの中に立つ私。そして私の目に写るのは困惑している君。
「簡単よ、君を描きたいの」
我が儘は許してくれたおじい様が唯一許してくれなかったのが学校に行くことをサボること。行事もしっかり参加させられた。『その歳でしか味わえないもの』があるから、学校は必ず行きなさいというのが理由らしい。
退屈な毎日に、光をあたえてくれたのは君の存在なんだ。一方的に見つめていただけだからきっと知らない。
「先生にも言わないから、お願い私の絵のモデルになってよ」
私の前に君という色を見せてくれればそれでいいから。学校に来る意味が分からなかったけど君に出会えたことが私にとっての嬉しい誤算。勉強は特別得意じゃないけどめげずに毎日通おうとしていたのは君を描きたいから。
バタバタと足音と話声が聞こえてきた。ガラスが割れる音がして先生達が様子を見に来たのかもしれない。使っていた教室は校庭から死角になるため今逃げれば目撃される可能性は低い。
「明日この教室で待ってる。早く逃げないと先生来ちゃうよ」
私の言葉に正気に戻った彼はボールを持って急いで走り去った。返事はなかったけど、顔見知りになったから、明日来なかったら明後日教室に訪ねていけばいい。入学して数か月、特別クラスで仲の良い友人もいない私が初めて学校に来る楽しみを見つけられた。
バタバタと複数の足音が近づいてきて、勢いよく教室の扉が開いた。
「どうした」
先頭に立っていたのは生徒指導の男の先生はクラスの他の子が怒ると怖いから怒らせたくないと話していたような気がする。後ろには美術部顧問の先生と保険医の先生。
ガラスが散らばる教室の中央で私は優雅に一礼した。
「先生方、どうかされましたか」
心躍る表情を隠さなければ、笑っていては先生の逆鱗に触れる。
元々空き部屋だった部屋を美術部顧問の配慮で私が専用で使える部屋にしてもらっていた。机などを教室の後ろ側に寄せていて、中央で私は絵を描いていた。割れた窓ガラスは一つ。ボールの当たった場所が悪かったのか、綺麗に砕けている。
「小山田、お前がやったのか」
生徒指導の先生は頭を抱えながら教室を見回していた。後ろに居る先生も中野様子が気になるのか生徒指導の先生の間から覗き込んでいる。
「私が割りました」
物を壊した犯人のはずなのに、先生が来た瞬間優雅に挨拶をしたのは失敗だったかなと思いながら私は先生達に連れられて、生徒指導室に連れていかれた。
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