第9話 火事
今日のナイマンの襲撃で内部から情報が漏れていることは確定した。しかも搬入の件は、高将軍、万副官、孫判官、景都都府、荷の送り主の西伊の県令しか知らなかった。
荷を護送している兵達もそれが食料と武器とは知らされていなかったのだ。そこに来て、万副官の行方が知れないとくれば、自然と疑いは万副官に向く。
「荷は奪われたそうですが、死者が出なかったことが不幸中の幸いですね」
東小旗はため息をついた。前回と前々回の襲撃ではナイマンが城門内まで侵入し、景都兵と民に被害が出ている。
三人が傷ついた景都兵の治療を手伝い、宿に戻った時、何やら景都の住人と、店の使用人達の様子が違うように感じた。
高指揮使が、二人の少年との留守を任されていた壁小旗に尋ねた。
「都の中と、この店の使用人たちの様子がおかしいが、何かあったのか?ナイマンの襲撃の件か?」
「その件もあるにはあるんですが……。景都の薬舗が早朝火事になったそうで、焼け跡から店主らしき焼死体が見つかったそうです。何でも、その薬舗では二年前にも不幸があったらしく、都の住人らは騒いでいるらしいのです」
その時は、宇軒はその話を聞いても(そうなのか、その薬舗の店主も可哀想に)としか思わなかった。
しかし、その日の夜、厠に行こうと宇軒が割り当てられた部屋から出ると、厨房から話し声が聞こえた。
「薬舗の催さんも可哀想に。ようやく娘さんの死から立ち直れたと思ったのに、今度は自分がこんな目に遇うなんて」
「それも、これも全て万永福のせいだと言うのに、軍も官吏も何もしてくれないなんて、酷すぎます。娘さんが万に無体な目に遇ったときにせめて真っ当な裁きがあったなら、きっと二人とも死なずに済んだのに」
その話を聞いて、宇軒は択監察御史から聞いた万副官の悪行を思い出した。そして居てもたってもいられず、厨房へと足を踏み入れた。
「すみません。今のお話詳しくお聞かせいただけますか?」
「お客さんは……」
厨房に居た料理人たちは驚いたように宇軒を見た。
「……お客さんに聞かせられるような話じゃないので、お気になさらずに」
一人が取り繕うようにそう笑うと、もう一人が思い出したように言った。
「いや、待て。確か、お客さんはお役人でしたよね!お役人に話を聞いて欲しかったのです」
宿の料理人の話はこうだ。二年半前薬の配達に出ていた催薬舗の娘さんは、道中、万永福に拉致され乱暴された。娘さんは、そのことで心を病んだ。
父親も娘を配達に行かせたことを後悔し、せめて万永福に厳罰を与えて欲しいと軍や都府に掛け合ったが話も聞いてもらえず、万永福に直談判をしても「証拠を出せ」の一点張り。
結局、娘さんは父親が目を離した隙に首を吊って自死し、その衝撃から父親も商いが出来ぬ程体調を崩した。
「半年前ぐらいからようやく商いが出来るぐらいには回復したのに……」
料理人たちは、催親子のことを心から悼んでいた。
翌日、高指揮使は景都の錦衣衛達と万副官の足取りを追いに、壁小旗、東小旗は景都軍に昨日の話を聞きに行くことになった。
宇軒は昨日聞いた催薬舗のことが気になり他の三人に説明して、薬舗があった場所へ行くこととした。
景都にある古くからの薬舗だったというが、都の真ん中にある小さな薬舗だったようだ。最初からなにもなかったかのように全てが焼けてしまっている。周りは小川と林だったため、他には被害はなかったらしい。
宇軒はせめて遺体だけでも娘さんと一緒に埋葬できるよう手配しようと、死体が安置されている都府の安置所へ向かった。
しかし、それは杞憂だった。宇軒より先に、催氏の遠縁にあたるという者が遺体を引き取りに来たらしい。催氏は自分で油を撒いて火を放ったと思われるため、事件性はなくすでに遺体は引き渡された後だった。宇軒は遺体を引き取る親族が居たことに安堵した。
催氏と顔見知りだったという安置所の担当者は朗らかに言った。
「しかし、催薬舗の主人に景都軍に縁者が居るとは知らなかったです。見たことがない人だったので、最近入ったのかなぁ」
宇軒は、宿の料理人達に聞いた催氏の娘の墓に向かった。その墓は、景都の東の外れにある。途中花を買い、先ほどの言葉を道すがら考える。景都軍の通行玉令を持つ催氏の遠縁とはいったい誰なのか?
墓に着くと初老の男性とすれ違った。すれ違いざま香ったのはかすかな薬草の匂いと、油の臭いだった。
墓の中を歩いていると、催氏の墓は見つかった。墓前に供えられた薬草としても使われる花と、真新しく焚かれた線香は今しがた誰かが訪れたことを意味していた。
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