第7話 刺客
四人は兵達に話を聞きながら、甘薯だらけの食事を頂くこととなった。兵達によると、このような食事は日常茶飯事らしい。
食料が少ないのかと聞けば、干魃で食料不足が起こっている割には、民からは多くの食料をもらっている、との言葉が返った。
増兵されたこと、ナイマンの襲撃により他の地域からの食料を奪われていることも一因であるし、屯所では持ち回りの兵が食事を作るため配分が上手くいかない場合が多いのだと、苦笑いされた。
食事のあとは、屯所内の帳簿類を確認することとなった。高指揮使と東小旗は主に武器の記録簿を、宇軒と壁小旗は食料の記録簿を確認した。
宿の主人や兵達の話のとおり、半年前から増兵によりどちらの搬入量も増えているが、同じく使用料も増えている。食料の量については、やはり甘薯の割合が高い。
しかし、宇軒は食料簿を見ていて引っ掛かりを覚えた。料理をしない人間では気づかなかっただろう。生憎、宇軒は一人住まいが長いため一通りの家事はこなす。
甘薯の量は多いが、食料の全体量に対して二十分の一程に過ぎない。いくら食料配分を間違えた料理だろうと、あれ程の甘薯づくしになるだろうか?
実は、この一件で内通者として調査対象とされている郡王の関係者は二人居る。食料の管理をしている万副官と、武器の管理をしている孫判官だ。
万一族は先の皇帝が崩御した際に、郡王を皇帝に推挙したことで有名だ。万副官の父は今も郡王の取り巻きをしている。
対して孫判官は、明確な郡王一派ではなく、一族が郡王の支持者と言うわけでもないが、郡王が遊学中に師を同じくしたという繋がりがある。
四人は日暮れまで帳簿類と、高将軍が用意した搬入の情報を知り得た者の一覧を確認していたが、決定的な証拠は何も出ず調査は翌日に持ち越しとなった。
翌日、東小旗と、壁小旗は屯所で調査を、高指揮使は景都の錦衣衛にナイマンの襲撃時の話を確認しに、宇軒は景都を担当する都察院の諸道監察御史にこの地の官吏たちの動向を聞きに行くこととなった。
宇軒が茶房で会うこととなった諸道監察御史は気弱そうな男だった。その択監察御史によると、景都の官吏たちは、景都軍の言いなりらしい。
高将軍は三年前から景都軍の指揮を行っているが軍事以外には無関心、万副官も同じく三年前から着任しているが、こちらは郡王と景都軍の威を借りて、やりたい放題だという。
自分達がいなければ己の身を守ることも出来ないと、金品を民から巻き上げ、借りた金を踏み倒し、景都の若い女を嬲り物にした。とても評判は悪いが、彼の親の力もあって、誰も止めることが出来ない。
孫判管は、一年前に兵部より武器の管理のために景都軍に出向しているが、大人しい性格のため、武器の搬入、搬出の時以外は見かけることがない、とのことだった。
宇軒は、択監察御史になぜ万副官の暴虐を知りながら弾劾しなかったのかと詰め寄りたかった。しかし、正六品の監察御史に軍の副官、しかも正三品の父を持つ男を弾劾する胆力はないだろうと言葉を飲み込んだ。
宇軒は他に何か分かればすぐに知らせるようにと択監察御史に命じ別れた。択監察御史と別れ、宇軒は景都軍の屯所を目指す道すがら考える。
択監察御史は言った。万副官には噂があり、景都軍の物資を闇市に流出させている疑いがある、と。この噂からまずは調べてみよう、そう考えているとある違和感を宇軒は覚えた。
先程からずっと、一定の距離を開けて後を尾けてくる者がいる。試しに歩く速さを上げてみると、その者も同じく速度を上げた。急に右に曲がってみると、その者も右に曲がった。
(これは不味いかもしれない)
今は日中であるが、この辺りは民家が多く、辺りには人が居ない。何度か迂回し、途中走って、追跡を撒こうとする。そうする内に足音は聞こえなくなった。
撒けたか、あともう少しで商店がある、そう安堵したその時。進行方向の建物の影からぬっと腕が飛び出て、あっと思った次の瞬間、宇軒の首に細い紐が絡み付き、その紐を支点に誰かの背に背負われた。
足が浮き首が絞まる。急な酸欠に意識が遠退く。無意識に首の紐をほどこうと暴れた。相手の腕を引掻けば紐はより強く締まった。
完全に意識を失ってしまうと思った瞬間、ごっという鈍い音がして紐から宇軒を背負う者の手が離れた。
その者の背からずり落ち、ようやく吸えた空気に噎せていると、近くで呻き声がする。宇軒の首を絞めていただろう男が頭を押さえて呻いている。その近くには血のついた石が落ちていた。誰かがこれでこいつを殴ったのか?そう辺りを見ると、少し先に昨日の少年が震えながら立っている。どうやら少年がこの男に石をぶつけたらしかった。
男が急に立ち上がり、懐に手を入れた。宇軒は咄嗟に男の背に体当たりし、少年に向かって言った。
「馬鹿!早く逃げなさい」
少年はその宇軒の声に、弾かれたように走り出した。
男は懐から刃物を取り出し、背から飛びかかった宇軒ごと暴れている。宇軒もなんとか、刃物を男から取り上げようと男にしがみつく。何度か揉み合いへし合いしていたが、体格差から宇軒が弾き飛ばされた。
尻餅をついた宇軒に男が襲いかかってくる。なんとか躱す。刃物を振り回しながら、男は襲いかかってくる。何度か躱したが、ついに刃物が宇軒の腕を掠り、宇軒の衣を赤く染める。
その様に気を良くしたのか、男の目がぎらつき、刃物を握る手に力が入った。宇軒の背に冷や汗が走る。そこに。
「何をしている!」
怒号と共に刀を携えた人物が走り込んできた。高指揮使だ。男は宇軒を前に少し躊躇したあと、高指揮使とは反対方向に逃げ出した。
高指揮使も男を追おうとしたが、脱力したようにへたりこむ宇軒を見て、足を止めた。そこに先程の少年が遅れてやって来て、おずおずと宇軒に近づいて来た。宇軒は少年を見た。
「君が、この人を連れてきてくれたのか?」
喉を締め付けられたせいで、ひしゃげた声で問うと、少年はこくりと頷いた。宇軒は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!先程は馬鹿なんて言ってすまなかった。君は私の命の恩人だ」
ここは危険だから話は後でと高指揮使に促され、宇軒は高指揮使に支えられ、三人は屯所に向かうことにした。
屯所に着くと驚いた東小旗と、壁小旗が三人を迎えた。東小旗が宇軒の怪我の手当てをしてくれて、壁小旗は少年と共に少年の弟を迎えに行った。
彼は重要な目撃者であるため、先程の男が捕まるまで二人を保護することにしたのだ。高指揮使は先程の男の捕縛を景都の錦衣衛に指示したあと、宇軒にいくつか尋ねた。
宇軒は、あの男は初対面であること、択監察御史と別れた後を尾けられ襲われたこと、首を絞められ間一髪の所を少年に救われたこと、刃物を出した男になす術がないところを少年が高指揮使を連れて来てくれたことを話した。
「都察院は人の恨みを買い易いですが、流石に初対面の人間の恨みまで買った覚えはありません。あの男は、今回の調査の件で疚しいことがある者に雇われ、私を襲ったのでしょう」
宇軒の言葉に、高指揮使も頷いた。
「そのようだな」
そこに、少年達を連れてきた壁小旗が帰ってきた。宇軒は立ち上がり、少年に頭を下げた。
「改めて礼を言う。君のお陰で命を救われた」
少年は宇軒の言葉に困ったように、照れたように首を横に振った。
「しかし、なぜ君は私の後を尾けていたんだい?」
宇軒が問うと、少年は恥ずかしそうに言う。
「昨日、名前と居所を聞きそびれたことを思い出して。お金を返しにいけないから」
少年の言葉に宇軒は嬉しくなった。
「名乗るのが遅くなってしまったね。私の名前は李宇軒。都察院の左副都御史をしている官吏だ。君と、君の弟の名前を教えて貰っていいかな?」
「
「そうか。孝賢。お金のことは君の気持ちは有り難いが、返してくれるのは君達の暮らし向きが豊かになってからでいい。私は何事もなければ、官吏を続けているしね」
宇軒の言葉に孝賢は頷いた。
「君たちには申し訳ないが、あの男が捕まるまでは危険だから、私達と一緒に宿に泊まってもらう。費用は当然私達が払う。いいかな?」
孝賢はまた頷いた。
壁小旗が二人を宿の湯処に連れて行くのを眺めていると、高指揮使が納得したように言った。
「これが『情けは人の為ならず』か」
宇軒はその言葉に苦笑した。
「こんなことは想定外ですし、想定したくもなかったですが」
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