第4話 出立

(なぜこんなことになったのだろう)


 結論から言えば、宇軒の予想は外れた。東廠の調査官は胡督公が、錦衣衛の調査官は高指揮使が直接務めることとなった。

 王兄の英成インチェン郡王ぐんおうは京城内に居を構えているが、一派とされる官吏は各地に散っている。

 出宮に制限がある胡督公が京城内部から調査し、他の二人が各地の官吏の調査に向かうこととなった。


(留守は楊千戸りゅうせんこが預かると聞いたが、錦衣衛は大丈夫なのだろうか?)


 宇軒は、隣で自ら馬車を操る高指揮使を見た。この旅には、高指揮使と宇軒の他に、高指揮使の部下の東小旗とうしょうきと、壁小旗へきしょうきが同行している。

 西の国境で敵軍に軍事情報が漏洩しており、英成郡王一派とされる官吏が関与しているという。都察院では、その地に派遣されている監察御史がこの件の調査を手伝ってくれる予定だ。


「半年前のあの後、大変だったと聞いたが、その後大事ないだろうか?」

 今までずっと無言だった高指揮使が突如口を開いた。宇軒はあっけにとられた。この御仁がずっとそんなことを気にしていたなんて。

「いつぞやは、配下の方に護衛いただいていたようで、ありがとうございました。お陰様で大事にならずに済みました」

「気づいていたのか?」

「えぇ、まぁ」

(あれだけあからさまだと気付きもする)

 宇軒は、内心そう思い苦笑いした。


「なぜ李殿は、見も知らずの貴妃様と私を助けたのか?」

 高指揮使は宇軒を探るように見た。

「情けは人の為ならずと、言うでしょう?」

 宇軒がそう返すと、高指揮使が眉を顰めた。

「では、自分のためだと?貴妃様も私も李殿のために図れる便宜はないが」

 宇軒はその勘違いに笑った。

「ただ、私が宰輔のやり方に承服出来なかったというだけです。それに華南に行ったお陰で得られる物もありましたし」

 高指揮使の眉間の皺が深くなる。

「陛下の信頼か?情けは人の為ならず、か」

 宇軒は否定も肯定もしなかった。

養父ちちの受け売りなんですけどね」

 そう微笑んだだけだ。

「お父上を尊敬されているのだな」

 なぜか、高指揮使の視線が常より冷めたように思えた。

「ええ、私の指針です」

 宇軒は、また見定められている気分になった。


 京城の繁華街に差し掛かると、宇軒の贔屓の菓子屋がある。宇軒は馬車を停めてもらい、道中食べることができる、日持ちする菓子を購入した。

 一つ誤算だったのは、宇軒が淡い思いを寄せている看板娘が、高指揮使に見惚れていたことだ。そのことを思い出し、宇軒は憂鬱になりながら馬車の上で菓子を摘まむ。

 また、隣から温度のない視線を感じたため、高指揮使にも「どうですか?」と菓子を差し出したが、「お気持ちだけ」と断られた。色男は菓子も食わないらしい。

 隣の男と自分を比べて、自分の幼稚さが虚しい。確か、この人は自分と五歳程しか違わないはずだ。

 同行の小旗二名はとても愛想がいい人たちで、宇軒が勧めた菓子も美味しいと喜んでくれた。この二人程とは言わないが、せめてもう少し愛想良くしてもらえれば、高指揮使とも上手くやれそうなのに、と宇軒はこの先が思いやられるのだった。


 えんの西の国境にある景都けいとは、京城から馬を使い陸路で七日程のところにある。宇軒ら四人は時に宿場に泊まり、宿場がない場合は野営をすることとなった。

 錦衣衛の三人は野営経験のないであろう文官に気を遣っていたが、野営一日の間にその考えは追いやられた。宇軒は薪を集めるにも、水場を探すにも、手際が良かった。薪と一緒に野兎二羽を捕まえて来た時には皆驚愕した。

「どうして、李殿はこんなに野営に慣れておられるのか?」

 東小旗が尋ねると、宇軒は笑って言った。

「科挙を受ける前に、各地を放浪したのです。野営の知識は、その時に身に付けました」


 今回の調査において、正使は高指揮使、副使は宇軒という位置付けだ。従三品の錦衣衛の指揮使と、正四品の都察院の左副都御史では、官位が上の高指揮使が正使となるのは当然のことだ、と宇軒は思った。

 しかし、宇軒には一つの懸念がある。

「景都軍の指揮をされているのは、お兄様の高将軍であらせられると伺いました。漏洩に関与の疑いは薄いようですが、何かあった場合、高指揮使には高将軍のことを弾劾することができますか?」

 この質問ははっきりと、高指揮使の気分を損ねたらしかった。

「私が兄のために便宜を図ることを疑っているのか?そんなことは起こり得ないので安心しなさい」

 宇軒は、高指揮使が家族を弾劾しないことを恐れた訳ではなく、高指揮使が家族を弾劾せねばならない時辛い思いをするのではないかと思ったのだ。

「いえ、そんな疑いは持っていません。もし高指揮使がお兄様を弾劾しなければならない時、辛いお立場なのではと思ったのです」

 そう宇軒が言えば、高指揮使の雰囲気は和らいだが、宇軒はその代わり高指揮使が少し悲しげな目をした気がした。

「そのような心遣いは無用だ。景都に着けば、李殿にも分かるだろう」


 丁度京城を出て七日目、宇軒らは景都の東の城門にたどり着いた。

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