賢者様、魔王との決戦前に勇者をうっかり崖から突き落としてしまう

亜逸

賢者様、魔族との決戦直前に勇者をうっかり崖から突き落としてしまう

 切り立つような崖の上。

 そこから見える魔王城を遠望しながら、壮年の賢者ルシオスは、隣に立つ若き勇者クレオに話しかける。


「とうとう、ここまで来たな」

「ええ……」


 堅い面持ちで、堅い返事をかえすクレオに、ルシオスは目を細める。


 クレオは勇者として、人間と魔族の長きにわたる戦いに終止符を打つためにここまで来た。

 そのための最後の戦いが、今まさに始まろうとしている。

 緊張するなという方が無理な話だった。


(私ではクレオくんの代わりを務めることはできない。だが、彼の重荷を少しでも軽くすることくらいならできるはずだ)


 ここは一発、背中をはたいて気合を入れてやろう――そう思ったところで、ふと疑問に思ってしまう。

 賢者の細腕による一発程度で、本当に気合が入るものなのだろうか、と。


(ふむ……ならば、強化魔法を一撮ひとつまみほど自分にかけるとしよう)


 話は変わるが、賢者ルシオスはこの世に存在する全ての魔法を行使することができる、賢者と呼ぶにふさわしい知識と力の持ち主だが、二つほど欠点があった。


 一つは、今のところ外面が完璧なため発覚していないが、人としては割りと最低な部類に位置する人間であること。

 もう一つは、稀にうっかりミスをやらかすことだった。


 ここでもうっかりミスを発動させてしまったルシオスは、うっかり一撮み程度では済まないレベルの強化魔法を自身に施してしまい、


「しっかりしろ、勇者クレオ!」


 叱咤激励を送りながら、彼の背中をはたいた瞬間、


「うわぁああぁぁあああぁああぁあぁッ!!」


 強烈な力で背中を押されたクレオは、断末魔じみた悲鳴を上げながら崖から落ちていった。


 しばし現実が受け入れられなかったルシオスは、勇者をはたいた自分の掌を見つめ、続けて勇者が落ちていった崖の下を見下ろす。

 遅れて、滝のような冷汗が全身から噴き出してくる。


「待て待て待て本当にちょっと待ってくれ……!」


 一体誰に対して懇願しているのか、焦燥を吐き出しながらも風魔法を使って崖下に下りる。

 そこには、腕やら足やらが前衛芸術アバンギャルドな方向に折れ曲がっている、見るも無惨な勇者の姿があった。


 ルシオスは冷汗がますます冷たくなっていくのを感じながらも、クレオに回復魔法を施す。

 芸術的な感じになっていた手足を元に戻し、外傷を全て治癒したところで呼吸と心音を確認し……どちらも完全に止まっていることを知ったルシオスの全身から、〝ような〟では済まない滝汗が噴き出す。


「まずいまずいまずい! 決戦前に勇者を殺してしまうとかシャレになら――」



「お―――――いッ! 何があったクレオッ!」


「無事なら返事をしてくれッ!」



 先行して魔王城の様子を探りに行っていた、戦士バカンと武道家ホアンの声が聞こえてくる。

 どうやらクレオの悲鳴を聞いて、急いでこちらに戻ってきたようだ。


「まずいまずいまずいまずい! 本当にシャレにならんぞ!」


 ルシオスは賢者としての頭脳をフル回転させ……一つの、人として割りと最低な一手を閃き、実行に移す。


 そして――


「大丈夫かクレオ!?」

「いったい何があった!?」


 焦燥を露わにしながら戻ってきた、バカンとホアンを出迎えたのは、



「どうしたんですか二人とも? そんなに慌てて」



 何事もなく賢者ルシオスの傍に立つ、勇者クレオだった。


「い、いや……お前が絶叫する声が聞こえたから、ついな……」

「空耳……だったのか?」


 困惑するバカンとホアンをよそに、ルシオスは内心安堵の吐息をつく。


(ふぅ、ギリギリ間に合ったな)


 言うまでもないが、魔法でクレオを蘇らせたわけではない。

 ルシオスは目には見えない魔力の糸でクレオを操り、あたかも生きているように見せかけているのだ。

 もっとも、声だけは魔法ではどうすることもできなかったので、


「二人とも何を言っているんですか(ルシオスの声真似)。絶叫も何も、僕は大声なんて上げていませんよ(ルシオスの声真似)」


 さりげなく口元を隠したルシオスが、彼の声を真似て喋っていた。

 ぶっちゃけあまり似ていないが、二人が脳筋全開の戦士バカ武道家アホだったおかげで、微塵も疑われることはなかった。


 兎にも角にも、この場は誤魔化ごまかすことは出来た。

 だが、魔王城に突入し、戦闘が始まれば、脳筋ゆえに戦士バカ武道家アホは、クレオの異常に気づくかもしれない。


 もう一手、策を打つ必要がある――そう思ったルシオスは、「やってくれたな」という顔をしながらバカンとホアンに言った。


「叫んでもいない絶叫が聞こえた、か……これは、してやられたやもしれぬな」

「し、してやられた!?」

「そ、それは一体どういう意味だ、ルシオス!?」


 こちらの思惑どおりに、動揺も露わに訊ねてくる二人に内心ほくそ笑みながら、ルシオスはたしなめるように言う。


魔族てきの罠にかかったということだ。おそらく魔王はもう、我輩たちがここにいることに気づいている」

「なんだとッ!?」

「くッ、俺たちのせいで!」


 だいぶふんわりとした説明なのに、何の疑いもなく信じてくれたバカンとホアンを見て、ルシオスは心底思う。

 自分と勇者が以外が脳筋で本当によかった――と。


 あと、パーティに女性がいなくてよかったとも、心の底から思う。

 パーティに女性がいたら、それもうら若かったりしたら、勇者と絶対に恋仲になっていたことだろう。

 そして恋仲になったがゆえに、勇者の異常にはすぐに気づけたはずだ。

 そういった意味でも、宿屋の女将おばはんに「昨夜はお楽しみでしたね」とか言われずに済むという意味でも、男所帯でよかったとルシオスは心の底から思った。


 そんな、賢者と書いてクズと呼んでも差し支えのない思考を頭の片隅で巡らしつつも、ルシオスは二人に訊ねる。


「バカン、ホアン……お前たちのミスを帳消しにする策があると言ったら、どうする?」

「あ、あるのか?」

「そんな策が?」

「うむ。お前たち二人には命をかけてもらうことになるが、それでも構わぬか?」

「勿論だ!」

「俺たちが招いた危機だからな! いくらでも命を賭けるさ!」


 バカンとホアンの愚直さに眩しさを覚えながら、ルシオスは思う。

 ありがとう。君たちが清々しいくらいバカとアホでいてくれて――と。


 そんな、賢者と書いてクズとしか読めないルシオスが二人に提案した策は、


「バカン、ホアン。お前たち二人は真っ正面から魔王城に突入し、派手に暴れろ。その隙に我輩とクレオが別角度から魔王城に侵入し、魔王の首を獲る」

「なるほど、バレちまったものは仕方ねぇと見せかけるための、正面突入ってわけか」

「いいじゃないか。血がたぎるぜ」


 気持ちが良いくらい男前なバカンとホアンを見て、ルシオスは思う。

 ありがとう。ただ別行動するためだけの方便を真に受けてくれるくらいバカとアホでいてくれて――と。


 こうしてドクズ、もとい、ルシオスの策により、バカンとホアンは馬鹿正直に真っ正面から魔王城に突入した。


 バカンとホアンが敵の目を引きつけている隙に、ルシオスは魔力の糸で操った勇者クレオとともに、警備が手薄なところから魔王城に潜入した。


 探査魔法で城内を調べ、最上階の部屋に魔王の魔力が反応があることを確認する。

 そして魔王の傍にはもう一つ、魔力の反応が。


「魔王の右腕にして、四天王最後の一人デニグラ……やはり彼奴あやつも魔王とともにいるか」


 今の言葉どおり、デニグラは、これまでの戦いでルシオスたちが倒してきた魔王軍四天王の最後の生き残りであり、これまでも幾度となく死闘を繰り広げてきた宿敵でもあった。


彼奴あやつの魔法の腕前は、我輩に匹敵する。さすがに魔王とデニグラを相手に一人で戦うのは厳しいが……」


 向こうは、勇者が死んでいることを知らない。

 勇者の亡骸を囮に使って不意を突き、魔王を一撃のもとに倒した上でデニグラの相手をする――それしか手はないだろう。


(そしてデニグラも倒し、クレオくんは魔王との死闘の末に命を落としたことにすれば……うむ、これで我輩のしくじりは全て誤魔化ごまかすことができそうだな)


 骨の髄までドクズな賢者は、魔族の目を盗んで魔王城を上へ上へとあがっていき……とうとう魔王がいる部屋に辿り着く。

 仰々しい大扉を開き、中に入ったルシオスを出迎えたのは、



 なんか今の勇者とそっくりなくらいに生気が感じられない魔王と、



 魔族特有の青い肌以上に顔を青くし、滝のような冷汗を掻きながらも魔王の傍に佇む、デニグラだった。



 何か様子がおかしい――そう思ったルシオスは、自身の目に魔力を集中して、魔王とデニグラを注視する。

 そうすることで可視化された、デニグラの指から伸びる魔力の糸が魔王の体に差し込まれているのを見て、ルシオスはまさかと思う。


 まさかと思ったのは向こうも同じらしく、ルシオスと同じように目に魔力を集中させ、ルシオスが勇者クレオを魔力の糸で操っていることに気づいたデニグラの目は、これ以上ないほどに見開いていた。


 ルシオスは、そんなデニグラの後方に見えるバルコニーに視線を移す。

 バルコニーの柵に不自然に壊れた箇所を認め、再びデニグラに視線を戻してみると、あろうことか魔王の右腕様は気まずそうに目を逸らしやがった。


 それだけで、ルシオスは理解する。

 自分と同じように、デニグラもということを。


 普通ならば蔑みの一つや二つ出る場面だが、自分と同じ失態を冒した同志であることを知ったルシオスは、思わず共感の笑みを漏らしてしまう。

 その笑みを見て、デニグラもまた、ルシオスが同志であることを理解する。



 そして次の瞬間、



 人間と魔族、長きにわたって戦いを繰り広げてきた歴史上初めて、両種族の心が一つになった。



「今日ここで、長きに亘る戦いに終止符を打たせてもらうぞ! 魔王!(ルシオスの声真似)」



「いいだろう勇者よ! 終止符を打ってやろうではないか! 貴様の血をもってなぁ!(デニグラの声真似)」



「「うぉおおぉおおぉおおぉおぉおおぉッ!!(声真似)」」



 その後、ボロボロになりながらも魔王の部屋に辿り着いた戦士バカン武道家ホアンが見たのは、魔王と相討ちになっている勇者クレオの姿だった。


 そしてそこに賢者ルシオスの姿は……なかった。


 魔王の右腕であるデニグラの姿も……なかった。


 凱旋したバカンとホアンは、ルシオスはデニグラと戦い、互いの肉体が消滅するほどの強力な魔法を打ち合った末に相討ちになったと勝手に解釈し、涙ながらに吹聴した。


 しかしバカンもホアンも、人類も、生き残った魔族も、今はまだ誰も知らない。


 ルシオスとデニグラが姿を消したのは、片や勇者を、片や魔王をうっかり殺してしまったせいで、ただ単に皆に顔向けできないだけだということを。


 そのくせ人恋しくなってしまったルシオスが町を訪れ、酒場でうっかり口を滑らせてしまった結果、デニグラもろとも人類からも魔族からも追われる身になることを、今はまだ誰も知らない……。

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賢者様、魔王との決戦前に勇者をうっかり崖から突き落としてしまう 亜逸 @assyukushoot

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