第35話:ラルクさんが好きだから
「ラルクさん! リーシャさん!」
ディアが倒れている二人へと駆け寄ろうとするも――
「行くな」
剣を抜いたシエルが、ディアの動きを制止させる。
「シエルさん!?」
「あれに近付かない方がいい」
シエルが冷静にそうディアへと言い聞かせた。
彼女にはこれが一体どういう状況かがさっぱり理解できないが、一つだけ分かるのは、目の前にいる黒い竜がとんでもないバケモノであることだ。
あの兄と、それと同じぐらいに強いと言われる冒険者のリーシャが二人してやられている時点で、ただ事ではない。
さらに空を覆う竜の大群。
間違いなく、危機が迫っている。
「部外者は引っ込んでいなさい」
アダマンがシエルへと威嚇するように魔力を放つ。
「そこに転がっているのは僕の兄でね。そういうわけにはいかないんだよ」
シエルが剣をアダマンへと向ける。この状況、どう転がっても最悪なのだが、かと言って退くわけにはいかなかった。
時間さえ稼げば――そう思って踏み出そうとした時、今度はディアがシエルの前へと出て、その動きを止めた。
「シエルさん、待って。あたしが話すから。きっとこれは全部……あたしのせいだから」
「ディアちゃん……。分かったよ、でも危なくなったら勝手に動くからね」
「うん」
ディアが只者ではないことを、シエルは会った瞬間から分かっていた。
だから彼女はそれ以上何も言わず、一歩後ろへと下がる。
「お姉ちゃん……なんでここにいるの」
ディアがアダマンを見上げ、そう問うた。
その答えがなんであるか、分かっていても。
「ディア――竜界に帰るわよ。もう気が済んだでしょ?
アダマンの放った言葉の中にあったとある竜の名前を聞いて――その場にいた全員がそれぞれの反応を示した。
リーシャは驚いたかのように目を丸くし、シエルが悲しそうな表情を浮かべた。
ラルクは深くため息を吐いて、目を閉じる。
「……分かってる」
ディアは沈んだような声と共に、俯いた。
タラニス。
それこそが、ディアが人界へとやってきた理由だった。
幼い頃から彼女が師匠と呼び、慕っていたタラニスは竜達の中でも特に人間に対して友好的な竜であり、常に周囲へと人類の素晴らしさを説いていたという。
そんな彼が、友愛派として交流のために人界へと向かったのが――数年前の出来事である。
しかし彼が竜界へと帰ってくることはなかった。
「タラニスは殺されたよ。おそらく使役の術を使われて。それ以外に説明がつかないもの」
「……師匠」
その言葉を聞いて、ディアはシエルから聞いた話を思い出していた。
友愛派と呼ばれる竜が式典中に突然暴れて、討伐された話を。
「結果として、帝国と竜界の間で取引がされて、この事件はなかったことにされた。でなければ、戦争にもなりかねなかったからね」
「師匠がもういないのは、分かってたよ」
ディアが俯いたまま、語り始める。
「あたし、ずっと師匠が帰って来るのを待ってた。お兄ちゃんに聞いてもお姉ちゃんに聞いても、何も話してくれなかったよね。だから、自分で探しにいこうと思った。成人したと同時に竜界を飛び出して、人界へとやってきたの」
初めての人界は驚きの連続であると同時に、分からないことだらけだった。
「でも、師匠はもういない。それだけはなんとなく分かった。だってもし師匠がいたら、きっとすぐにあたしが来たことに気付いてくれるもん」
「なら、なぜすぐに帰ってこなかったの?」
アダマンの声が少しだけ優しくなる。
「師匠がいないと分かって、あたし泣いていたの。悲しくて、悲しくて……そしたら、見知らぬ人達がやってきたの。彼らはなぜかあたしを怖がらなくて、逆に貢ぎ物を捧げてくれた。そういう宗教だって言って。それが嬉しくて、あたしはついそれを飲んでしまった。あとからそれがお酒だと気付いたけど、その時にはもうあたしは捕まっていた。馬鹿だよね……あたし」
その話を聞いていたラルクは、初めてディアと出会った時のことを思い出していた。
もう随分と前のことのように感じる。
「捕まったあたしは逃げる気もなかった。師匠がいないことに絶望して、あたしはもう死んでもいいやとも思っていたんだよ。そうしてあたしは多分、〝使役の魔術〟の為の犠牲にさせられそうになっていた。そこを……ラルクさんが助けてくれた。すごくカッコ良かった。まるで……師匠が助けに来てくれたみたいだったから」
ディアが微笑みを浮かべた。
あの時のラルクの姿は今でも、目を閉じれば蘇ってくる。
まるで師匠のような、青い雷撃と共に現れたラルクは――彼女にとって、英雄以外のなんでもなかった。
「だから、生きようと思った。今度は失わないように……ずっと傍にいようと思った。だから……いっぱい嘘をついて、無理矢理明るく振る舞って、無理矢理ラルクさんの家に押しかけたの。竜の掟なんてないのにね」
ディアが目を閉じて、思い出していた。ついた嘘を。それからの楽しい日々を。
「家をね、あたし魔法で作ったの。それからね畑を作って、ポットくんや青子、黒吉と出会って。村の人や冒険者の二人、リーシャとも仲良くなって。違う街に行ったり、畑で収穫したり、果実酒作ったり、釣りしたり……凄く楽しかった。凄く楽しかったんだよ」
「……そう」
「だから、あたしは帰らない。これからもラルクさんの隣にいる」
ディアが顔を上げた。透明な涙を流しながらも、その顔には笑みが浮かんでいる。
「ディア……だが俺は――」
ラルクが何かを言おうとするも、アダマンがそれを遮って、言葉を放つ。
「でもディア。そいつは竜殺しの英雄よ。私達の同胞を何人も殺してきた、竜の仇敵。そこに転がっているちっこいのも……そこにいる剣を持つ娘もね」
アダマンがリーシャとシエル、そして最後にラルクへと視線を向ける。
「……分かってる」
「分かってない。あんたが傍にいたいと言うその男が……
そのアダマンの言葉は冷たい刃となって――ディアへと突き刺さった。
「え?」
あまりに予想外すぎる言葉に、ディアが理解できずに目を瞬かせる。
「……そういう可能性があるという話よ。そいつかもしれないし、そっちのちっこいかもしれない。それでもあんたは……そこに居られるの?」
アダマンがそう問うも、ディアはすぐに答えられない。
そのことを……彼女が考えていなかったと言えば嘘になる。
この世界のどこかに、師匠を殺した仇がいるかもしれないと。
でもそれ以上何か思うことはなかった。
そうする必要がないぐらいに……楽しかったからだ。
だから――
「師匠がなぜ死んだのか……私には分からない。憎くないと言えば嘘になる。でもそれと同じぐらい、私はここでの暮らしが、みんなが好き」
きっと師匠は復讐なんて望んでいない。
何よりも――
「ラルクさんが……好きだから」
そのまっすぐな言葉を聞いて、アダマンはため息をついた。
その顔に浮かぶのは、呆れたような表情だ。
でもどこか、嬉しそうに見えた。
「はあ……ほんとに馬鹿な子ね」
その言葉と共に、アダマンが翼を広げた。
「お姉ちゃん?」
「帰るわ。お兄様には私から言っておくけど、聞くかどうかまでは責任持てないわよ?」
そんな言葉と共に、アダマンが翼を一打ちし、空へと飛び立つ。
そんな姉の姿を見上げて、ディアがポツリと呟いた。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
アダマンが飛び去り、それに続くように空を覆っていた竜の大群も去っていく。
最後に残った、不服そうな顔をしているザグレスも無言でその後を追う。
その場に残ったのはディア達だけとなった。
「……はあああああああ」
ディアが疲れ果てたかのようにその場にぺたりと座り込んでしまう。
誰よりもあの姉の恐ろしさを知っているだけに、素直に帰ってくれたことにホッとして力が抜けてしまっていた。
「疲れたああ」
「……よく頑張ったよ。君のおかげで人界は救われた」
シエルがディアの肩に手をポンと置いた。
「で、お兄ちゃんはいつまで寝たふりをしているのかな?」
「……いや」
どういう顔をしたらいいか分からず、ラルクは寝転がったまま、顎ヒゲをポリポリと掻いていた。
「……いててて。ああもう最悪」
リーシャが体の節々から来る痛みに顔をしかめながら、起き上がった。
それを見て、ラルクもフラフラになりながらも、上半身を起こす。
その顔に浮かぶのは複雑な表情だった。
しかし今はとりあえず……生きて帰れることを喜ぶことにした。
そんなラルクへと、ディアが飛び付く。
「ラルクさん! ごめんなさい! あたしのせいで……こんなにボロボロになって!」
「ディア……俺は」
ラルクが何か言おうとするも……結局胸の中にいるディアの頭を撫でることしかできなかった。
話すべきことは沢山あった。
でもそれは、今ではない。
だから一言だけ、こう言った。
「……帰ろうか、ディア」
「……はい!」
こうして迫っていた危機が去った――かに見えた。
***
「納得いかねえ。納得いかねえ納得いかねえ納得いかねえ!」
空の上でザグレスが吼える。
あっさりと帰るアダマンの考えが全く理解できなかった。
ディアは俺のものだ。そんな思いがこびりついて離れなかった。
あんな人間に渡すわけにはいかなかった
「俺は認めねえ!」
そんなザグレスの激昂に、アダマンが冷静に言葉を返す。
「なら好きになさい。でも、力は貸さないわよ」
「言われなくてもな! お前ら行くぞ!」
ザグレスが空中で反転。さらに部下である数匹の竜を引き連れて、再び村の方へと引き返していく。
そんなザグレスを見て、アダマンが蔑んだような目でその後ろ姿を見つめた。
「あの場に、たかがその程度の戦力で戻るなんて……やはりあいつではディアとは釣り合わないか」
何より、先ほどからずっとこちらの動きを追っている、
「流石に
案の定、ザグレス達のあとをその小さな存在が追い始める。
「さて……お兄様にどう言い訳しようかしら」
そんな言葉と共に――アダマン達は竜界へと去っていったのだった。
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