第3話 昨日・今日誕生した民族

  100年前まで原始人のような生活をしていた韓国(南朝鮮)人や、中国人としてのルーツを完全に忘れ去った現在の台湾人の若者では、人間としての(精神的)成熟度があまりに低すぎる。

  (台湾のひまわり革命の時、立法院に立てこもった学生たちとその報道を見て、初めは感激していたのですが、次第に「遣らせ・ストーリーの決められた芝居」と感じた。昼間は大騒ぎして、夜になるとスマホでパパやママとお話しをする。1960・70年代の「日米安保闘争」に比べれば、ガキの遊び。大学日本拳法三分間の殴り合いの方が、ずっと「死に物狂い」の迫力があります。)


  中国人と異なり、韓台人には過去の記憶がない。第二次世界大戦後からの記憶(歴史)しか学校で教えられてきていないからでしょう。

  だから、韓台の若者ばかりか年配者でも「底の浅い・自分の存在にしっかりとした自信が持てない」人間が増えている(日本人にも当てはまるが)。


  多くの日本人にとって、台湾人は「当たりがいい、フレンドリー」だが、それは浮ついた親日でしかない。政権が代われば違う教育をされて嫌日になるだけのこと。

  韓国人の若者は唐辛子で味覚と感性を狂わされ、嫌日というプロパガンダによって踊らされているので、現実を正しく見ることができない。


◎ 背乗り(他人の成果を横取りする)ビジネス

  そんな彼らが、世界中の人間のニーズを感じ取り、現実のモノにする、なんてビジネスを展開できるわけがない。

  スマホや集積回路(ICチップ)というのは、日本の製造装置を使って「日本人やアメリカ人が設計したもの」を量産しているにすぎない。だが、それも最早限界にきているので、次世代のVLSIやスマホの開発・製造のために、台湾も韓国も日本へ投資せざるを得なくなってきた。

  投資といって、目的は優秀な日本人のヘッドハンティングなのです。


  台湾のあるメーカーが、(台湾の)高雄に次世代IC工場を作ると言ってますが、あれはフェイク(見せかけだけの偽物)です。

  コンビナートの上に建つといわれるこの町は、いつ地下のガス管が大爆発を起こすかもしれないという危険な町です。実際、5年前に一部で大爆発を起こし、幹線道路が数百メートルにわたってボコボコになり、多くのビルが倒壊しました。


  しかも、あの辺りの水は「美味くない」。

  屏東にあるメーカーのビールがまずいのは、ホップの所為だけではなく、水です。龍泉という町の大家は「ビール工場があるくらいだから、ここの水は生でも飲める」と私に言いましたが、一週間で水洗トイレに藻が付くのを見たので、決して飲みませんでした。アメリカのシリコンバレーの水も同じで、一週間留守にすると藻が湧きました。

  台湾がいくら雨が多くても木があっても、地質が違うので地下から湧き出る水は日本の水ほど美味くない。半年ほど前には、朝9時から夕方5時まで台湾全土で停電。どこかの発電所での操作ミスで。鉄道の踏切が故障すると、修理に3日間かかる。外国メーカーの技術者が来ないと直せない。鉄道の脱線事故で何人も死ぬと、日本の鉄道メーカーの責任だと、賠償請求の裁判を起こすが、列車の運転手たちが「何か月も前から修理しないと危ないと台湾鉄道の幹部に上申していたのに、故障したまま走らせていたから」という証言が相ついだ。

  親日だの日本は永久の友達、なんて言っているくせに、高雄駅のエレベーターが壊れると製造元の日本メーカーの責任、と騒ぐ。

  独立国家を志向している割には、鉄道一つ満足に走らせることができない。日本の植民地時代と同じで、重要なインフラストラクチャーは外国製。

  台湾のICメーカーは、日本・中国・アメリカと製造拠点を国外に増やし、脱台湾を志向し、その目くらましとしての「高雄に工場建設」なのではないのだろうか。


  中国(の一部地域)と日本の水は確かに美味しい(中国の水のおいしさは、ビールを飲めばわかります。日本のビールがその水ほど美味しくないのは、麦芽やホップが外国産だからです)。

  特に日本の熊本の水は透き通った美味さがある。人間だけでなく「水も一流」だから、Made in KumamotoのICは品質が高い、製造における歩留まりが高いのです。(鹿児島の知覧茶がおいしいのは、あの白砂台地のおかげで美味しい水が湧くからではないか。)


  その為に、40年前日本の半導体メーカーが競って熊本に工場を建てましたが、その遺産である、工場跡地や製造ノウハウ・日本人の能力を掠め取るために、台湾の半導体メーカーが熊本にやって来るのです。

  これから先、工場の主要技術者と従業員・管理者たちもすべてが日本人で、会社の名前だけ「台湾○○」で、パッケージには「台湾監製」のスタンプが貼られるでしょう。台湾人が監督して日本人に作らせた、という意味です。

  彼らはMade in Chinaの物品にもそういうラベルを貼るのですが、何のことはない、企画・設計から製造まで100%中国人がやっている。


  三国人(韓台人)というのは、全て借り物のアイディアや技術という虚構を自分たちのものにしてしまう。こすっからい、詐欺師のような真似をするのが彼ら台湾客家の政治。

  2022年10月10日の台湾の国慶節に、マーチングバンドで世界一の京都橘高校吹奏楽部88人を、台湾政府は彼らの授業を休ませて呼び寄せ、数日間、連日あちこちで彼女たちのパーフォーマンスを演じさせた。滞在中昼飯は〇ドナルドなんていう体に悪い貧相な物を食わせて。

  が、台湾政府の一番の目的とは、彼女たちのパフォーマンスを、自国の高校生たちに見せてその技術をまねさせること。そのおかげで、台湾北一女楽儀旗隊(ブラスバンド部)は、2023年のローズパレードに参加できたのです。日本の高校生のダンスブラスバンドのコピーをするというのは、韓国と台湾のいつもの手口。

  「国慶節に参加」という名目で、よその国の高校生に学校の授業を休ませて台湾へ呼び、「台日友好」という掛け声で彼らに、毎日、あちこちの高校や劇場で演奏させたのです。

  「日台友好・友情」という偽看板の下で、そういうこすっからい盗みをやる。これが台湾客家政治家たちの手口ということを、日本人はよく覚えておかねばならない。

  1964年の東京オリンピック、女子バレーボール金メダルのニチボー貝塚を主体とする日本女子バレーボールチームは、そのあとすぐに中国に招聘されましたが、その時、周恩来首相自ら何度も練習場へ行き、大松博文監督に頭を下げて「中国の女子バレーボールを日本のレベルまで引き上げてください」と、ストレートに頼みました。台湾客家のサギ総統のように、「サプライズで橘高校生徒の前に現れる・たまたま橘高校生たちの宿舎の前を通りかかった」(橘高校を招聘したのは台湾政府ではない、ということを強調したかった)なんて、姑息な真似を中国はしないのです。


  中国という国は、下手でも格好悪くても、自分たちだけで努力する。台湾客家政府のような、意地汚い手口で日本の高校生を騙すようなことは決してしない。本当に必要なら、首相自ら招待した人たちに頭を下げる。これが中国という礼の国のすることです。「友好」「友人」なんていう胡麻化しに騙されないことです、日本人は。


  台湾とか韓国という新興国家(現在台湾は正式には国家ではない)は、自分たちでは努力しないで、人のまねや剽窃で飯を食おうとする。

  それは勝手ですが、「台湾と日本の友情」なんていう甘言で未成年者の高校生を騙し、彼らの授業を休ませ、劣悪な食事を与え、台湾の高校生たちにノウハウを教えさせるなんていう、悪質な手口には本当に失望する。

  橘高校に教えてもらいたければ、台湾人自身が日本へ来るべきなのです。

  

  政治とは醜いものではありますが、未成年者の純粋な気持ちを利用して、子供たちを騙し・虐待し・盗むなんてことはやめてもらいたい。

  台湾客家の政治的ビヘイビア(behavior)とは、中国人の悪い面を見事に見せてくれている。

  日本における「オレオレ詐欺」どころではない、そんなコソ泥の詐欺師集団(台湾客家)が台湾という「国家」を運営しているという台湾の素顔を、大学日本拳法人はきちっと見て、これから先、「日台友好」「台湾と日本は永遠の友人」なんていう浮ついた言葉に騙されないようにしなければならない。


  台湾客家という中国人の変異種は、例えば、日本拳法が世界的に有名になれば、現在台湾政府が音頭を取って普及させている韓国のテコンドーを辞めて日本拳法を普及させる、なんてポリシーのないポリティクス(政治)をやることに、何の恥じらいも持たない人種です。その時、橘高校のような被害に遭わないために、注意しておきましょう。


  韓国も30年前、サムソンの会長がシャープの社長に土下座をして、無料でもらった多くの特許技術(月刊ダイヤモンド誌に当時のシャープの社長が書いています)を使い尽くし、今や再び日本にしがみつくしかない(サムソンと同じ株主が支配するアメリカの似たようなメーカーも、サムソン経由でそれら技術の供給を受ける)。


  中国人は実質的に汗水流して物作りをすることにプライドを持つ。人も工場もノウハウも自前で調達し・育てるガッツとプライドがある。

  他人が開発した物や人・ノウハウを掠め取るのが韓台人、何年・何十年かけても自分たちでやり遂げようとするガッツがあるのが中国人なのです。


  誰と付き合うかはその人・その会社の勝手ですが、根本的な人間性のちがいをよく認識しておかないと、日本人の自分たち自身までもが「韓台化」してしまうので気をつけましょう。私はたまに銭湯で観るくらいですが、今のテレ番組というのは、日本のレベルを大きく落として「韓台化」している。40・50年前のテレビ番組に比べると、バカ丸出しです。




◎ 韓台人と中国人

  〇 単なる思いつき・場当たり的なアイディアなら、日本の女子高校生の方がよほど楽しい・豊富な発想ができる。


  〇 親日(台湾人)・嫌日(韓国人)の若者とは、見かけがそういうだけで、共に人間の中身は薄い。バカということではなく、人間としての存在感が希薄。

  長い歴史を背負った人間としての重みや厚さ・深みが感じられない。信念やポリシー(確固とした形而上的指針)なんてまるでない、という感じです。


〇 中国人はというと、いきなり「オイ、日本人、おまえたちは中国人を嫌いなのか!」なんて「ケンカ腰で」迫ってくるくらい人間的な自信がある(私のような体育会系にとっては、そういう直接的・男性的な方が話しやすい)。

  大阪の小さな中国物産店の中国人アルバイト学生でさえ、お客に対する礼儀はソフトですが、数千年来のポリシーというか迫力を感じる。だから、内に秘めた「何だ、この野郎」という芯の強さ(Spirits)というか存在感(の強さ)は、彼らの販売する中国麺と同じで、腰があってしっかりしている。


〇 韓国人:なんでも唐辛子(風の化学調味料)で辛くする、なんでも野良犬のように噛みつけば自分の存在感が出る、と思っている(そういう体質)。

〇 台湾人:なんでも化学調味料を使った「曖昧なおいしさ・口当たりの良さ」で、ごまかしてしまう。

〇 中国人:天然素材を使用しながら、化学調味料に匹敵するほど豊富な(天然の)味を創り出せる。調理法も同じく、数千年の歴史で練り上げられた経験則をベースにしているので、もはや自然の理となっている。


  昨日・今日誕生したような、そんな精神的に薄っぺらな「韓台人」に、数十万点(没になった企画を含めればその10倍)もの豊かな発想と、それを具現化する製造能力・企業運営の政治(人間)力など、到底望むことはできない。

  そして、最も重要なことは、そういう、成熟した精神力と精緻でありながら大胆な発想が要求されるグローバル企業の活動をバックアップすることができる、中国という国の政治力(国内外での問題解決能力)なのです(残念ながら、在日韓国人による、最近の日本の政治力はあまりに貧相すぎて、在来種日本人の足を引っ張るばかりですが)。


  台湾の原住民や北朝鮮(高句麗)人、ベトナム人やタイ人の方が(ある程度時間をかければ)よほど効果的に働いてくれるにちがいない。彼らは欧米のプロパガンダに踊らされず騙されず、しっかりとした自己(民族としての記憶)を持っているから。


◎ 誰とパートナーを組めば生き残れるのか

  私たちは日本で、こういうことを身近に見ることができます。

  膨大な法律知識と、裁判という公明正大な場における多くの場数に基づいた人間に対する深い理解によって、自分という存在を明確に自覚することのできる検察庁の検察官と、警察手帳という紙っぴれ一枚の肩書だけが、自分の存在証明でしかない警察官との違い。

  同じ「法の番人」でもそのクオリティには月とスッポンの違いがあるという事実。


  もしあなたがビジネスマンとして、新たに商売を立ち上げ・展開して利益を上げ、社会に貢献しようとする時、ビジネス・パートナーとして・アドバイザーとして、元検察官と元警察官のどちらかを選べと言われたとしたら、どちらと組むでしょうか?

  もし、あなたが無人島で生活することになった時、神様から一人のパートナー(相棒・助けになる者)を与えようと言われたら、検察官と警察官どちらを希望するでしょうか。

  検察官の法律知識は無人島で何の役にも立たないが、それを吸収する為に鍛えた知性と、法廷という公開真剣勝負の場で鍛えた理性は、無人島という過酷な環境・危険な状況に曝された時、必ず役に立つ。

  (何をやっても真剣味のない、という意味で)緊張感のないバカ面して「ワシは生活安全課や」と、警察手帳で市民を脅していたチンピラのような薄っぺらな生き物が、地位や肩書き、拳銃やパトカーといった武器のない世界で何の役に立つのか。頭が空っぽだから、話し相手にもならない。

  中国人と韓台(欧米)との「ちがい」とは、そういうものなのです。


◎ 自分の物語を作れない人間擬(もど)き

  大学2年生の夏休み、高校時代の同級生だった在日韓国人と二週間旅行をしましたが、てんで面白みがない。高校時代には、在日という看板を使って日本人の中に入り込み、日本人がやった面白い話というのを沢山知っていました。

  しかし、その旅行の時に知ったのですが、彼ら在日とは自分自身の物語を作れない。思い出になるような楽しいこと・面白いことをクリエイトできないのです。

  この歳になるまで、10数人の在日韓国人の知り合いがいましたが、大学時代、一人の先輩OBだけが「韓国人らしくない」人でした。一人で30人相手に殴り合いのケンカをしたり、浮気相手の家にいるところを奥さんに連れ戻されたり、なんていう「自分の物語」を語れる「本当の人間」でした(まだご存命です)。

  この方は大学日本拳法部で下級生の頃、先輩やOBから、もの凄いしごきを受けたことで、韓国人とか日本人を超えた真の人間性を見れたのだと思います。私も大学の部活とこのOBの工場で(しんどい夏休みの)経験をしたので、自分の本性 → 原始日本人(縄文人)を自覚できるようになりました。


◎ 大学日本拳法と太極拳

  日本人は大学日本拳法のような激しい運動によって(短期間に)日本人性に目覚めることができる。中国人は太極拳のような「気が遠くなるほどの歴史を持つ中国人らしい料理法」によって、自分の中の伝統(血)を、静かに・じっくりと励起(熟成)させる。

  もちろん、日本には太極拳に匹敵する様々な「道を探求するためのポータルサイト「があります。茶道・華道・合気道、等々。

  中国人というのは血が濃いので、太極拳でさえ不要なのではないか、とも思います。「血は水よりも濃し」とは、決して空念仏ではないのです。

  むしろ、現実にぶん殴る・蹴るといった、強さと速さを追求してきた大学日本拳法人こそが、現役を引退してから、そういう激しい動き・極めて現実的な世界を形而上的に眺める(思い返す)為に、太極拳のような「ゆっくりとした動作で現実を再構築する」体験をすべきかもしれません。


  早い話が、真剣勝負の味を知らない人間・薄らぼんやりした存在感の人間と付き合って何が面白いのか、ということです。

  私の父は40年間公務員をやっていましたが、30歳後半は(東大出の)上司とケンカばかりして八丈島・大島・小笠原と、計10年近く島流しに遭いました。その頃、父の肩書きはヒラ・係長・課長でしたが、人間としてのガッツというか存在感がありました。しかし、定年間近に都の水道局局長になった頃には、肩書きだけは立派でしたが、人間そのものの魅力はまるでなくなってしまい、昔に比べれば抜け殻のようでした。


◎ 長い苦難の歴史を戦い抜いてきたガッツと、豊かな精神性

  アメリカでは、いくら広い国土と資源があっても、人殺しの道具しか作れない(ロケットや航空機・船舶・コンピューターとは、軍事技術から派生したものばかり)。

  彼らの作る映画にしても、様々な配役やストーリーがあっても、結局は殺人・レイプ・破壊を行う狂った人間ばかり(バットマン・スターウォーズ・スーパーマン、etc)。

  そんな気の狂ったアメリカ映画に影響され、韓国映画もまた、気の狂ったようなチンピラ暴力団とチンピラ警察官が、互いに狂気のごとく殴り・拷問し・残虐に殺してなんていう、50年前の感覚では「まともではない・狂人の世界」を「ごく当たり前の現実世界」として描いている。こんな非現実的な暴力模写の映画を「現実」と勘違いする若者が、韓国ではどんどん増えているのだろう。


  アメリカアニメ「トムとジェリー」なんていう子供向けアニメにしても、面白おかしく描いてはいますが、傷害罪や殺人罪・詐欺罪や窃盗罪という犯罪精神がその根底に流れているような代物。

  宮崎駿や新海誠のような、人の心を豊かにする、純粋に平和的アニメなんて絶対に作れない精神構造(文化を生み出すための人間のレベルが未熟)なのです。


  日本のアニメと同じで、人の心を平穏にし・人の生活を豊かにする、真に人類に必要な「文化」と呼べる物語を創造できるのは、(寡聞にして)中国人と日本人というコンビだけです(いずれ、インドが加わるかもしれない)。


  インド映画「RRR」や中国の京劇に、私たち日本人は彼らの長い歴史から醸造された、芯の強さ(ガッツ)と豊かな民族(人間)性を見ることができます。


  ことの善悪・誤りは別にして、アジアで日本人ほど戦い抜いてきた民族は、中国・ベトナム・高句麗(現在の北朝鮮)以外には存在しない。中国・ベトナム・北朝鮮は、(自分が他国へ侵略するのではなく)他国からの侵略に対抗して戦ったという点で、日本とはまるで違いますが。



◎ 私がジャングルで見た中国人の精神性

  私個人の体験としては、10数年前、グアテマラの首都から遠く離れたジャングルのような場所で、掘っ立て小屋のような「100円ショップ(品数は少ないが、日本のそれと同じ品揃え)」を見つけた思い出があります。まさに「豊かな精神というオアシス」に巡り合えた、という感動がありました。


  そして、その店から数キロ離れた街には、堂々とした構えの中国物産店がありました。「上からこれを食え」と強制されているような品揃えの欧米流スーパー(カルフール)と異なり、何千年もの人間の生活から生まれたという意味での自然な「食品や雑貨」という安心感がそこにはありました。


  昭和30年代、当時オイルマンであった作家の落合信彦氏は、アラビアの砂漠で、(香川県の)ハンカチをセールスして歩く日本の総合商社マンと出会ったそうですが、私は中南米のジャングル地帯で「100円ショップと中国物産店」という中国パワーを見たのです。(もちろん、世界各地の中華料理店の逞しさも大したものです。)


  こんな話があります。

  サンフランシスコには「ジャパンタウン」・ロサンゼルスには「リトル東京」という日本人街(日本料理屋・書店・日本物産店の集まる区画)が、日系人・日本人によって苦労して創られ、1980年代には最盛期を迎えました。

  しかし、やがて韓国人が日本人経営の店よりも安い価格で入り込み、本当の日本の味などわからないアメリカ人に支持されて、全ての日本人経営の店が消えていきました。

  しかし、その韓国人も出資元の猶太人によって追い出され、新たな韓国人・ベトナム人・フィリピン人が来ては再び追い出され、を繰り返す。

  日本人に開拓させ、韓国人がそれを乗っ取り、最後に猶太人が支配権を握る。

  南米コロンビアにおけるエメラルド・ビジネスも同じでした。


  ところが、サンフランシスコでもロサンゼルスでもニューヨークでも、中国人の街「China Town」は滅びるどころか、益々盛んなのです。


  この図式とは、既に日本という国において、現在進行形で進んでいるのではないでしょうか。





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