666

かわくや

初めまして麗美たる貴女

「くぅ~~……」


 かれこれもう五時間も向き合ったパソコンから目を離し、全力で椅子に反り返る。


「あれ?」


 そうなると、目線は自然に反対側のデスクの上に残された黒い革のバッグに行った。

 確か……あの席は亜児島さんか。


 亜児島 優季さん。


 彼女はこの会社での、ちょっとした有名人だ。

 影ではまっこと密やかにゴルゴーンやらメデューサやらと呼ばれている彼女だが、その理由は顔に有る……いや、顔というよりは『目』なのだろうか。

 まぁ……どちらにせよ、事実だけを述べるのなら、彼女の目は、全て黒い包帯の様なもので何重にも覆われてしまっているのだった。


 ここで著作権も気にせず例えるのならば、NieR:のヨルハ型の様なものだろうか。

 もっとも……その髪は白なんて事もなく、我ら日本人には見飽きたような黒なのだが。


 ただ、どうやら元の顔が相当に良いらしく、その布でも隠しきれない美貌に目を奪われた同僚の振られ話は尽きることは無い。


 今だってほら……あっ、フラれた。


 っと、少し話は逸れたが、彼女の特徴はこれだけではない……というかこっちが本命なのだった。


 前述の通り、彼女は目を布で覆ってしまっている。

 言うまでもないとは思うが、それはつまり目は見えていないと言うことだ。

 さて、察しの良い方ならすでにお察しだろうがここで結論だけ言わせて貰おう。


 結論

 彼女はその状態で普通に暮らすのだ。

 そう、まるで全て見えているかの様に。


 普通に通勤し、普通にご飯を食べ、普通にタイムカードを切る。


 そう、まさに今の彼女の様に……


 ……ってあれ?

 タイムカード切っちゃうの?

 帰っちゃうの?

 ……ってことは。


「…………忘れ物じゃん」


 慌てて忘れ物を手に立ち上がり、オフィスの出口に消えた彼女を追った。


 オフィスのドアを勢い良く開き廊下に飛び出すと、彼女がほぼ満員のエレベーターに入っていくのが見えた。


「待って!」


 慌てて、手を伸ばして全力で走るも、容赦なく目の前で閉まるドア。


 …………やっぱ都会人はつめてぇなぁ。

 ってそんなこと言ってる場合じゃないか。


 もう1つのエレベーターは………降下中。

 となるとしゃあねぇ………走るか。







 ダンッ ダンッ ダンッ ダンッ


 妙に音が響く階段を二段、三段飛ばしで飛び降りる様にして、駆け降りた。


 さっきまで僕が居たのは四階。

 わりと最近改装されたこのビルのエレベーターは、一階の間を三秒で移動できるとか言う噂の最新型だ。

 対して僕が一階を降りるのに掛かる時間は約5秒。


 十分間に合うタイムラグだろう。


 そう考えつつ、すれ違う人に奇異の目で見られるのも気にしないようにして、どたばたと駆け降りた。



「ッ着いた!」


 最後の4段を飛び降り、思わず吐き出す。

 果たして肝心の亜児島さんは………いた。


 僕の目が丁度改札口を通る亜児島さんを捉える。


「待って!亜児島さん!」


 思わずそう声を上げつつ、社員カードを取り出し、改札口に叩きつけた。


 よしっ これで………


ピーー


「うわっ!!」


 カードを当てる位置が悪かったらしく、改札口に行く手を阻まれてしまった。


「もう! こんな所で躓いてる場合じゃ無いのに!」


 そんな無駄に壮大なセリフで照れ隠しをしながらも、慌てて叩きつけ直すと、今度こそ改札口は開いた。


 警備のおっちゃんに変な目でみられたけど知ったものか。


「ちょっとすみません、通して下さい!」


 そう言いながら人の込み合うエントランスを掻き分け掻き分け、出口に向かった。


「ハッ ハッ………ど、どこ?」


 荒い息を沈めようと努めつつ、必死に辺りを見回した。


 正面……無し。


 右……無し。


 左……無……あれ?


 ついつい惰性でスルーしてしまいそうになりながら、何とか踏み留まると同時に僕は違和感を覚えた。


 確かに亜児島さんはそこにはいた。


 でも……でもどうして路地裏なんかに向かうんだろう?


 ここら一帯から一番近い駅はこっちじゃないはずだけど……


それともここらに家でも有るのかな?

だったらストーカーとでも間違われる前に何とか届けないと。


そんなことを考えながら…………今思い返すと、滑稽極まり無い様な勘違いをしながら僕は路地裏に飛び込んだ。


そこには……







 美しい一匹の蛇が居た。




 蛇。


 うん、この時の彼女を例えるのにこれ以上相応しい言葉は無いだろう。



 外れた包帯からは、闇に浮かぶ黄色い双眸。


 獲物をなぶる様にして肉塊に突き立てられた特徴的な形をしたナイフ。


 いましがた出来たと見られる頬の傷から垂れる鮮血を舐めとる舌。

 



 どれを取っても、しなやかで、狡猾で、冷酷で……


そして何より____


「美しい」


 そんな蛇を思わせた。


 と、そこまで考えて、ふと口元が緩んでいるのに気づいた。

 これが喜び勇んで玉砕していった同僚のことを笑えない、と思った自嘲の笑みなのか、はたまた……


ダァン


 その美の化身の贄となれることを喜んだからかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る