故人の感想です

忌野希和

第1話 死後の世界

 俺は亡霊である。

 生前の名前はアルベルト・オクトアリエス。

 レヴァニア王国オクトアリエス伯爵家の次男坊だったが、今は未練を残して現世を彷徨う只の亡霊だ。


 未練の対象は目の前にいる。

 レティシア・グインドルチェ公爵令嬢。


 目つきが鋭く周囲にきつい印象を与えるが、凛とした佇まいと腰まで伸びた薄紫の髪が特徴的な美しい女性だ。

 彼女は公爵家の屋敷の自室の窓際に置かれた椅子に座り、悲しげに外の景色を眺めていた。


 レティシアは俺の元婚約者である。

 俺が死んだため婚約は解消。


 レティシアと結ばれなかったのは確かに心残りだが、それが直接の未練ではない。

 亡霊になってまでレティシアに憑き纏うのは、生者である彼女にとっては害悪でしかないだろう。

 だから未練が無くなり次第、彼女の前からは消えるつもりだ。


 俺の未練は彼女に幸せになって欲しい、ただそれだけ。

 ……だけなのだが、それがちょっと難しい。


 レティシアは貴族としては少し、いや、かなり性格に難があった。

 だが決して性格が悪いわけではなくて、むしろ良いと言えるだろう。


 誰にでも別け隔てなく優しく接するし、困っている者がいればスラム街の子供だろうが手を差し伸べる。

 また曲がったことが大嫌いで、不義を絶対許さなかった。


 問題なのは時と場所を選ばないことと、一度そうと決めたら引き下がらない頑固なところだ。

 貴族には様々な立場としがらみがあるので、何かをするには根回しや名分を立てる必要がある。

 レティシアはどこまでも純粋で真っ直ぐだった。


 他家同士の令嬢の争いに首を突っ込み、話をややこしくしたことは数知れず。

 社交辞令やお世辞を真に受けて、相手を困惑させたことは数知れず。

 その裏で俺が穏便に事を済ませようと暗躍したことも数知れず。


 レティシアは器量が良い公爵令嬢なだけでなく、神々から個人に与えられる〈加護〉も強力なものを持っていた。

 だから本来ならば結婚相手は引く手あまたで、伯爵家と家格が低いうえに次男坊である俺からしたら高嶺の花だ。


 しかし唯一の欠点である性格が致命的なものとなり、レティシアの足を大きく引っ張る。

 その結果俺が婚約者になったのは彼女にとって不幸だったかもしれないが、俺からすれば僥倖、幸運だった。


 この幸運を絶対に逃しはしない、それに彼女を不幸になんかさせない。

 どんな障害も乗り越えると誓ったのに……。


 不意にレティシアの部屋の扉がノックされ、若いメイドが入ってきた。


「お嬢様、ダスター商会の会長がお見えになりました」

「わかりました」


 物憂げな表情をどこか意を決したようなものに切り替えて、レティシアが椅子から立ち上がる。


『駄目だ!ダスター商会には会うな』


 レティシアの背後で漂うだけの亡霊の俺がいくら声を張り上げても、肩を掴んで押し留めようとしても彼女が気づくことはない。

 声は届かず、伸ばした腕はレティシアの体をすり抜けてしまうため、俺はレティシアの後ろを付いて行くことしか出来なかった。


 応接間では身なりの良い中年の男と従者の青年の二人組がレティシアを待っていた。


「レティシア様、ご機嫌麗しゅう。本日はお招きにあずかり有難うございます」


「婚約者を失って間もない私がご機嫌だと思って?」


「これは失礼致しました。お辛い時こそレティシア様のお心が穏やかであるよう、ダスター商会一同願っております」


 社交辞令をばっさり切り捨てたレティシアだったが、ダスター商会会長ロドリゲスは動じない。

 肥えて張り出している腹を引っ込めながら、殊勝な顔つきで頭を下げた。


「それで本日はどういったご用件でしょうか?」


「私に〈開花の霊薬〉を用意しなさい」


「…理由をお伺いしても?」


「理由?勿論決まっているじゃない。私が使うためよ。志半ばで倒れたアルベルト様の遺志を継いで、私が〈英雄の地下墓〉に挑みます」


「お気持ちは分かります。ですがそのような迷宮は公爵令嬢であるレティシア様が立ち入るような場所ではありません。王国の騎士団や上位の冒険者に任せたほうが良いのではありませんか?」


「そんなことは貴方に言われるまでもないわ。でも最愛の人の無念を私自身で晴らさずにはいられないの。だから騎士団や冒険者なんかに任せられないわ。アルベルト様は貴方の商会が扱う〈開花の霊薬〉で加護の力を増幅させて迷宮に挑んだと聞いています」


「なるほど…!そういうことでしたか。ええ、確かにアルベルト様にはダスター商会の霊薬を愛用して頂いておりました。そしてその効果には満足しておられました」


 探るような表情だったロドリゲスが、合点がいったと営業用の笑顔を張り付けていけしゃあしゃあとのたまった。


『嘘をつくな!駄目だ、こいつの話を聞いてはいけない、レティシア』


 届かないと分かっていても声を荒げてしまう。

 もし俺に対象を呪い殺せる力があるなら、ロドリゲスを殺して黙らせてやりたい。


 ロドリゲスの胴体に腕を突っ込み、心臓を鷲掴みにしてやろうとしたが手ごたえは無かった。

 俺はどこまでも無力な亡霊だった。


「〈開花の霊薬〉は非常に貴重な材料を使いますので、調達に一週間お時間を頂けないでしょうか。その代わり効果は保証致します。レティシア様の加護の力を最大で二倍に。二倍に届かなくても少なくとも五割増しに増幅させるでしょう。これまでに様々な方が効果の程を実感しておられます」


 有名な他国の騎士や冒険者の名前を次々と上げて彼らの評価を報告するロドリゲス。

 中には荒事に疎いレティシアでも知っている名前があったようで、納得したように頷いていた。


 違う、違うんだレティシア……。

 この悪徳商人の言葉を信じてはいけない。


 どれもこれも個人の感想であって、効果や効能を示すものではないんだ。

 つまり〈開花の霊薬〉は明らかな偽物で、加護を増幅させる力なんて微塵も無い。


 そしてその偽物の霊薬のせいで、俺は死んでしまったのだから。

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