第449話 王命により禁ずる

 胸ぐらでも掴み掛かられるのではないか、と思ってしまうような勢いで冨岡の手を握るヴェルヴェルディ。感情の爆発という意味では、怒りに近いのかもしれない。

 彼にとっては、それほどまでに大きな感動だったのだ。

 冨岡はその輝く瞳に捉えられ、笑みで返すしかなかった。


「喜んでもらえてよかったです。子どもたちにも喜んでもらえると良いんですけど」

「そうですね。幸せというのはどうしても相対的になりやすい。豪華な生活しか知らない貴族のご婦人は、退屈という不幸を感じていると言います。それは庶民にとって、涎を垂らすほどの幸せ。命の心配も飢えも知らぬ最上の生活です。他の学びを知らなければ、この環境の良さに気づけないかもしれませんね。けれど、それで良いのかもしれません」


 そう言いながらヴェルヴェルディは、冨岡の手を宙に置き、ノートを取った。

 

「学びとは忘却との戦いでもあります。人は繰り返さなければ、何を学んだのか忘れるもの。こうして潤沢に紙を使えるのならば、忘却はある程度防げるでしょう。もちろん使い方次第ですが。それがどれだけ幸せなことだったのか、考えるのは大人になってからで良いでしょう。子どもが子どもでいられる時間はそれほど長くはありませんからね」


 子どもが子どもでいられる時間。

 冨岡はその言葉にハッと考えさせられる。冨岡自身、自分が一人の人間であることに悩まされることがある。一人の人間である以上、どうしても一人分の動きしかできない。

 それはこれから学ぼうとする子どもも同じ。一人分しか学ぶことはできない。

 ならば、できる限り無駄を省いてあげることが、教育において大切になってくる。大人になれば労働に追われることになるのだから。

 ただ詰め込むだけの教育ではなく、子どもの効率を考え、革新的な要素を柔軟に取り入れるヴェルヴェルディの姿勢は、世界や時代など関係なく見習うべきものだ。


「そうですね、その通りです。これからも、できる限り子供達のことを考えて、用意できるものは用意しようと思います。そのためにヴェルヴェルディさんの力が必要だと、改めて強く感じました。これからも、というかこれから始まるんですけど、どうかよろしくお願いします」


 冨岡はヴェルヴェルディに向かって深く頭を下げる。

 学園完成まではもうすぐ。施設と教師、そしてたった二人だが生徒もいる。だがこれは目標達成ではない。目標の一歩目だ。

 しかし冨岡は、その翌日に教えられる。歩き出す一歩目こそ、何よりも慎重にならなければならないと。

 踏み出した足の先に石が落ちていないか。目の前に壁はないか。後ろから誰かが髪を引っ張っていないか。注意しなければならない。

 自分たちが一歩目の準備をしている時、敵もまた阻害する準備を進めているのだ、と。


「王命により、この施設において教育及び福祉活動を禁ずる。繰り返す、これは王命である」


 仰々しい羊皮紙を広げながら、背の低い男が踏ん反り返って冨岡たちに言い放つ。

 移動販売『ピース』営業直前のことだった。

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