第289話 優しさの輪
声に気づいたミルコは、持っていた木材を床に置いて歩み寄ってくる。
「トミオカさんじゃねぇか。一体どうしたんだ・・・・・・ってそうか、工房の契約に来てくれたってことだな? キュルケース家から預かっている書類なら二階にある。茶を用意させるから二階まで上がってもらっていいか?」
そこまで話してからミルコは、ブルーノの存在に気づいた。
「ん、アンタの所の従業員でも連れてきたのか?」
ミルコに視線を向けられたブルーノは、本当に冨岡がミルコの工房との繋がりを持っていたことに驚きながらも、軽く頭を下げる。
冨岡はブルーノの話題になったことを好機だ、と言わんばかりに話を始めた。
「契約のこともですけど、ブルーノのことで話をしようと思って来たですよね」
「ブルーノ? ああ、この人か。何の話だい?」
ミルコが聞き返すと、冨岡は単刀直入に切り出す。
「ミルコの工房でこの人を雇ってもらいたいと思いまして」
「そりゃあ、この工房はアンタのお陰で再建できたわけだし、構わねぇけどよ。木に慣れてねぇ素人が簡単にできるような仕事じゃねぇぜ。恩人であるトミオカさんの頼みなら断れんが、働けるかどうかは本人のやる気次第だ」
そう言ってからミルコはブルーノに顔を向けた。
「ブルーノと言ったな? どんな事情でここに来ているのかはわからんが、アンタもいい歳をした大人だろう。俺が言えることでもねぇが、何かを頼むのならトミオカさんじゃなく、アンタの言葉で伝えるべきじゃねぇのか?」
ミルコ自身、キュルケース家との繋がりを冨岡から与えられている。それによって自分どころか家族まで救われていた。だからこそ、冨岡の優しさを十分に理解している。そんな優しさに甘えてばかりでいいのだろうか、とブルーノに投げかけることで自分にも言い聞かせていた。
その言葉を受け、ブルーノは慌てて頭を下げる。
「その、ここで働かせてもらえないでしょうか?」
ミルコも悪意を持ってブルーノに言わせたわけではない。本人にその意思があるのかを確認しただけだ。
しっかりと頭を下げたブルーノに対して、ミルコは不器用な微笑みを向ける。
「じゃあ、手を見せてみろ」
「手ですか・・・・・・」
指示されたブルーノは、両手を開いて差し出すような形で見せた。
その手をまじまじと眺めたミルコは、何かを確認したように頷く。
「何かしらの職人ではあったようだな。いい手だ。木材にも慣れてるようだが・・・・・・ここしばらくは触ってない。違うか?」
「あ、はい」
申し訳なさそうに返事をするブルーノ。咄嗟に冨岡が「実は」と事情を説明しようとしたが、ミルコの言葉によって遮られた。
「それだけじゃない。手が震えているな。酒の悪魔にでも取り憑かれているって所だろう。仕事ができなくなって酒に溺れたのか、酒に溺れて仕事ができなくなったのか・・・・・・どちらにせよ、職人としては大きな失態だ」
「・・・・・・その通りです」
「職人は如何なる時でも仕事をしなければならん。一日仕事をしなければ技術は大きく下がる。最初は自分が、次に仲間が、最後には客が技術の低下に気づくんだ。それは職人にとって最も大きな罪だぜ」
手を見ただけでブルーノの現状を把握し、厳しい言葉をかけるミルコ。
しかし彼は一呼吸置いてから「だが」と続けた。
「俺も『人として』大きな罪を犯した。それでも、全てを許し救ってくれた人がいる。天地が創造されるみたいな奇跡だ。だからこそ、アンタの『職人として』の罪は俺が許そう。今日から働けるか? ここの工房のオーナーはな、歯が溶けるほどに甘い。その分、俺が仕事については厳しく教えてやるから覚悟しな」
ミルコの言葉を聞いた冨岡は、胸の奥にあった炎に薪がくべられたように感じる。
優しさの輪。連鎖。そんなものが目の前にあった。
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