第54話 革命的なパン
するとメルルは嬉しそうに頷いた。
「おお、よく分かっていますね。私はパンを味だけではなく食感を楽しむものにしたいんですよ。肉や野菜にはないふわふわとした食感を伝えたくて追求しましたから」
自信満々に語ったメルル。
流石にその話を聞けば、冨岡にもこれまでこの世界にあったパンの多くが硬いものだったのだと分かった。
おそらくこの世界で一般的とされていたのは硬くて有名な黒パンというものだろう。保存食であった黒パンはナイフの刃が通らないほど硬いものだった。そんなパンの固定概念を覆す為、メルルは試行錯誤の末にふわふわした現代的なパンを作り出したのである。
冨岡が頭の中で黒パンについて考えているとメルルはさらに言葉を続けた。
「どうぞ、トミオカさんも食べてみてください。食べてもらえればメルルズパンの凄さが分かってもらえると思いますよ」
「え、あ、はい。じゃあ、いただきます」
勧めてくるメルルの圧に押され、冨岡は買ったばかりのパンを手に取る。ほんのり温かく、軽く持っただけで指が沈んでいくような柔らかさだ。
口元に近づけると香ばしい小麦とバターの匂いが冨岡の鼻と食欲を刺激する。
一口齧ると匂いは濃くなり、程よい甘みが広がった。
「んんっ、美味しっ。確かにふわっふわですね」
感想を述べながら冨岡は元いた世界のパンと比べても遜色ないことに驚く。
街を見る限り冨岡が元いた世界よりも様々な面でかなり遅れていた。おそらく中世ヨーロッパ程度だろう。その中でこのレベルのパンを作り出したことは素直に賞賛せざるを得ない。
明らかに驚いている冨岡を見ていたメルルは再び嬉しそうな表情を浮かべる。
「ふふっ、そうでしょうそうでしょう。私って凄いんです!」
胸を張るメルルだったが冨岡はその背後が気になった。多くのパンが並べられている棚である。見る限り売れている形跡はない。売れるたびに追加しているという可能性も捨てきれないが、客が入ってくる様子もなかった。
少なくとも人気店というわけではないだろう。
「でも、こんなに美味しいのにどうして・・・・・・」
冨岡がそう呟くとメルルはわかりやすく肩を落とした。冨岡が口にした言葉の意味を理解したのである。
「ううっ、それ言っちゃいます? 聞いちゃいます? 私だって思いますよ。こんなに美味しいのにどうしてお客さんが来ないのかって。ずっと考えていた結果、私が作ったパンはパンとして認識されていないことがわかりました」
「パンとして認識されていない?」
「はい。多くの人にとってパンとは硬いもので、スープに浸して食べるものだということです。ですから、パンを買おうと思っている時にふわっふわのパンは買わないんですよ」
既に固定された概念を変えるのは難しい。新しく作り出されたものがどれほど良いものだとしても、受け入れられるには時間がかかるだろう。
メルルズパンは革命的すぎたのだ。
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