第52話 メルルズパン

 大通りに戻ってきた冨岡は一枚の金貨を握りしめながら現状を確認する。

 とにかくアメリアが抱えている借金は金の指輪を売却したお金で解決だ。残る問題は今後、継続的に収入を得られる仕事。アメリアやフィーネが美味しいものを食べて喜んでいる表情を見た時から食べ物を扱おうと決めていたが、その詳細な内容まで決めなければならない。

 何を売るのか決めるための市場調査だ。


「じゃあ、何か食べようか。フィーネちゃんが気になるものはあるかい?」


 冨岡が問いかけるとフィーネは周囲をキョロキョロしてからすぐそばにあった小さな店を指差す。


「あのお店に行ってみたかったの!」


 もちろん看板に書いてある文字など読めない冨岡だが、何の店かはすぐにわかった。それもそのはず、看板にはフランスパンのような絵が描かれている。


「パン屋さんか。パンが食べたかったのかい?」

「うーんとね。あのお店の前を通るたびにいい匂いがしてたの。行っちゃだめ?」


 可愛く首を傾げるフィーネ。そんな可愛い頼みを断れるわけもなく冨岡は頷いた。


「いいよ。行ってみようか」


 こうして二人は小さなパン屋に向かう。

 煉瓦造りの可愛らしい二階建ての店から何とも言えない香りが漂ってきた。

 木製の扉を開けるとカランコロンとどこか懐かしい音が響き、奥から声が響いてくる。


「いらっしゃいませー!」


 元気で明るい女性の声だ。

 バタバタと足音が聞こえて来たので店内を眺めながら待つ冨岡とフィーネ。清潔な店内にはいくつかの棚があり、シンプルなパンが並べられている。何かをトッピングしているわけでもない普通のパン。いくつかの種類はあるものの菓子パンや惣菜パンのようなものはなく、フランスパンやコッペパンに似たようなパンだ。言うなればこれぞパン。パパンパパンパンパン。

 そんな下らないことを考えていると店の奥からエプロンを着た短髪の女性が走ってくる。


「お待たせしました! どんなパンをお探しですか?」


 短い赤みがかった茶髪と大きな瞳が特徴的のハツラツとした若い女性だ。

 しかし、どんなパンと言われても売っているのはシンプルなパンばかり。それほど詳しくない冨岡には大きな違いはわからなかった。


「えっと、どうしようかな。フィーネちゃん、どれが食べたい?」


 困った冨岡はフィーネに任せる。しかし、フィーネにも大きな違いは分からないらしく悩んでいた。


「うーん。フィーネ、朝みたいなパンが食べたい」

「あー、メロンパンか。あんまりそういう感じのものはなさそうだね。普通のシンプルなパンのお店みたいだよ」


 冨岡がそう話すとパン屋の女性は気に入らなかったらしく口角を下げる。


「そのメロンパンなんてパンは知りませんが、私はパンそのものの美味しさを追求しているんです。甘いだけのパンなんてパンである必要がありますか? そもそもパンというものは素材の美味しさを最大限活かすために不必要な素材を省いて・・・・・・」


 冨岡の言葉は彼女の心にある琴線に触れたらしい。捲し立てる彼女を宥めるように冨岡が言葉を挟んだ。


「いや、その、すみません。俺もこういうパン好きですよ。シンプルなパンには無限の可能性がありますよね」


 自分で言っていながら意味がわからない冨岡。

 しかし、彼女は機嫌を取り戻したらしく笑みを浮かべた。


「なんだ、分かってるじゃないですか。そうだ、申し遅れましたけど私はメルルです。このお店の名前はメルルズパンですから名乗らなくてもいいかもしれませんが、本当にパンの良さを分かってくださるお客さんには名乗っているんですよ」

「そのまんまだな。あ、いえ、俺は冨岡です。フィーネちゃんがこのお店の匂いを気に入って」


 そう言いながら冨岡はフィーネを紹介する。

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