振り返る

 誰かに呼ばれた気がしたけれど、そこには誰もいなかった。


 乾いた空気に、甘い花の香りが混じっている。背後からゆるくふきつける風は少しばかり肌寒い。

 誰もいない場所で、一本の木が佇んでいた。

 橙の小さな花が風に吹かれるたびにはらはらと落ちていく。細かなノイズが走るようなそれ。落ちていくだけなのに、強い香りは所在を主張する。

 花が呼んだのだろうか。

 否、気のせいだろう。

 止めた歩みを再開する。靴底が砂と擦れる音が、いやに響く。


 最後にもう一度だけ振り返ってみる。


 甘い香り。

 橙の花。


 それでもやはり、誰もいなかった。

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