虹色の花束に想いを込めて。
閑谷
第1話 向日葵
何もかもを覆い隠してしまうような、騒々しい蝉の声。
窓の外は生命力溢れる夏の草木に埋め尽くされていた。
この季節になると、私は忘れもしない彼のことを、思い出す。
あの人と初めて出逢ったのは、七歳の夏。
父に連れられて初めて参加した、お城のパーティーだった。
ドレスで着飾った同年代の子供たちに気圧されて、人見知りな私は泣いてしまいそうになる。
慣れないお城の庭も、一面に咲き誇る真っ赤な薔薇も、目をギラギラさせた参加者も、すべてが恐ろしくて堪らなかったから。
私を隣に立たせてにこやかに会話する父ののっぺりとした
慣れないヒールは走りにくく、足が痛む。
何度も地面の凹凸に躓いて転けそうになりながらも、私は無我夢中で足を動かし続けた。
そして、当然の如く迷子になった。
迷い込んだのは如何やらどこかの庭なようで、薔薇ではなく向日葵で埋め尽くされている。
先程までとは別の意味で泣きそうになった私は、木々のさざめきに紛れて微かに聞こえる子供の声に釣られて歩を進めた。
少し歩くと、背の高い向日葵に閉ざされていた視界が、一気に開けた。
まるでお伽話に出てくるような、お洒落な
そこでお茶を楽しむ王子様の隣に、私は運命を見つけたのだ。
ふと目が合った。
透き通った空色の瞳。
赤く熱を持った顔を彼から隠すように手で覆うと、何かの糸が切れてしまったかのように涙が溢れた。
迷子かな?なんて優しく笑いかけてくれた王子様の後ろで、彼はおろおろしていて。
余りの慌てように、私は思わず笑ってしまった。
彼――シュゼル=アルカント様が宰相令息だと知ったのは、それから五年後。
十二歳となった私の婚約者として、公爵令息の彼が紹介されたときだった。
シュゼル様は、私には勿体無い人だ。
癖のないシルバーの髪は涼しげで、切れ長の瞳によく映える。
冷徹そうな顔立ちも、優しげな笑みを際立たせるスパイスでしかなかった。
勉学の成績もトップクラスで、剣術にも秀でている。
そんな、完璧な人。
対する私なんて、髪はダークブラウンだし、地味だし、成績だって普通。
パッとしない伯爵令嬢の私では釣り合わないなんてこと、周囲に言われなくても私が一番よくわかっていた。
だから、罰が当たったのだろうか。
一六歳の夏、神様は彼を連れて行ってしまった。
あの日、朝食中に家令が飛んできて、珍しく慌てた様子の彼から、シュゼル様の死を告げられた。
王子様とお忍びで王都の視察をしていた最中、賊に襲われたらしい。
彼は、身を挺して王子様を守ったそうだ。
死因は、太い血管をナイフが傷つけてしまったことによる失血死。
人を庇って死んでしまうなんて、優しい彼らしいと思った。
臣下として、王族を守らなければならないなんてこと、私だってちゃんと理解している。
それでも、私は彼に生きていてほしかった。
もっと一緒に下らない話をしたかった。
喧嘩だって、沢山してみたかった。
子供は何人欲しいかとか、どんな名前がいいかとか、そんな話もしてみたかった。
今年中には、そんな話もできるはずだったのに。
今年、結婚するはずだったのに。
彼は私を置いて一人で逝ってしまった。
食堂の窓の外では、途方に暮れたような向日葵がゆらゆらと揺れていたのを覚えている。
あれから、十年の月日が流れた。
二十六歳になった私は侯爵夫人をしている。
シュゼル様の死を知った父は、すぐに次の嫁ぎ先を探し始めた。
貴族の結婚は年齢が重要であるということは、私も分かっていたので、薄情だとは思わなかった。
それから一年間喪に付した後、私は十八歳の春に結婚した。
夢にまで見た、美しい式だった。
だからこそ、相手がシュゼル様でないという事実が私の心に突き刺さる。
結婚した夫は、政略とはいえとても優しい人だし、三人の子供にも恵まれた。
結婚相手としてはこれ以上ないくらい理想的なのだと思う。
私はとても幸運なのだ。
夫のことも、子供たちのことも、迷わず愛していると言えるだろう。
それでも私は、夏になると、シュゼル様のことを思い出さずにはいられないのだ。
昔の婚約者のことを懐かしむなんて、夫に対する酷い裏切りだ。
そんなことは分かっている。
わかっていても、私は彼を想わずにはいられなかった。
――シュゼル様、私は今でもあなたを愛しています。
窓の外では、七本の向日葵が太陽だけを見つめて揺れていた。
虹色の花束に想いを込めて。 閑谷 @RIO_S
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