ラウンド31 誰よりも特別な人



 ―――……





 綺麗に固まるノア。

 その反応に、ジョーは可愛らしく小首を傾げた。



「あれ、違った? まあ、かなりご無沙汰だったのは変わらないでしょ?」



「な……ん……な…っ」



「ピンピン動けるからって調子に乗って、後からしわ寄せがきたらどうすんの。……まぁ、多分大丈夫だと思うけどね。」



 そこでガラリと変わる、ジョーの雰囲気。



「感謝しなよ? かーなーり、優しくしてあげたんだから♪」



 あやしさ満天。

 悪魔という表現がピッタリな、蠱惑的な微笑み。



(まずい! いっ……色気があぁっ!!)



 頼む!

 今すぐその色気を引っ込めてくれ!!



 息ができなくて窒息しそうだ!!

 ついでに、心臓も破裂してしまう!!



 完全にノックアウト状態のノア。

 度の越えたときめきにやられた彼女は、何がなんだか分からないまま口を開いた。



「ア……アル……まさか、この手の経験も…っ」

「何を言ってるの? デートとベッドはセットみたいなもんでしょ?」



「んなアホなぁっ!! お前、情報の対価として体を売ったのかーっ!?」

「僕がそんな低能な方法で情報を仕入れるもんか。向こうがベッドに引き込んできたんだよ。」



 なんと!



 ノアは大きく目を見開く。



「それって、襲われたということじゃないのか!?」



「まあ、そうとも言うかな? 女性はテクニックで軒並み黙らせて、男は眠らせるか叩き潰すかで対処させていただきました。」



「男…っ。お前の経験、ディープすぎるな!?」



「色仕掛けあり、薬漬けあり、暴力あり……ある意味、ベッドの上って一番の戦場だよねぇ。さすがに、拷問と紙一重のSMフルセットには引いたわ。」



「もはや、ディープという言葉でも足りないぞ、それ!!」



「本当に、何度この即席製薬スキルに救われたか。誰かと食事に行くのに、解毒剤・睡眠薬・自白剤の三点セットは欠かせないよ。」



「うおおぉぉっ! だからこんなに余裕なのかあぁっ!! 悔しい!! 今回ばかりは負けたぁっ!!」



 自分だって、伊達に大統領をやってきたわけじゃないのだ。

 それなりにダークな世界を拝んできた自信がある。



 それなのに、こいつが経験してきたダークには勝てる気がしない!!



 これが裏社会の真髄か!!

 私はなんだかんだと、ウルドたちにかなり守られていたようだ!!



 髪を掻き回し、全力で悔しがるノア。





「―――負けたのは、僕の方だよ。」





 ぽつり、と。

 ジョーが呟いたのは、その時のことだった。



「え…?」



 どういう意味か、と。

 ノアは不思議そうにジョーを見つめる。



 ジョーは肩をすくめ、ノアの隣に座る。

 そして、ノアの手をそっと両手で包んだ。



「今さらもう、過去の経験は取り消せないけど―――僕が自分から手を出したのは、ノアが初めてだよ。」

「………っ」



「そして、これがどういう意味なのか……ノアにはもう、分かるんじゃないかな?」

「―――っ!!」



 それは……期待していいのか?



 目を丸くして震えるノア。

 その黒い瞳をまっすぐに見つめ、ジョーは降参と言わんばかりの表情で微笑んだ。





「負けました。惚れましたよ。あなたは昨日―――僕にとって、誰よりも特別な人になったよ。」





 それは、これまで負けたことがない天才アルシード・レインの、初めての敗北宣言。



「………」



 勝てる自信はあった。

 だって彼は、明らかに自分のことが好きだったから。



 だから、いつかはこう言ってもらえるって、確信していたはずなのに……



「~~~~~っ」



 なのにどうして、込み上げてくるのは涙なんだろう……



「ええー? 飛んで喜ぶと思ったのに、泣いちゃうの? 昨日から思ってたけど、ノアって問答無用で押しまくる割には、意外とウブだなぁ。可愛いとこもあるじゃない。」



 ジョーは―――アルシードは苦笑しながら片手で肩を支えて、もう片方の手で涙を拭ってくれる。



 どうしよう。

 何か言わなきゃ。



 言いたいことは山のようにあるのに……



「うううー…っ」



 涙と嗚咽おえつが邪魔して、何一つ言葉にならない。

 それでもこの嬉しさを少しでも伝えたくて、必死にアルシードの服を掴んだ。



「ねぇ、ノア。」



 ふいに、彼が囁く。



「僕はね、自分の感情ににぶい分、他人の感情は目敏く見抜ける自信があるんだ。今ノアが何を言いたいか、当ててあげようか?」



 甘い、本当に甘い声。

 それが鼓膜を通って、全てを溶かしていく。



「認めたからには、ちゃんと責任を取れよ? やっぱり取り消しなんて、絶対に許さないからな?」

「………っ」



「もう返品不可だから。死んだって離してやらないから、お前も絶対に離してくれるなよ?」

「………っ!!」



 一言一句違わずに自分の気持ちを代弁してくれる彼の言葉に、何度も何度も頷く。



 ああ、そうだ。

 この心を奪って捕まえたからには、一生離さないでくれ。



 本当のお前を見つけて、本当のお前に惚れたのは私が最初なんだ。

 私以上の特別なんか、許してやらないんだからな。



「安心しなよ。もう逃げない。」



 頬を滑っていく細い指。

 それに誘われて顔を上げれば、キリハの時以上に優しい瞳が出迎えてくれる。



「離してなんかやるかよ。僕はね、特別だって認めた相手にはとことん甘いんだよ? それに、僕が自分のものに手を出されるのが許せない人間だって、ノアもよく知ってるでしょ?」



 ああもう。

 私は何度この男に振り回されて、籠絡ろうらくさせられればいいんだ。

 魔性の改革王も、愛する男の前では形無しのようだ。



 想いを止められなくて、飛びつくように彼の首に両腕を回す。

 そのまま強引に唇を重ねれば、あっという間にその口づけが深くなる。



 ようやく通じ合った想いを確かめるように、何度でもその甘さを貪った。


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