ラウンド8 これが天才という生き物です。

 ジョーによる診察結果はこうである。



「話を聞いたところ、人間でいうところの風邪のようです。ただ、食欲不振による栄養不足が瞳と鱗に出てますね。胃腸の状態もよくはないとのことです。ドラゴンは人間よりも抵抗力が高い生き物ですので、症状を緩和する薬をどうこうというよりは、栄養剤を豊富に与えて自然治癒力を高めてやる方が早いでしょう。」



「わ、分かりました……」



「ちなみに、今はお肉を食べるのはきついそうです。できれば、魚と果物がいいと。」



「そ、そんなことまで分かったんですか!?」



「ええ。ついでに、肉は牛より羊派、魚は白身魚が好みだと言われました。私に好みの話をしてなんになるんだって話ですけど。……動ける体力がないだけで、思いのほか元気じゃん。」



「で、先ほどの薬は……」



「ああ、これですか?」



 空になった試験管を揺らすジョー。



「呼吸が苦しいって言うんで、気管支を広げてあげる薬を即席で作ったんですよ。基本的な配合は、人間のものと大きく変わりません。あ、成分表はこちらです。」



 薬を調合する前に書いたメモを、ジョーは職員に手渡す。

 そこには彼の言うとおり、いくつもの成分名と配合量が書かれたリスト、そしてその調合手順が書かれていた。



「こ、これをさっきの一瞬で作ったんですか…?」

「ええ、まあ…。とは言っても、ちゃんと事前準備はしてありますよ?」



 くいっと。

 ジョーはスーツケースを示す。



「あそこにある器具は、一定の量を正確に取り出せるように、全部カスタマイズ済みです。持ってきた薬品も、ドラゴンの体組成に合う濃度にあらかじめ調整してあります。なので、実際の症状が分かって、薬の成分比率さえ計算できれば、後はどうとでも―――」



 途中から、皆の目が点である。

 なんでもないことのように言っているが、彼は自分の発言が次元違いであることに気付いているのかいないのか。



 成分比率さえ計算できればと言うが、それを見つけるまでが長いんじゃないか。



 しかも、成分表を紙に書きはしたが、薬を調合している時の彼は、そのメモに一目もくれなかった。



 つまり、そのメモは周りに共有するためだけに書いたもので、自分一人だったら頭の中の計算式だけで薬を調合できるというわけだろう?



 まず大前提として、ドラゴンの体組成に合う濃度に調整した薬品ってなんだ。

 その知識があるだけで、ドラゴン研究がどれだけ進むと思っている。



「あ、そうだ。ちょっとそれ、一回返してください。」



 ぽんと手を打ったジョーは、一度渡した成分表をひらりと取り上げた。



「触診の結果とあのバイタル変化をロイリアの時と比較すると……個体差としては、このくらいが妥当か。」

「……ちなみに、その個体差を算出する計算式は?」

「ああ、はいはい。」



 ペンを走らせるついでなのか、科学者モードで周囲のことが半分どころか完全に見えなくなっているのか、ジョーが言われたとおりに長い計算式を書き加える。



 その結果。



「まったく新しい定義じゃないか…っ」



 全員が顔を真っ青にしてうめいた。

 もはや世紀の大発見レベルの知識を一般常識のように披露されているのだから、その複雑さはいかほどのものか。



「ジョーさん…。キリハ君の話では、研究職に就いてまだ三ヶ月では…?」

「ええ。それまでは、情報部と執政補佐官を掛け持ちしてました。」



「興味本位でお聞きしたいんですけど、この三ヶ月の研究成果を論文にするとしたら、何本分くらいになります?」

「そうですねぇ……論文の体裁を整えられるネタは、四本くらいでしょうか?」



「一ヶ月に一本以上のペース…っ」

「て、天才すぎるだろ……」



 頭を抱える職員たち。

 天才は無意識のうちに他人の心を折ってしまう生き物だということを示す、教科書のようなお手本である。



「え、待ってくださいよ! ジョーさん、逆になんで今まで研究職やってなかったんです!?」



「数年前までは、これで生きていく予定なんてなかったんですよ。ちょっとしたトラウマがあったものですから。」



「でも今は、そのトラウマを克服したんですよね!? だったら、その論文を出してくださいよ!! 国際品評会で文句なしの金賞を取れますって! あと、普通に読みたいです!!」



「いや、別に品評会に興味はないんです。私は道楽的に好きなことができれば、それで構いませんので。出したくなったら、開発部が好きなように出すんじゃないですか?」



「もったいなさすぎます!!」

「こうなったら、ここに移籍しませんか!?」

「そうですよ! この成分表と計算式を見せたら、所長がすっ飛んできますからね!?」



 これはと思った人間はのががさない。

 そして素晴らしい実力を前に、己の些末なプライドを持ち込まないのがルルアの国民性だ。



 一部ではまだ武力を重んじる風潮が残っているが、それもセレニアトップの実力を誇るジョーを前にしては、賞賛の嵐を送らざるを得ないだろう。



「あー……とりあえず、落ち着いてください。そんなにがっつかなくても、ドラゴンに関する個人的研究の知識なら、無償で提供しますよ。そのケースの中身も、好きなように解析していただいて構いませんので。」



 あのジョーが情報をタダで渡すなんて。

 これは、情報をお預けにしてしつこく勧誘を受けるよりも、さっさと情報を渡して満足してもらう方が楽だと判断したか。



「どうぞ、こちらへ!」

「おい、貴賓室の手配だ!!」

「ついでに、所長と副所長も呼んでこい!!」



「ええ…? 結局呼ぶんですか…?」



 ジョーが露骨に嫌な顔をするが、誰もそれに気付いていない。

 皆、ジョーの頭に詰まっている無限大の知識にご執心だ。



(あそこまで才能を隠さずにいるのに、どうして名前だけは許せないんだ…?)



 賓客室に連行されていくジョーを見送りながら、どうしても納得がいかないノアだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る