【名古屋の飲酒運転死傷事故】飲酒運転は撲滅できるのか?
エテルナ(旧おむすびころりん丸)
【名古屋の飲酒運転死傷事故】飲酒運転は撲滅できるのか?
愛知県名古屋市において、未成年者の飲酒運転による事故がありました。
欄干にぶつかり死傷者は3人、全く無関係の方が巻き込まれなかった点だけは良かったものの――
・未成年飲酒
・飲酒運転
・死亡事故
・4人乗りの車で5人乗る
完全にアウトです。
運転者も同乗者も、酒を提供した側も厳しい罰則は免れないでしょう。
EU諸国やアメリカと比べた場合にも、日本は比較的厳しめの措置が取られており、2000年以降に厳罰化が進む中で、それ以前の10分の1程度まで飲酒運転を抑えることができるようになりました。
とはいえ今でも2万人程度が、毎年飲酒運転で検挙されています。
悲惨な飲酒運転による事故ですが、どうすれば撲滅することができるのでしょう?
まずまっさきに頭に浮かぶのが、更なる厳罰化です。
しかし現状の罰則でも飲酒運転をする――言い方は変ですが――選りすぐりの人々ですから、生半可な罰則ではもはや効果は薄いでしょう。
これらの方々も、さすがに飲酒運転が悪いことだという認識自体はあるでしょうが、しかし人並み以上にカリギュラ効果、若しくは正常性バイアスが働いていると思われます。
カリギュラ効果・・・駄目と言われるとしたくなる心理効果。
正常性バイアス・・・自分だけは大丈夫だと誤認する効果。
カリギュラ効果が働ければ、締め付けられるほどに欲望が増していき、また正常性バイアスが働けば、厳罰化したところで、捕まるまでは他人事です。
Twitterなどで一部の方が叫ぶように、死刑となれば抑止力は増すでしょうが、しかしさすがに飲酒運転の罰則自体に死刑を設定するのは無理があります。
死者が出た場合に殺人罪を適用するにしても、明確な殺意と残虐性が認められなければ死刑にはならない上、基本的には過失致死罪となります。
そして過失致死罪に死刑の罰則はありません。
とはいえ仮の話で、もし飲酒運転自体に死刑の罰則を付け加えた場合、他のあらゆる行為も滑りやすい坂論法的に罰則が強化される可能性があります。
故意で酒を飲んでいるのだから、それを分かって飲酒運転をしたのなら死刑で良いとした場合。
じゃあ、ひき逃げも故意なのだから死刑だよね→ならば居眠り運転も睡眠時間の少なさが分かって乗ったのだから故意であり、死刑だよね→運転中にスマホを見るのも、故意なのだから死刑じゃない?→同乗者・車両酒類提供者の罰則も当然強化だ→死刑よりワンランク落とし、無期懲役にしよう。→居眠りもながら運転も、同乗者が気付いていて止めなかったら無期懲役だ……→……→……
これはまあ極論ですが、このように際限なく続くことが滑りやすい坂論法です。
そもそも飲酒運転の何がいけないかというと、酒の接種で判断力が鈍り注意力散漫になることであり、かつそれが故意的であるところです。
それが飲酒運転を禁ずる本質で、その本質に沿って考えれば、注意力が散漫になっている状態を知っていて、故意に車を運転した部分に罰則が敷かれているのであり、お酒に酔うこと自体を違法とする禁酒法ではありません。
注意力散漫な状態になると分かりつつ、それを故意に行うことが悪質としたら、ながら運転も睡眠不足も状態は同じです。
運転中にスマホを見る行為に至っては前を見てすらいないですから、判断力が鈍るのではなく、判断できない状況に自ら追い込んでいるのであり、部分的には飲酒より悪質と言えるかもしれません。
更には自動車事故に限らず、故意なのだからという部分が曲解されれば、盗難も強盗も、故意の器物破損も人を叩いてしまった場合も全て厳罰化です。
暴言を吐いたり書いたり、ポイ捨てしたり赤信号を渡ったり、いけないことだと分かっててやったんだよね? ならばすべて死刑や懲役刑でいいじゃない――
ここまでいくと漫画に出そうな、恐ろしい世界ですよね?
いけないことが全て無くなるのは理想の世界ですが、とはいえ常に命や身柄を天秤に掛けられては堪りません。
もちろん、飲酒運転を擁護するつもりなどさらさらないですし、筆者は付き合いで年間に1杯酒を飲むか飲まないか程度ですので、愛酒家の肩を持つつもりもありません。
ですがあまりに感情的になったり、特に被害者側に入れ込み過ぎると、要望する罰則が途轍もなく厳しくなり、かつAならばBもと、限りなく延焼していく場合があるので、線引きの注意が必要です。
犯罪者を許してはいけませんが、過剰な犯罪者排除は極論、潔白なエリートだけを生き残らせる選民思想に繋がり、それはそれで超危険な状態です。
超監視社会と極刑がお望みならば、日本から出た方が良いでしょう。
何かの物事を解決するには、駄目と決めるだけでは足りません。
厳罰化もある程度までは必要ですが、真に問題を解決するには、刑罰以外にも目を向ける必要があります。
その方法には受動的なものと能動的なものの二種類が存在します。
まずは受動的な飲酒運転の撲滅です。
ここでいう受動的とは、そうせざる負えないという、受け身な形での撲滅を狙ったものです。
一つの例として、アルコール・インターロックというものがあります。これは呼気によるアルコール探知機の延長で、この検査をクリアしなければエンジン自体を始動させることができず、そもそも運転が不可能な状態に追い込みます。
理想的な機材に思えますが、しかし問題もあります。
①全車両搭載には莫大な金と期間が必要。
②抜け道が存在する。
③エンジン始動後の飲酒には対応できない。
①全車両搭載には莫大な金と期間が必要。
この問題については仕方がありません。金と期間が必要とはいえ、進めなければいつまで経っても普及しません。
逆を言えば、車はいずれ壊れるので、今から推し進めていけば、いずれは全車両の搭載が可能です。
とはいえ、車メーカーは運転者の嫌がる装置を忌避する傾向にあるので、勧告ではなく、しっかりと義務化する必要があります。
②抜け道が存在する。
呼気を素面の人間に吹き込ませれば始動できてしまう場合があります。
例え免許を持っていなくても、例え飲みの場にいなくても、居合わせた人間や呼び寄せた知人に息だけを吹いてもらい、エンジンの始動した車に乗って帰ることができてしまいます。
またポンプによる呼気の偽装も可能です。
これらについては単純に呼気だけを測定するのではなく、AIによる呼気動作診断機能を搭載させ、息を吐いたのが運転者本人であることを明確にする必要があります。その後もカメラで顔の診断を継続し、ドライバーが入れ替わった際には再度の検査が必要になるようにしなくてはなりません。
③エンジン始動後の飲酒には対応できない。
車に乗った時には素面でも、乗りながら飲酒をしてしまえば後の祭りです。
このように、アルコールインターロックでは抜け道が存在するものの、強制的に運転させないという点では、個人の意思に頼る厳罰化とは別の抑止力を発揮するでしょう。
しかし罰則にしろアルコールインターロックにしろ、押さえつける方法はフラストレーションが溜まります。
ええ、どうぞ。飲酒運転をするような輩は是非、不快を感じ続けて生きてください。
このように、感情的に言いたい気持ちも分かりますが、その溜まったフラストレーションが向かう先は、結局は何の罪もない一般人です。
真に撲滅を目指すなら、罪のない犠牲を出さない為にも、フラストレーションすら溜めずに抑止できる方法が理想といえるでしょう。
それに該当するのが二つ目に挙げられる、能動的な飲酒運転の撲滅です。
ここで言う能動的とは、自ら進んでそちらを選ぶという、主体的な撲滅を狙ったものです。
が、ちょっと長くなりそうなので、二つ目は次回に回そうと思います。
ご読了ありがとうございました。
【名古屋の飲酒運転死傷事故】飲酒運転は撲滅できるのか? エテルナ(旧おむすびころりん丸) @omusubimaru
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