第21話:……ならばせめて証を残したい



◆◆◆◆



 芳次との立ち会いを終えてしばらく後、光悦は悄然と町を歩いていた。彼に突かれた胸が痛むが、傷の痛みは頓着するまでもない。それよりもむしろ、光悦の思考を支配しているのはより深く、よりたちが悪い鈍痛だ。いよいよ気力で肺病がごまかせなくなりつつある。肺が痛み、動きに切れが失われていく。一生を賭して磨いた技術が、消えていく。


(……拙者の残りの命はあといかほどだ? 近いうちにこの命の灯も消える。それまでに……やり残すことはなんだ?)


 元より幽鬼めいた光悦である。そんな彼が、人並みの生の輝きを見せた時がある。それは、藤と関わっていたあのわずかな時間だけだった。けれども、その輝きも今やくすみ、業病が汚泥のように彼の五体にのしかかっている。


 光悦が足の向くまま歩いた先は、あの荘子楼だった。


「……御免」


 戸口をくぐると、とことこと出迎えに来たのは禿の藤だった。


「これは光悦様。まいどご贔屓に」


 藤はぺこりと一礼した。相変わらず物怖じしないで肝が据わっている。


「……お主に会いに来た」

「ふふ、分かっておりますとも。よろしゅうございます」


 藤は手を引いて光悦を座敷に案内する。「おや、お前をご指名かい? 青田買いだねえ」とすれ違うほかの花魁に言われるも、藤はうろたえることもせずに「はい、いずれは私も姐さん方のように花開きますゆえ」と返すのだった。やがて、二人は座敷で向かい合って座る。


「今日は何をお話しましょう?」


 光悦は静かに茶を啜る。


「それとも、お寛ぎに来られたのですか? もちろんそれも歓迎でございます」


 じろり、と光悦は藤の顔を見る。子供が睨まれたら泣きそうな三白眼だが、藤はにこにこと笑っている。狂っている故の落ち着きだ。けれども、その落ち着きに光悦は心地よさを感じていたのもまた事実だ。何を話そうとも、決して拒絶しないその狂気故の懐の深さに。


「……拙者は、おそらくもう長くはない」


 ややあって、光悦は傷口から血膿を絞り出すように言葉を発した。


「肺病を患っておられる、とお聞きしました」


 光悦はじっと年端もいかない童女を見つめる。


「……然り。そろそろ閻魔の顔を見ることになるだろう」

「それで?」


 何かを理解したのか、藤は居住まいを正す。まるで一流の太夫のように。


「……拙者はまだ若い。この世に未練がある」

「生死のやり取りをされる方でも、未練があるのですね」

「……なければ剣を学ばぬ」


 光悦が外刀流を死に物狂いで学んだのは、誉れのためでもなければ立身出世のためでもない。生きたいと、生き延びたいとただ願ったからだ。泥を啜り血反吐を吐いてもがく生を、剣の極致によって昇華したかった。


「……ならばせめて証を残したい」

「どこへ残されるのです?」


 地を這うような光悦の告白を、眉一つ動かすことなく藤は淡々と聞く。それが、病に身を蝕まれた光悦には心地よかった。だからこそ、光悦は次の瞬間異様極まることを口にした。あたかも、座ったまま刀を抜き放ち、対面の相手を一撃で仕留めるかのように。


「……藤、子を産めるか?」


 その言葉の意味するところを察したのか、藤はしばし沈黙する。けれどもすぐに彼女は首を左右に振る。


「お戯れを。私は禿です。水揚げはまだ先の話」

「……だが、子を作る行為はできる」


 狂ったようなことを言う光悦だが、それに怯えることなく藤は提案する。


「どなたか、うちの妓楼の姐さんを紹介しましょうか」


 しかし、光悦は即答した。


「……女であれば、誰でも良いわけではない」

「つまり、私に光悦様との子を成せと?」

「……そうだ」


 冷静に考えずとも、光悦の提案は狂気としか言いようがない。相手は禿だ。遊女となって床入りなどまだ先の話だ。そもそも藤は童女である。どう見積もっても年齢が幼すぎる。禿を相手に子を成せと言う光悦は、正気を疑われても仕方がない。


「……拙者は女の良し悪しは分からぬ。ただ、何にも怖じないお前のその姿は、不思議と美しく思える」


 それは、無骨で口下手な光悦の精一杯の誉め言葉だった。そもそも、子を成すように藤に求めながらも、光悦は藤に情欲を抱いているようには思えなかった。まるで、藤に遺言を託すかのような必死さだけが伝わってくる。


「ありがとうございます」


 光悦の賛辞を受け取り、藤は深々と頭を下げた。けれども表情は変わらない。


「ですが、私はまだ月のものが来ておりませんので、子はできません。それにこの体では、もし運良く孕んでも流れてしまいましょう」


 淡々と事実だけを藤は告げる。初潮さえ迎えていない童女だ。たとえ月経が始まり妊娠しても、流産は必至だろう。


「……そうか」


 藤の言葉を聞き、光悦はうなずいた。断られると最初から分かっていて、彼は子を成せるかどうか聞いたようだった。果たして藤が「はい。どうぞ可愛がって下さいませ」と言った場合、本当に手を出したかどうかは分からない。ただ、光悦は病によって近いうちに潰える己の無念と執念を、藤に聞いてほしかったのだろう。


「……お前と子の両方の命が拙者によって失われるのは、間違っている」


 そう言って光悦は息をついた。光悦が藤を求めたのは欲情の発露ではない。流産は母子ともに命に関わる。藤の言葉にあっさりと光悦は彼女に対する執着を止めた。あたかも、一度か二度斬り結んだだけで、相手の力量を全て読み取ったかのように。


「ご期待に沿えず、まことに申し訳ありません」

「……無理を言ったのはこちらの方だ。すまなかった」

「光悦様のお気持ちは嬉しゅうございます。ご縁があれば、いつかは」


 まともに考えれば、初潮前の禿に子を産んで欲しいという光悦の頼みは、狂気の沙汰である。しかし、藤は分かっているようだった。これがきっと、彼の遺言であることを。



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