第18話:荘子楼へようこそ。歓迎しよう、盛大にな



◆◆◆◆



 数日後の宵の口。光悦は吉原を歩いていた。手にした風呂敷に以前買った猫の焼き物を包んで持っている。剣客として手が塞がるのはあまり好まない。いつでも何かあれば風呂敷から手を離し、刀を抜ける用意自体はしている。しかし、常よりも光悦の動きは硬い。なるべく焼き物を地に落としたくないのが分かる。


 高い品ではない。唯一無二の品でもない。しかし、これは確かに藤のために買ったものである。そこにはもう、一種の「縁」ができている。割れたら何事もなく買い直せばよい、というものでもないのだ。花街の吉原は相変わらずの賑わいだ。鼻の下を長く伸ばした男たちの間を、煙のようにすり抜けつつ光悦は進んでいく。


 やがて、目的の荘子楼へとたどり着いた。


「おや、光悦殿ではないか。夏祭り以来だな」


二階の欄干にもたれ掛かって煙管を手にし、こちらを見下ろすのは徒桜だった。


「……御免」

「よく来てくれた。さあ、中へ中へ」

「……いや、拙者は」


光悦は客として来たわけではない。雇い人か遣り手に藤を呼んでもらおうと思っていたのだが、当てが外れた。


 しかし既に徒桜の姿は二階にない。わざわざ出向くとは律儀だ、と思う。門扉に姿を現した徒桜は悠然と光悦を招く。


「荘子楼へようこそ。歓迎しよう、盛大にな」


何から何まで遊女らしくない徒桜の態度に、光悦は面食らった。光悦も吉原にはまったくの一見に等しいが、それでも徒桜が破天荒なのは見て分かる。


「……ありんす言葉は使わないのか?」

「元武家の娘、というのが売りでな。こういうのがいい殿方も多いのだ」


堂に入った仕草で徒桜は煙管を吸う。火皿から漂うのは煙草ではなく、病気を予防する薬草の煙だ。彼女が大事に扱われているのがよく分かる。


「……お主が人気の花魁なのも分かる気がする」

「ははは、誉めてくれてありがたい。光悦殿はどうだ? こういう私は好みの女か?」

「……拙者は、女の善し悪しを語れるほど通人ではない」


 まじめに答えてから、光悦は下手なことを言ったと思った。


「……済まぬ。無粋であった」

「なんの。刀には刀の、槍には槍の、弓には弓のよさがある。それと同じだ。そなたはその無骨さが良い」


 徒桜の持ち上げ方に光悦は舌を巻く。見事な話術だ。


「……一介の剣客には分不相応のもてなしだ」

「荘子楼は遊女の数は少なく大きさもさほどではないが、心づくしが標語だ。花街に来る男と言っても、鼻息の荒い者ばかりではない。寂しさや人恋しさに胸を焼く者も多いのだぞ」

「……後学になる」


 そこまで言ってから、徒桜は改めて光悦に尋ねる。


「して、私をご指名かな。光悦殿であっても初会は初会。宴席に上がればつれなくさせてもらうぞ」


 初会とは娼妓が初めて客に買われた時のことだ。遊女はわざとつれない態度で客をあしらい、会話さえしない。しかしそれでも客が二度目に彼女を呼んだ場合を裏。三度目以降を馴染(なじみ)という。吉原の複雑な作法の一つだ。


「……いや」


 遊女らしく秋波を送る徒桜に対し、光悦は腹をくくって首を横に振った。結局自分は無骨に行くしかない。


「……単刀直入に言う。藤には世話になった。礼を言うだけでは武士として不義理というもの。礼の品を買ったので、渡したい」

「世話だと?」

「……あの娘の計らいがなければ、拙者は……」


 言いかけて光悦は言葉を濁す。


「……いや、いろいろあってな」


 まさか「お主の兄を斬ることができた」とはさすがに言えなかった。しかし、徒桜もそれ以上追求しない。


「まったく、光悦殿も藤にはいいように翻弄されているな」

「……いや、そのような」

「ありがたい、心から礼を申し上げる」


 その代わり、深々と徒桜は頭を下げた。


「あの子がここ吉原に来た理由は知っているか?」


 顔を上げた徒桜に対し、光悦はうなずく。


「……元は大店の娘で、一家皆殺しに遭い、以後心にひびが入ったままだとか」


 だから、自分はその下手人とおぼしき者たちを皆殺しにしたのだ。その感触は今も手に残っている。悪党であっても命は命かもしれない。一寸の虫にも五分の魂。だがそれは耳を貸す者に対する言い分だ。自分は剣客であり人斬りだ。人斬りに慈悲など皆無。事実、人を斬るのはおぞましくもあり――これ以上ない程血が滾ったのも事実だ。


「そうだ。天真爛漫で悠然としているが、あの子の心は今も壊れたままだ」


 徒桜の顔が悲しみで曇る。


「藤は明るく気が利くし、皆将来が楽しみだと言っている。しかし幼くして父も母も殺され、狂わなければ己を保っていられなかった心境はいかばかりか。手放しであの子の明るさを誉めることはできぬ。それは、心を壊して手にした金箔の明るさだ」


 ひとしきり藤の境遇を嘆いた後、それでも徒桜は努めて顔を明るくした。


「だが同時に、あの子はそれさえも強みにして、したたかにこの吉原で生きようとしている。娼妓となればどんな男も手玉にとってあしらうことだろう。喜ばしくはある。心を失い、父母を失い、挙げ句の果てに夜鷹となって貧しさにあえぐなど、神も仏もないではないか」


 確かに、藤の将来は遊女だがそれなりに保証はされている。少なくとも蔑まれる私娼として辛い生活を強いられるわけではない。そこまで胸の内を語ってから、徒桜は苦笑した。


「いや、済まない。少し話しすぎた」

「……構わぬ」

「あの子の割れた心を、光悦殿が拾い集めてくれるのであれば、その心遣いは嬉しく思うぞ」


 光悦は首を振った。


「……拙者はそんな、沙門のようなことをしてはいない」

「それでもよいのだ」


 徒桜はにっこりと笑うと、改めて光悦を妓楼へと招く。


「ああ、待たせたな。上がってくれ。藤を呼んでくる」

「……よいのか?」

「あの子も将来の遊女だ。男に指名されたら行くのが道理だぞ」


 知らず、光悦は手にした風呂敷包みを強く握るのだった。



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