第7話:ある夜たちの悪い盗人たちが押し入ってねえ、あの子以外みんなお陀仏さ



◆◆◆◆



「荘子楼の藤って禿かい? ああ、知ってるよ」


 後日。夜の吉原の一角。蕎麦を売る屋台に光悦はいた。屋台の店主は彼に葱と山葵の入った小皿を差し出す。


「物狂いか狐憑きかって言われてたから有名だよ。元は大店のご息女で蝶よ花よと育てられてたらしいんだが、ある夜たちの悪い盗人たちが押し入ってねえ、あの子以外みんなお陀仏さ」


 屋台の店主は顔をしかめる。口さがない男だが、その声は確かに彼女に同情する響きがあった。


「あの子を見つけた岡っ引きの話によると、あの子は首のない母親の死体の前に座って、まるで母親が死んだことに気づいてないみたいににこにこ笑ってたんだって。気味悪がられて当然ってもんだよ」

「……痴れたか」


 光悦はそう呟きつつ蕎麦をすする。


「そりゃあ、目の前でおとうとおっかあが殺されたのを見たんじゃ、物狂いになっちまったほうが幸せだったかもしれないよ。……でもね、その娘があんまり可哀想だったんで、誰かが連れ出してやったのさ。それで、今は吉原の廓の中で働いてるって寸法さ。最初は見世物にして客の同情を引こうって感じだったらしいんだがね」


 屋台の店主は平然と恐ろしいことを口にする。しかし、同時にこれはどんな手段であっても、身一つで稼ぐ道でもあった。


「ところがどっこい、藤は物覚えがいいし器量もよくてねえ、たちまちもったいねえってんで今は荘子楼の禿さ。狂ってるからか変に肝が据わっててねえ」


 藤の天真爛漫さは、彼女の美徳ではなく心が壊れているからだったのだ。


「どんな奴にも物怖じしないで話しかけてくるから、皆もだんだんあの子のことが可愛くなってきたのさ。太夫たちも『あたいも犬畜生みたいに扱われてきたけど、藤はもっと可哀そうだったんだねえ』なんて言って、芸事や三味線も教えてやってんのさ。将来の稼ぎ頭だね」

「……なるほど」


 光悦は短く答えると、汁を一口すする。


「もうじき十三になるはずさ。……おっと、すまんね。そろそろ行かないと」


 屋台の店主は店仕舞いの準備を始めた。最初に店の看板を照らす印紙を畳んで光を消す。天海僧正が広めたこの印紙は、日ノ本で一般に使われる神秘を用いる技術だ。彼の僧侶は剃髪せず、阿蘭陀や葡萄牙とも違う異国の顔立ちで耳朶は鋭く尖っていたとか。


「……勘定だ」

「へいまいど」


 銭を受け取った店主は続いて碗と箸を受け取る。


「……それと、一つ聞きたいことがある」

「なんでしょう?」

「……藤の家に押し入った盗人どもについて、知っていることはあるか?」


 ぞくり、と店主は体を震わせた。それまで胡乱な雰囲気だった光悦の方角から、黄泉に吹くかのような殺気が漂ってきたからだ。


「……さ、さあ。でも、岡っ引きの話によると、ありゃあ黒百足党の連中じゃないかって目星がついてるそうですぜ。お奉行様も手を焼いてるそうで」

「……そうか」


 それだけ言うと、光悦はきびすを返し、吉原の人ごみの中に消えていった。


(なんだってんだ……)


 冷や汗を拭いながら、屋台の店主は心の中で呟くのだった。



◆◆◆◆



 黒百足党の頭目、四ツ目の弥五郎がこの盗人の集団を率いてから数年になる。主な面々は五人で、その下に必要に応じて雇う子分が何人かいる。彼の額にある焼け爛れた傷跡は、育ての母親に焼け火箸でつけられたものだ。それが原因で、弥五郎は無類の女嫌いで有名だった。だがそれ以上に、彼は残忍な盗人として裏街道で知られている。


 世間では残忍で冷酷、人殺しが三度の飯より好きな連中とされているが、弥五郎はそれを楽しみつつも特別人殺しに溺れてはいなかった。単に、生かすよりも殺す方が楽だからだ。江戸にいくつかある隠れ家に五人が集まり、次の計画を立てている時「それ」はやってきた。外の見張りが、金を数えていた二人が、気付いた一人が、順に殺されていく。



◆◆◆◆



「おい、入って来いよ。いきなりブスリと矢が飛んでくることはないぜ。話でもしようじゃないか」


 弥五郎が部屋の奥でそう言うと、ゆっくりとふすまが開いた。むせるような血の臭いがする。こちらに向かって転がってきた生首を見て、弥五郎は鼻で笑った。


「おうおう、首だけになっちまったなあ、源次。肩こりとは永久におさらばだな。はははっ」


 ふすまを開けてのっそりと入ってきたのは、血まみれの侍だった。まるで幽鬼のような男だ。生気がまるでない。行き倒れが歩いているかのような、枯れ木が立てかけてあるかのような不気味さだ。一刀だけを手にぶら下げていたが、のろのろとした動きで鞘に納めた。志度光悦だ。


「残りの三人はどうしたんだよ」


 仲間の無惨な姿を見てもあくび交じりにそう言う弥五郎に対し、光悦は何の感情もない声音で告げた。


「……冥土の入り口でお主を待っている」

「ははっ、そんな仲じゃねえよ。あいつら、さっさと先に行ってるさ。何しろあの世に金は持っていけねえからなあ」


 弥五郎は下卑た笑いを浮かべて、手にした徳利と猪口をちらつかせた。


「まあ飲め。毒なんか入ってねえよ、ほら」

「……いらぬ」


 徳利から濁り酒を注いで飲む弥五郎だが、光悦は首を左右に振った。


「で、俺を捕まえて岡っ引きに引き渡す気か? それとも聞くも涙語るも涙の仇討ちってか? どっちなんだよ?」

「……数年前に、お前は大店を襲って一家を皆殺しにしたそうだな」


 光悦が言うと、弥五郎は額に手をやった。


「待て、思い出す……」


 しかしすぐに、あっけらかんとした顔で彼は首を左右に振った。


「だめだ、忘れた。いちいち殺した奴のことや盗んだもののことなんて覚えてねえよ」

「……そうか。致し方ない」


 すぐに興味がなさそうに打ち切った光悦を見て、弥五郎は大げさにため息をついた。こんな不気味な男は初めて見る手合いだ。


「まったく、なんだよおめえは。死人みたいな奴だな。少しも恨みも怒りも伝わってこねえ。誰かに雇われたか? だったらどうだ。俺に雇われてみるのはどうだ?」

「……なに?」

「この隠れ家にいたのは手練れの四人だ。木刀振り回して武士道なんて言ってる連中と違って、殺しだって何度もやってきたんだ」


 弥五郎はかつての仲間の生首を脚で蹴る。


「そいつらを一人でやるなんて、お前なかなかやるじゃねえか。俺の用心棒になれよ。いくらでも人が斬れるぜ? 斬りたいんだろ?」



◆◆◆◆



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