第37話 建前
「本日はご参加いただきありがとうございました!」
主催者のあいさつの後、会場全体から拍手が起こった。
これでイベントは終了。バラバラと周りの参加者が立ち上がっていく。
「ふたりとも、お疲れ~。無事に脱出できてよかったね」
「はい、サホさんのおかげです」
「もーうまいなー、リリカちゃんは!」
「……なんで得意げなんだ。むしろ足引っ張って——」
「トモナリ、何か言った?」
サホさんが満面の笑顔を恋人に向けた。思わず背筋がぞっとするほどの素敵な表情だった。
「愛してるぜ、サホ」
「うん、あたしもよ。でもそういうのは、帰ってからにしようね」
髪を撫でる彼氏の手を、サホさんがそっと払いのけた。柔らかな顔つきだったが、依然としてその目は笑っていない。
たぶんこのやりとりは日常茶飯事なのだろう。トモナリさんの方に特に気にした様子はなかった。
4人揃って会場を出る。受付を兼ねたエントランスは未だ興奮冷めやらぬといった状況。出口に向かってそれなりの大きさの波が形成されていた。
仕方なく、その最後尾につくことに。女性陣が先を行き、その後ろに俺とトモナリさんが続く。
「それで? 涌井くんは、このあとリリカちゃんとどうするんだい」
「いや何もないですけど」
「そりゃもったいない! よかったら、お兄さんが何かアドバイスしようか。恋の先達者としてね」
バチッとへたくそなウインクを決められた。
イベント中も思ったが、この人見た目と中身のギャップが凄い。黙っていれば、かなりかっこいいのにどこまでも残念な感じがする。
「そういうの間に合ってるんで」
「あらら。もしかして君、意外とプレイボーイなのかい? あんまりそういう風には見えないけど」
「そういうのでもないんで!」
ホントろくでもないことしか言わないな、この男……。半目で睨んでみるが、帰ってくるのは爽やかな笑顔。
そっと前方を窺うが、藍星は大人の女性との会話に夢中のようだった。こちらを気にした様子は無い。
エレベーターを下りきって、百貨店の1階に降り立った。
ふたりはこのあと、他に行くところがあるらしい。
「それじゃあたしたちはこれで」
「よかったら、御笠ヶ原祭来てくださいね」
「ええ、絶対行くわ」
「涌井くん、リリカちゃんと仲良くなー」
「……だからそういうのじゃないですって」
愉快なカップルと別れて、再び藍星とふたりきりに。
さっきまであれだけ賑やかだったからか、何となく物寂しい。辺りの通行量はそれなりだけど、俺たちとは無縁の喧騒にすぎない。
「ふぅ。よかったね、サホさんたちいい人で」
「そうだな」
「でも本当に楽しかったなー。謎解き、全然できなかったけど」
「まあ頑張ってたと思うぞ。たまにはっとするような閃きもあったし」
「涌井くん、それすっごい上から目線」
「それは失礼しました」
大げさなムスッとした表情を前に、肩を竦めて即座に謝る。こちらもわざとらしい口調になるのを意識しながら。
瞬間、藍星が破顔した。手を口元に当てて、よく見る控えめな笑い方。
「で、このあとどうする? そっちの時間大丈夫なら、どっかでお茶でも」
トモナリさんの言葉を意識したわけじゃない。元々提案するつもりだった。
鉄は熱いうちに打て——脱出ゲームを体験した直後なら、いいアイディアが浮かびやすいかもしれない。そういう算段。
脈絡のない誘いに、藍星は嫌そうな顔ひとつせず頷いてくれた。
「そうだね。私も色々意見交換したいな。――そうだ。地下に最近オシャレなカフェができたらしいんだけど、そこ行ってみたいんだ」
「ああ、いいんじゃないか。どうせ俺はこの辺りの店よくわからないし」
「そうなの? あんまり遊びに来ないんだ……例えば、ヒナと、とか」
「ないない。中学以来、あいつとは遊ばなくなったから。というかその前も、校庭とか近所の公園とかお互いの家とか、小学生らしい遊びぐらいだ」
考えてみれば、あいつと一緒に街に出たことはないかもしれない。中学からは、俺は男子とばっかつるんでた。
そうでなくても、異性とわざわざ遠出するなんて特別なことだと思ってた。それは俺にとって縁遠いこととも。そもそも陽菜希を誘うなんて発想はなかった。
結局、女子と初めて出掛けたのは高校に入ってから——変な話、この世界においてはこれが最初になるのか。中身が中身なだけに、特に何の感慨もないのだけれど。いや、相手が相手なだけに思うところはある。
それにしても、陽菜希とこうして遊びに、ね。今の今まで考えたことはなかった。
元の世界では、お互い別のコミュニティに属してそのまま。それっぽい機会も一度もなく。
でも今は違う。陽菜希との仲は健在で——つくづく妙な巡り合わせだ。
思考が途切れ、目の前の女子が妙な表情をしているのに気が付いた。
「なんか藍星嬉しそうだな」
「……へ? そ、そんなことないですって」
「気のせいだったらいいけどな。それで、その店ってどこにあるんだ?」
「あ、うん。じゃあ行こうか」
どこかぎこちない様子で藍星が歩き出す。
あれか。俺が不自然に物思いに耽っていたのが原因か。傍から見ると、変な感じになっていたのかもしれない。
やっぱりちょっと気が緩んでいる。そんな自覚と共に、俺はクラスメイトを追いかけた。
◆
藍星の言うように、そのカフェは外装も内装も真新しかった。確かに最近オープンしたばかりなのだろう。雰囲気でありありとわかる。
当然街の一等地ということもあって、かなり大人気なようだった。
「どうします、他のとこにする?」
「でも、藍星はここがいいんだろ。じゃあ待とうぜ」
そんなやり取りを経て、待機列へと並ぶことに。よほど楽しみなのか、藍星はずっとウキウキした表情をしていた。
「藍星はこういうとこよく来るのか?」
「最近はあんまりかな。今日がわりと久しぶりかも」
「へえ、なんかイメージと違うな。しょっちゅう、友達と遊んでるタイプだとおもってた」
言葉を選ばないのなら派手。スクールカーストのトップで周りには絶えず人がいる。
それはまあ付き合いがなかったころの印象だが。今はちゃんとアップデートされている。
周りが大仰に騒ぐだけで、この子は至って普通だった。クラスでだって、中心というわけでもない。
「むっ、どういう意味かな、それ」
「……友達が多くて人気者ってことさ」
「何か含みがあるような……でも今回は許します!」
「ありがとうございます、藍星大明神」
寛大な心に大げさに感謝しておいた。
「それにしても、脱出ゲームとっても楽しかったよね。あんな感じだとは全然思わなかった!」
「だな。ナゾトキもよく考えられてたし、ストーリーも意外とちゃんとしてて」
「本当、ドキドキだった。でも涌井くんはすごいよね。真犯人も財宝のありかもバッチリ当てて」
「たまたまだって。相性が良かっただけさ」
「私は箸にも棒にもかからなかったのに……」
ずーんと、目に見えて落ち込むクラスメイトI。事前に心配したように、全くナゾトキ耐性はなかった。もう気の毒になるくらい。
たぶん素直すぎるのだと思う。日常生活でも、その断片があちこちに表れているし。
「そこはまあいい経験を積んだということで。そもそも、俺たちの本業はは作り手側。そういう面で参考にすればいいさ」
「だよねっ! その意味ではかなり勉強になったよ。脱出って、なんか本当に閉じ込められて手がかりを探すみたいな感じだと思ってたから」
「あれだろ、それルーム型っていうらしいじゃないか」
イベントの最中にサホさんに教えてもらったのだ。あのふたり、ああいうイベントにしょっちゅう参加しているらしい。
そのわりにはサホさんの活躍ぶりは……いや、やめよう。トモナリさんが頑張ってたから、バランスを取ってただけだ。そうに違いない。
「ねー。そっちの方がいいのかな」
「どうだろうな。参加したことないし」
「じゃあ、今度はそっち系の探してみよっか」
「それもいいかもな。今度はちゃんと陽菜希と百田も連れて」
今日だってふたりがいれば、あのカップルの毒気を浴びなくて済んだ。
いや、いい人たちだったけど。別にずっとイチャついてたわけじゃないし。どちらかと言えば、健全なふたりだった。
ともかく、参考意見は多い方がいい。あいつらも同じ模擬店の担当だから、ちゃんと仕事させないと不公平。
休日が潰された恨みとかではない。決して。
「う、うん。そうだね」
なぜか藍星は曖昧な表情で頷いた。口調もどこかよそよそしい。
そうこうしているうちに、ようやく俺たちの番がやってきた。可愛い制服姿の女性に案内されて、奥側のテーブルへ。
当たり前だが、店内は満席。とても活気がある。
藍星はオススメだというケーキセット、俺はアイスコーヒーを注文した。
待っている間に、向こうが取り止めのないことを話してくる。ふたりでいるとき、基本的に会話に事欠かない。最近はいつもそうだ。徐々に男子に対する苦手意識も薄れているのかもしれない。
「よかったの、ケーキ頼まなくて? ここのモンブランとっても美味しいらしいよ」
そう言うクラスメイトの手元には、件のケーキが載った皿が置かれている。栗のクリームが線状に山を描く、オーソドックスなタイプ。
確かに見た目はとても美味しそうだ。
「いや、今日はいいかなって」
「……もしかして甘いもの嫌いだった?」
「そんなことない、決して!」
「ふふ、なにそれ」
口角を緩めながら、藍星は優しい手つきでモンブランに手をつける。
疲れたときとかよく摂取する。特に元の世界ではそうだった。頭脳労働をすると、すぐに身体は悲鳴をあげるので、
この身体はそんなことないけど。若いというのもあるが、身体作りが功を成したといえる。
問題は、悲しいことに財布にあった。
金欠問題は続いている。いっそのこと前の世界の知識を悪用すれば多稼ぎもできるかも——だが、悲しいことに頭が固かった。あまりいい考えは浮かばない。
俺もまたどこぞの誰かさんと同じで、頭の使い方は素直なのだろう。そう思いながら苦いコーヒーに口つける。
「よかったら、一口食べる?」
半分ほど進んだところで、唐突に藍星は手を止めた。小さく切り分けたモンブランがフォークに刺さっている。
首を傾げて、瞳を潤ませて、とてもその誘いは魅力的。
しかし、この子はこの行為の意味するところをわかっているのだろうか。
いや、たぶん天然だ。100%の善意からの申し出。この極上のケーキをシェアさせたいという優しさ。
じっと、フォークを見つめる。
何か代わりになるものは——さっと視線を這わせてもいい案は落ちていない。
もし頼んだのがホットコーヒーであったらスプーンのひとつでも……しかし今はストローしかない。流石にこれじゃ無理。びたびたにコーヒー風呂に浸かっているし。
なおも藍星はこちらを見つめ続けてくる。純粋な視線に心が痛む。
もう葛藤しなくてもいいか——
「じゃあ貰おうかな」
「ええぜひ! 本当、美味しいんですから——」
俺が手を伸ばす前に、彼女がフォークを持ち上げた。静かな手つきで、そのままこちらに突き出してくる。
……あの、藍星さん。これはいったい。
困惑して相手の顔を見返すが、どこまでも平然としていた。これがさも当然というような雰囲気。
この場においてはやや不謹慎な気もするけど、毒を食らわば皿まで、だ。
「うん、確かに美味いな」
「でしょう?」
恐る恐るぱくついて、ゆっくり咀嚼する。香りのいいクリーム、上品な甘さのスポンジケーキ、組み合わさって生まれる見事なハーモニー。
これは絶品だ。看板メニューなのもわかる。
藍星はまったく動揺していなかった。何事もなかったかのように、再びケーキを食べ始めようとするが、途端にフリーズする。
「あの、どうした?」
「あ、あ、あわわわ、私今とんでもないことを――」
「何もなかった。そういうことにしておこう」
相手の目を見つめて、真摯に言い放つ。その方がお互いにとっていい。
というか、本当に無自覚だったのな、この子。
「……埋めてください、桜の木の下に」
「これまた意味不明なことを」
こうして、藍星は新手の自爆芸を身に着けたのだった。
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