第36話 意外な側面
俺たちが参加したのは、いわゆるホール型と呼ばれるタイプだった。大きな会場に複数グループが集められ、卓上に用意された謎を解くタイプのもの。
受付を済ませて指示されたテーブルに向かうと、そこにはすでに先客がいた。人当たりのよさそうな男女ふたり組み。どちらも社会人くらいに見える。
近づいていくと、にっこりと笑いかけてくれた。
「こんにちはー、今日はよろしくお願いします」
向こうの女性の方が先んじて挨拶をした。
「あ、よろしくお願いします」
はにかみながら、藍星が言葉を返す。
俺は会釈で済ませることに。そのまま流れるように空いた席へと腰を下ろす。
6人掛けだから、もしかするとまだこのあと参加者が来るのかもしれない。周りを見た感じ、必ずしも上限人数に達するわけではなさそうだが。
「ふたりは学生さん?」
「はい、そうなんです。実は今度学校祭で脱出ゲームをやることになりまして。その勉強に」
「へー、そっか。いいなぁ、青春だなぁ。初々しいなぁ」
目じりを下げて、女性はにんまりした表情を俺たちに向けてくる。生暖かい視線はただひたすらにこそばゆい。
やがて、彼女は隣の男性へと視線を移した。今度は一転どこかうっとりした顔つき。愛おしさがふんだんに放出されている。
男性の方も同じような態度で応じる。そのまま見つめ合ってふたりの世界へ。空気感は完全に甘ったるいものへ。
どうやら恋人同士らしいな。これはなかなか目に毒と言うか……ふと気になって、一緒に来たクラスメイトの様子を窺ってみる。
案の定、顔は真っ赤。どこか驚いたような表情で、目の前のふたりに見入っていた。
「藍星、あんまり見るなって」
「……はっ! そ、そうでした、失礼ですよね」
小声で窘めると、落ち着かない様子で藍星は身じろいだ。ひとしきり慌てたあと、今度はなぜかまじまじとこちらを見てくる。
「どうした?」
「い、いえ、なんでもないです。私たちってどう見えるのかなーとか思ってないですから!」
「全部言ってるからな……落ち着け」
「わ、私ちょっと風に当たってきます!」
お得意の自爆芸を披露すると、初心な学園のアイドルはそのまま会場を飛び出して行ってしまった。経験値をいっぱいくれるレアモンスターみたいな逃げっぷり。
始まるまでには戻ってこいよ、と一応声をかけておく。ただ聞こえたかどうかは不明。最悪、呼びに行けばいいか。
視線を戻すと、カップルのイチャイチャタイムはいつの間にか終わっていた。その余韻は軽く残っていたけれど。
「大丈夫? 彼女さん、どうかしたの?」
「そういうアレじゃないんで。言ったでしょ。クラスの模擬店の偵察ですから」
「ふうん。でもふたりでなんだぁ」
「ほかのメンバーは忙しくって」
俺だって、てっきり今日は他の連中もいると思っていた。
藍星が言うには、陽菜希は学祭に出す美術部の作品で忙しいらしい。そして、百田にはなんとなく声がかけづらかった、と。連城は全体を管理する立場だから、あまり仕事を増やすのも、とのこと。
ということで、俺たちふたりでやってきた。まあ謎解きを任されているから、その責任もあったのかもしれない。あいつの張り切りようには目を見張るものがある。
「なるほどな。でもいいよなぁ。あんな綺麗な子でふたりきりなんてさ。役得ってやつだな」
「ちょっと、なによそれ? 聞き捨てならないんですけど」
「今のはただの一般論だって。俺はサホ一筋だよ。世界一可愛い」
「もうやだ。ダメだって、こんなところで」
なんて、俺たちをダシにしてまた盛り上がっている……ザ・バカップル。ふたりの世界をいちいち現実世界に浸食させないで欲しい。能力者か。
しかし、この場にあの赤面体質な女子がいなくてよかった。これを目の当たりにしてたら卒倒したかもしれない。熱中症にはまだちょっと早い季節だ。
こんなことなら、百田くらいは呼びつければよかった。このアウェー感に早くも負けそうだ。
入り口で荷物を預けたからスマホもなくて完全に手持無沙汰。仕方なく、会場全体をぐるりと見回してみる。
テーブルはほとんど埋まってなかなかの盛況ぶり。俺も藍星も初めてだが、意外と流行っているのかもしれない。
壁沿いには今回のテーマに即した小道具が設置されている。孤島の閉ざされた洋館で隠し財宝探索。その最中、参加者のひとりが殺され——というのがあらましだ。
「ごめんね、涌井くん」
「いいよ。間に合ったんならひと安心だ。すっかり落ち着いたみたいだな」
「うん——財宝見つけて、一緒に大金持ちになろうね!」
開始ギリギリになって戻ってきた我が相方は、すっかり物語に入り込んでいた。
……ホントに大丈夫だろうか、この娘。
◆
「うぅ……頭がこんがらがってきた」
タブレットと一生懸命に睨めっこを続けていた藍星だったが、弱り切った声を上げるとぐっと背もたれに身体を預けた。
ゲームは中盤に差し掛かっていた。財宝の在り処がわかったとか嘯いていた私立探偵が殺されたところ。絵に描いたようなイヤミな奴だったので、まあ予想はついた。
「これあれでしょ、論理パズルとかいうやつ?」
「なんですか、それ?」
「知らない? 誰がいちばん足が速いでしょうか、みたいな問題」
ピンと来ていない藍星に、サホさんが有名な論理パズルの一例を挙げる。複数の証言があって、それぞれを組み合わせると答えが出るという仕組み。
未だされている設問がまさにそれなのだ。ただ、ぐっと難易度は高い。証言同士の矛盾だけでなく、他の手掛かりとも合わせて考えなければいけない。
もはや、本格的な推理ゲーム。苦手な人はとことん苦手だろう。
「どうする? ヒント見ちゃう?」
「そうやってトモナリは……」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ涌井くん、考えてるみたいなんで」
ほかの3人はすっかりお手上げのようだ。制限時間もあるし、ときにはさっぱり諦めるのも大事だが……。
もう少しで何かがわかりそうなのだ。手元のメモに記した断片的なメッセージをぐるぐると囲む。さっき証言を見たとき、強く気になったいくつかだ。
閃きというのは、ひょんなことからやってくるものだった。唐突にある可能性を思いついた。
「藍星、ちょっとタブレット取ってくれ」
「うん。もしかして、何かわかったの」
「ああ。――っと、これだ」
タブレットを操作して、自分の推理が間違ってないことを確かめる。ちらっと見ただけだったが、自分の記憶力も悪くないとやや自画自賛。
不思議がる藍星たちに、俺はまず屋敷の見取り図を示した。その後、証言一覧のページへ。
「暗がりの中で大きな月を見た、とか言ってるけど、窓の位置関係的に見えるはずないんだよ」
「……あ、確かに。じゃあふたりのどっちかが嘘ついてるってこと?」
「そういうこと。それはたぶんサルワタリだな」
「えー、どうして? そんなのわかんなくない?」
「これですよ。月明かりのおかげですぐにブレーカーを上げられたって。この窓の向きを考えれば——」
「なるほど。確かに、客室からは月は見えないな!」
トモナリさんに結論を取られてしまった。
まあいいか。気を取り直してタブレットに答えを打ち込む。正解か不正解かは終わるまでわからないが、自分の答えには自信を持っていた。
次の問題が表れ、俺はタブレットをテーブルの真ん中に置いた。すかさずカップルが画面をのぞき込む。
「すごい、すごいよ、涌井くん! 名探偵みたいだった!」
「いや、まあそんな褒められるようなことじゃ……」
「ううん、そんなことあります。だって、私は全然わからなかったもん」
「こういうのって経験もあるからな」
「……え、殺人現場に立ち会ったことあるの!?」
俺の言い方も悪かったが、その発想はあまりにも物騒すぎやしないか、藍星よ。それこそまさに、探偵じゃないか俺は。あるいは死神。
突飛な発想に、ほおを緩ませながら首を振る。
「そういうことじゃなくて。――推理小説とか好きなんだ、俺」
「あー、そっちか。なるほど、なるほど。私はあんまり読まないんだよね、そういうの……」
どこか残念そうな表情で藍星は俯いた。
「最近の子って、あんま本自体読まないしな」
「なにその言いかたー。涌井くんだって、最近の子でしょ」
ふふっ、と藍星が優しく笑みを溢す。ちょっと顔を傾げると、右手で耳の辺りの髪を撫でた。
「でもね、一応本自体は読むんだよ」
「へえ。どんなの読むんだ?」
「それはね……秘密です」
悪戯っぽい表情で、図書委員は人差し指を唇に当てた。わざとらしい仕草は、どこか艶やかさだった。
つい見惚れてしまい、言葉を失う。時々、ホント目に毒なことがある。しかもそれはいつも不意打ち気味だから、身体が持たない。
「ちょっとそこの若人ふたり。なにイチャついてるのかな。早く次の考えよ」
「――そんなことしてません! 涌井くんのせいで勘違いされちゃったじゃないですか!」
「いや、俺だけのせいか……」
どちらかと言えば、そっちのせいだと思うんだけど。ただそれを口にしたところで、事態がよりややこしくなるだけか。
もう少し、自分の魅力に自覚的になるべきだと思うのだ、この子は。振る舞いがあまりにも純真すぎる。
それがいいところだとは思うけど。
「何か言いました?」
「いや、次こそ藍星さんの活躍が見たいなーと」
「……い、言われなくても見せてあげるから!」
「そうそう、その意気よ、リリカちゃん!」
張り切る女性陣をしり目に、俺はトモナリさんに目配せをした。
このふたりやる気だけは凄いんだが、なかなか空回り気味。
心底、先が思いやられるのだった。
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