第34話 停滞と進歩

 無言の時間が続く。

 やけに大きく聞こえる秒針の音。室外からは久々の課外活動に歓喜する御笠ヶ原生の賑やかな声と楽器の音。

 ラウンジはすっかり静寂に満ちていた。5人で貸し切りだ、と騒いでいたのは今は昔のこと。


「……宇宙船ってのはどうだ?」


 沈黙を破ったのは百田。朗らかな声の調子とは逆に、その表情は曇ったまま。特に、眉間の皺がすごい。

 机に両肘をついて手を組んでいる姿は、悪の会議のメンバーじみている。


「これまた突飛だな。『宇宙船からの脱出』でも字面は悪くない」

「たしかに〜。なんかありそうな感じする。宇宙船なんて究極の極限状態だし、なんとか脱出しなきゃってなるね」

「うん。学祭というイベントに対して、非日常感がいいアクセントになってるわ。足立にしてはなかなかやるじゃない」

「へへっ、そんな褒めんなよ。何も出ねーぞ」

「じゃ、あたしからぞーてー」


 バラバラと丸机の上に飴玉が撒かれた。フルーツ味のアソートで、百田が早速嬉しそうに手を伸ばす。

 連城はいつも何かしらのお菓子を持っている。それは昔からそうだった――なんて思いながら、俺もテキトーなひとつを手に取った。


 ほのかな甘さが身体に染み渡る。これはどうやらグレープ味だ。

 考えてみれば、疲弊しきっていて当たり前だ。

 この会議の前にはテストを受けてたんだから。しかも4日間連続で。


 見ると、陽菜希も連城もあめ玉を舐めていた。ふたりも、いや百田だってその顔はかなりくたびれていた。


「…………あの、脱出したら死ぬよね」


 つかの間の沈黙を、透明感のある声がコーヒーに溶かすスティックシュガーのように破っていく。

 ゆっくり目を向けると、声の主はとてもいたたまれない表情をしていた。最後まで沈黙を保ち、ずっと会話に違和感を覚えていたのかもしれない。そして、言い出すタイミングを見計らっていた、と。


 場の雰囲気は一変する。さっきまでの、どこか間延びしていた雰囲気はとうに失われた。微かな緊張と閉塞感。あめ玉はどんどん味気ないものへと変わっていく。


 わかっていたのだ。これが無理筋だということは。それでも、なんとかこの場を無理に盛り上げていた。それくらい、さっきのアイディアは久しぶりで貴重だったのだ。


「そ、そこはほら、きらめく星になろー的な」

「そうそう。みんな星好きじゃない。ほら、りりちゃん。先月の天文部のイベント!」

「ううん、そうかな……そうかも……? そうだよね?」


 ひどく自信なさげに藍星は首を傾げた。混乱と葛藤が目に見えて伝わってくる。場の雰囲気に水を差したくはない。けれど、そうも言っていられない。そんな矛盾に板挟み。


 藍星だってわかっていたのだ。会議が行き詰まっていたことくらい。本当は俺たちに混じって、無駄に考えを膨らませてもよかったはず。

 それをしなかったのは、ひとり冷静であろうとしたからか。ああ、なんて健気だろう。その献身っぷりに頭が下がる。


 ゆえにこそ、その役を今度は俺が担おう。というか、性格的に自分の方が向いている。

 さっき脳死的に、百田に賛同した己を少し恥じた。藍星の葛藤ぶりに心が痛む。


「なあずっと思ってたんだけどたんだけど」静かに、だが声はしっかり張って切り出す。「脱出ってなんだよ」


 途端、部屋の空気が凍りつくのがわかった。ピキピキと、明らかに空耳な擬音まで聞こえてくる始末。開けてはならないパンドラの箱を開けた気分。

 けれど、途中で閉じることはできない。最後に残った希望が出てくるまでは——って、本当にこの先にそんなものがあるんだろうか。


「閉じ込められた空間から出ること、じゃないのかな」

「さすがりーちゃん。優等生的解答!」

「いやそれはわかってるけど、そもそも参加者は自分から閉じ込められにいくわけじゃないか。なのに脱出しようなんて、ひどい自己矛盾を抱えてるぞ」


 だからこそ、舞台設定の緻密さなんて厳密に気にしなくても……そう続けようとしたが、言葉はうまく出てこなかった。

 クラスメイトたちの視線は思ったより鋭かった。差異はあれど、一様に「なんだこいつ」とそんな目をしていた。


「うわー、そういうこと言っちゃうかー。ゴクアクヒドーだ!」

「今のは流石にないわね……引くわ、唯奈の将来が心配……」

「涌井くん、現実主義者だったんですね……夢も希望もないなぁ……」

「お前さんあれだろ、サンタとか信じてないだろ」


 連中は口々に好き勝手なことを言ってくる。特に幼馴染が最も辛辣だ。妹のことを引き合いに出さなくても。

 というか、藍星はこっち側のはずだ。元を辿れば、ことの発端はこのお方。すっかり裏切られた気分。

 まあどこまでも自分勝手なんだけど。こんなことを言い出したら、始まりからしてそうだった。


「へいへい、どうせ俺は血も涙もない機械のように冷徹な人間ですよ」

「あーあ、すっかり拗ねちゃってる。意外と子供だねぇ、孝幸君」

「言ってろ」


 顔を顰めてから、机の上の資料に手を伸ばす。今日のためにと、連城がわざわざ作ってきたものだ。タイトルは『魅力的な脱出ゲームを作るために』。


「しっかし、こんなに大変だとは思っていなかったわ。てっきり、ナゾトキを考えればそれですむと思ってた」

「私もそうだよ。この日のために、色々となぞなぞの本で勉強したのに」

「あの、昨日までテスト前だったよな」

「りーちゃん、そんなに余裕だったんだ」


 さっすが学年2位は違う、と百田と連城がばっちり声を揃える。ご丁寧に見事なユニゾンまで披露。


 そんな反応をされれば、あの藍星は恥ずかしさにドギマギするばかり。真っ赤になって、違うんです、とか、そうじゃなくて、とか、うわごとのように否定の言葉を繰り返している。なんだか、久しぶりに見る光景だった。


「というか、それは葉月だって同じでしょ! まだテスト残ってるっていうのに、こんな資料作ってきて」

「確かにな。結構時間かかったんじゃないかい、はづっきー」

「あー、これ? なんか色々調べてたら、身体がうずいちゃってさー」

「なにその変な衝動……まあ、でも本当によく作られてると思うわ、これ。葉月ちゃん、こういうの得意だったなんてちょっと意外かも」


 それは俺も思ったことだ。明らかにパワーポイントを駆使して作られたこれは、かなり出来がいい。

 これが未来の連城であれば、意外性はない。立派に社会人をやっていたのだ。とある企業で、マーケティングの仕事をしていた。これくらいお茶の子さいさいだろう。


「むっ、ぴよちゃん。失礼だなー」

「誰がぴよちゃんよ! まあ、さっきのは謝るわ。失言だった」

「うん、アタシもごめんね、ヒナのん」


 そんなことを思っていると、なぜか目の前で心温まる光景が繰り広げられていた。なんなんだ、このふたり……未だに、この組み合わせには少し慣れない。


「すっかり脱線したけど、今日はもうお開きにしないか」

「それ、孝幸君が言うんだ!」

「……なんで俺が悪い流れに。いや確かに変なこと言ったが、その前に横やりを入れたのは藍星だぞ」

「りりちゃんは、そんなことしてないでしょ。冷静にあたしたちの暴走を止めてくれたのよ」

「記憶が改ざんされている……」


 げんなりしていたら、ポンと真横の男子から肩を叩かれた。落ち込むなよ、力強い顔がそう物語っている。

 さすが普段こういう役割を演じてるだけのことはある。妙な説得力を感じた。


「じゃあ週明けまた話し合うってことで。みんな、持ち帰ってよく考えてきてねー」


 承諾の意思を思い思いの言葉で告げる。見事に全員バラバラだった。こんなんでこの先やっていけるんだろうか。


「あ! もちろん、孝幸君とりーちゃんにはナゾトキの方も期待してるかんねー!」

「うん、やれるだけのことはやってみる!」

「……ね、どうしてりりちゃん、こんなやる気満々なんだろ」

「……俺に訊くなよ」


 いつかの子供だましななぞなぞを答えられなかったことを知っている俺たちとしては、これこそ一番の謎なのだった。




        ◆




 その夜のこと。

 風呂を済ませて部屋に戻ると、スマホを手にしてベッドに腰かけた。

 日課のランニングの後もあって、身体は心地よい疲れを感じている。このまま、寝そべり目を閉じれば意識はどこまでも落ちていくだろう。


 だが、そんな微睡みはスマホを点灯させてすぐに吹き飛んだ。

 送信者とその内容、どちらにも驚かずにはいられない。


『今度の土曜日、空いてますか?』

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