第33話 祭の前の

 扉を開けると、幼馴染はあからさまに寝不足そうだった。

 身だしなみはきっちりしている。髪型もいつも通り。ただ、顔色が若干良くない。特に目の下が気になる。


「大丈夫か、お前」

「なにが?」

「何がって……あきらか不調に見えるんだけど」

「もしかして、遅くまで勉強してたの? 気合入ってるなー」

 姉貴は心配ではなく、感心するような声を上げた。


「だってこれ以上差がつくの嫌だし……」


 小さく言うと、陽菜希は少しだけ目を見開いた。そのまま「行くわよ」と、何事もなかったかのように歩き出す。

 その横に、無邪気な我が妹が走っていった。嬉しそうな様子で、近所のお姉さんとの会話を始める。


 昨日も、陽菜希はうちにやってきた。姉貴は不在だったので、俺とふたりで勉強した。これまでの日々でもっとも集中していたと思う。


「ヒナは頑張り屋さんよねー」

「そうだな。たまにやり過ぎだと思うけど」

「なんだっけ、いつだったかのリレー」


 姉貴の言葉にさっと記憶を検索する。たぶん小学生時代の話。かなり昔だが、わりとすぐに検討はついた。


「あー、毎日特訓してたやつな。走りすぎて、逆に足痛めちゃって」

「歩くのも大変そうだったよね。アンタ、おんぶしてなかった?」

「そんなことあった——」

「そこ、余計な話しないっ!」


 我らの妹お喋りに夢中だと思っていたら、見事なカットインを披露してきた。地獄耳だ。

 あまりの勢いに、唯奈はビックリしたような顔してるし。可愛い。


 とにかく、そんな調子ならテストも大丈夫だろう。顔色なんかすっかり元通り。いや、それを通り越してトマトのようにフレッシュ。


 結局、いつものような登校風景が広がる。幼馴染の不安も少しは晴れたようだ。


「みんな、テストがんばってねー」


 終いに天使に励まされて、俺ももう向かうところ敵なしの気分だった。


「ふたりとも、最後までねばーぎぶあっぷ!」


 こっちはわりとどうでもいい。よく言われてることだし。

 そんな感じに、いつものようにふたりになって教室を目指す。普段と違うのは、会話がないことくらいか。


「どした?」


 教室に入る直前、不自然に足を止めて陽菜希がこちらを見上げてきた。

 何かを求めるような視線に、なんとなく察しをつける。


「大丈夫だって。あれだけ一生懸命やったんだから、自信持って」

「……うん。やれるだけやってみる」


 どこか憑き物の落ちた表情で、陽菜希はさりげなく頷いた。

 意外と可愛いところあるよな、といつもとは違う弱気な姿にふと思う。悪くない、しみじみしながら自席に向かった。


「おはよー、孝幸くん!」

「おう、おはよう」


 席につくなりなり、元気よく連城に話しかけられた。

 これから高校に入って初の本格的なテストが始まるとは思えないテンション。今日までの猛勉強の日々が、それなりの自信を与えたのだろう。


「えー、そんなことないよー。ただ、今回は頑張らなきゃとは思ってます。せっかく、孝幸君に色々教えてもらったし」

「それは別に気にしないでもいいけどな。ま、お互い気楽にやろう」

「うわー、余裕たっぷり……そうだ、放課後さ、また勉強教えてよ!」


 意外な言葉につい怯む。テストが始まってしまえば、あの勉強会ともオサラバできると思ってた。学校は基本的に居残り厳禁だ。

 それに——


「……もしかして足立も一緒か?」

「そだよー。でもどうして?」

「いや、なんとなく。俺は遠慮しとくよ。邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔なんてそんな……むしろ助かるんだけどな」

 妙な言い方に思わず身構える。


「なんでさ。足立、いいやつだろ」

「いや、そうだけど。わかんないとこ教えてもらえるかなーって話。なんか、共倒れになりそうじゃん」


 ああ、そういう話か。土曜のことがあって

、ちょっと変な風に捉えてしまった。ホント、あの対峙は凄まじかった。

 

「別に、足立もかなり実力つけたから平気だと思うぞ」

「そうかなぁ」

「とにかく、テスト期間はまっすぐ帰ることにしてるから」

「あはは。変なの、今回が初の定期テストなのにー」


 実は違うんだ。もはや日課となったモノローグツッコミを行って、俺は世界史の教科書を広げた。




        ◆




 最後の科目はコミュニケーション英語だった。読解中心の内容。問題文も教科書の英文ままなので、特に困るところはなし。


「はい、手止めろ―。この先動いたやつ、数学0点にすっから」

「でもよー、葛西先生。そんなこと言ったら答案回せないぜ」

「じゃあそれ以外に妙な動きを取るなよー」


 いちいち指示内容が物騒だな。銀行強盗じゃあるまいし……。


 なんとも言えない気持ちのまま、答案で連城の背中をつつく。

 にこやかな顔で振り向くと、まずこちらの答案をチラ見。一瞬目を丸くしたあと、少しもの悲しげに回収してくれた。

 自分のでき具合と比べてしまったのかもしれない。


「じゃ、ホームルーム始めるぞ。号令」


 下校に必須な儀式がシームレスに始まった。

 いつものように葛西先生の話はシンプルで短い。不可欠な連絡事項だけをダミ声でピンポイントに話していく。


「えー、テストが終わったからと言ってくれぐれも浮かれないように」

「それはあれですか。先生のお給料が減るからですか?」

「わかってるなら、訊くな、足立。まー、お前さんは愚直に白球を追い続けるだろうから心配はしてないが」

「なんか馬鹿にされてるような……」


 お馴染みのやり取りに教室がどっと沸く。長い抑圧から解放されて、すっかり1年2組の教室の雰囲気は緩みきっていた。


「孝幸君、放課後予定ある?」


 ホームルームが終わるなり、連城がこちらを振り向いてきた。その顔には、どこか挑むような笑みが浮かんでいる。


 いつかの時とは違って、まるで心当たりはない。ただ嫌な予感だけはひしひしと感じる。どうせろくでもない用事だろう。

 のろのろと帰り支度を進める友人へと視線を移す。


「百田。この間言ってたうまいラーメン屋、今日行こうぜ」

「ん、おお。いいけど。急だな、わっきー。そんなに俺のことが恋しかったのかい?」

「……というわけで、今予定が入ったところだ」後半の言葉は聞かなかったことにして、再び連城の方に目を戻した。「悪いな」

「お昼食べるんだったら、ひと仕事してからの方がいいんじゃないかなぁ。ほら、時間はまだ少しあるっしょ」


 にやりと悪そうに笑って、連城はふと教室前方の時計の方を見た。

 確かに、昼飯にはまだ早い。普段だったら、弁当の時間はまだ先だ。……そろそろ早弁に手を出し始める奴が出てきそうな時間帯ではあるけど。


 まじまじと、相手の顔を見返す。その口ぶりに、ようやくこいつの用件にアタリがついた。


「……学祭関連の仕事か?」

「お、話が早いね、わっきー!」

「お前まで……いや、まあそっちならいいけど」

「ん、なんか言った?」

「別に」


 素っ気なく言って軽く首を振った。

 連城は怪訝そうな顔でこちらをじっと見つめてくる。ちょっと距離が近い気がして、俺は小さく身体を逸らす。

 勉強を教えてるときもそうだが、こういう不用意な視線のぶつかり合いは未だに苦手だ。たぶん、もう2度と慣れることはないのだろう。


 微妙な気持ちでいると、隣りからガタッと妙な物音。

 救われたような気持ちで顔を向ける。


「いやー、なんかお取込み中のようなので」

「待て。逃げるな。ラーメン」

 即座に、友人の太い腕を掴む。

「別にラーメンは逃げないぜ、わっきー」

「ここまで来たらお前も道連れだ」

「そうそう、ももたん。あのね、人手っていくらあってもいいんだよ?」


 連城が例の悪魔的な笑みで逃亡者の横に回り込んだ。こればかりはナイス。

 そこにさらなる強力な援軍が加わった。


「なに、まだ揉めてるの?」

「あ、ヒナのん、りーちゃん! ごめんねー、せっかくテスト終わって自由だ―ってときに」

「ううん、全然。学祭のことやんなきゃだもん。むしろ楽しみ、わくわくしてる!」


 廊下組のふたりが鞄を持ってこちらにやってきた。

 どうやら仕事を頼まれたのは俺たちだけではないようだ。というか、口ぶりからすると、もっと前に聞いていた疑惑がある。


「あー、うん。ヒナのんたちには昨日ちょっとラインして」

「……なぜその配慮は俺にないんだ」

「ま、いっかなーって。席近いし、どうせ用事もないだろうし」

「さらっと悪口を言われた気がする」


 まあしかし、連城の言う通りなのだが。毎日放課後に何かしらの用事があるほどのリア充生活は送っていない。ベースは1周目と変わらず。ときおり、予期せぬイベントが挟まってくるというスタイル。

 だからまあこれもまたその一環か。


「おいおい、この面子はもしかして……」

「そうだよー。ももたんも、模擬店担当っしょ。だから残ってね」


 だったら、初めから俺だけでなく百田にも声を掛けろよ、と思う。そうすれば、俺たちもここまでゴネることはなかったのに。

 テストが終わったから、学祭に向けて準備を少しずつ進めていく。その必要性はよくわかっている。


「え、なに。こいつ帰ろうとしてたわけ?」

「い、嫌だなー、陽菜希さん。そんなわけないじゃないすかー」

「どうしたの、ヒナ。何かあったの?」

「この間の保健委員の会議、バックレたのよ」


 射抜くように鋭い目つきで、陽菜希はもうひとりの保健委員を睨んだ。軽蔑、失望、憎しみ、怒り、この世のありとあらゆる負の感情が込められていそうな視線。

 可哀想には思う。ただ、さすがに擁護のしようはなかった。


「うわー、それはないわー、ももたん」

「見損なったぜ。サボりは良くねえよ」

「ね、いつもそういうの忘れてるの、誰かなー」


 斜め向かいから意味ありげな視線を感じる。気づかないふりを決め込むが、やはり無視するのはキツかった。

 仕方ないので、逆に真正面から受け止める。真面目な顔を作って、あの黒々とした瞳を覗き込んだ。


「藍星、俺はお前のことを最大限に信頼してるんだ。だからこそ、ちょっと甘えすぎていたのかもしれない」

「ごまかされるわけないよね、そんなので」

 ピシャリと封殺。が、そのわりには藍星の耳は赤かった。


「まああれだよ。こういうことがあるから、ふたりには事前連絡しなかったってわけ!」


 学祭委員がしたり顔でこの場をまとめてくれた。絶対、今その場で思いついたことだろう。

 呆れながら目を逸らすと、殊勝な表情の友人と目が合った。たぶん俺も似たような顔をしてるんだろう。

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