7月8日 PM1:30
「うぅ...、じゃあ、お願いしようかな。」
マスターの紙袋を一個左手で抱えた。適当に近い方を拾ったのでバーボンやウイスキーなどの酒瓶が詰まっているこの中で一番重いであろう袋をとってしまったが、マスターが残りの袋は籠にいれて、発泡スチロールは後ろにロープで括り付け始めたため、別のにしたいと言い出せずこのまま持つことにした。家帰ったら、手が痛いだろうな。
「よし、行こうか」
しっかりと自転車の後ろに括り付けられた発泡スチロールを支えにしてマスターは立った。自転車のスタンドを解除して、押し歩き始めた。
二十分ほど歩き、さっきまでランニングしていた並木通りを俺とマスターとで並び歩いている。マスターは軽い世間話を俺にしながら歩いている。
マスターは話すときに人の目をちゃんと見る人だ。バーの客に対して、どんだけ人見知りを発動しようとも目だけはちゃんと合わせている。今もマスターは俺の目を見ながら歩いているが、マスターは背が小さい。そのため俺の目を見上げて見ている。
俺は平均男性よりも少し大柄な182cmだが、マスターはというと、俺の肩の少し下辺りにマスターの頭がくる。つまり30cmくらいは差がある。さらにマスターは、毛が薄く髭なんて生えていない。声もあまり低くないし顔も...童顔。どうも歳上という実感がわかない。なんか、こども扱いをみんなからされそう。マスター自身はどう思ってるのだろうか。
「あの、失礼承知でお聞きしたいのですが、マスターって中学生とか高校生と間違われたりしませんか?」
...黙った。タブーだっただろうか。やっぱ気にしてるのかな。
俺が謝ろうとした瞬間にマスターは息を大きく吸って喋り出した。
「めっちゃくちゃ間違えられるよ!俺もう26なのにさ、定食屋行けば学割付けとくねって言われてさ、それに対して俺も年齢いうけどさ、信じてくれなくて保険証見せたらなんか気不味くなるんだよ。俺悪くないのに!」
あ、タブーだった。
「あとさ、何度も何度も行ってるのにさ、毎回毎回保険証見せないと俺には酒買ってくれないしさ、夜にさ、ショコラに行くために外出たら秒で補導されるしさ、挙句昼にでて早くショコラに行こうとして、ショコラの扉開けようとしたら警察に話しかけられたよ。俺の店!そこ俺の店!って保険証と鍵突きつけてやったよ!」
マスターは俺に感情の思うがままに愚痴をぶつけてきた。
「愛川くんはいいよね、背高くて。モテそうだし、足速そうだし...」
なんだろう、めんどくさい酔っ払いみたいだ。でもこの声で絡まれるのはなんだか面白い。
俺がモテそうってか...高校では一軍だったから女には囲まれてたな。そして何人とも付き合ってたけど、恋人って呼べるように愛があった関係じゃなくてほとんどがただただセフレのような奴らだった。でも、こんなことマスターには言えないな。
「いえいえ、全然モテなかったっすよ。」
「へぇ意外。でも一回くらいは付き合ったことくらいあるでしょ。ていうか初体験はもう中学で済ましてそうだよね」
それは割と珍しくないよな。ていうかやっぱりノリが悪酔いしたおっさんなんだよな。マスターって喋るとこうなるタイプなのかな。
「まあ、はい。ってもしかしてマスターって童t...」
「言うな‼︎」急なマスターの大声に俺は口を噤んだ。さすがに今のは俺もデリカシーに欠けていたな。至ってしまった。
「勘違いするなよ?俺にも彼女が昔いたんだ。専門大学卒業した後に可愛い女性と。だけど三年くらいして急に別れを告げられたんだ」
童貞だけど彼女はいたことあるってことだけは理解してほしいんだな。ていうか三年も付き合っててヤらないとかあるかな...彼女も未来が見えなくなったのかな。
「そ、そうなんですね。なんかすいません、結構プライバシー侵害した気分。あ、話題変えますね。その大きい発泡スチロールの中身って何ですか?」
これ以上マスターの傷を広げまいと思い謎に包まれていた発泡スチロールに話題を逸らした。
「あ、これはスイカだよ。そろそろ8月だからさ、今年はスイカでお酒を作るのもいいと思って、近いうちスイカでいくつか試作してみるつもりなんだよ」
「スイカのお酒...スイカって結構水ぽいからあっさりしてそうですね」
「いいね。だんだんとわかってきてる。スイカはそう、ウォーターメロンって英語だからその通り果汁の量が尋常じゃないんだ。だからお酒には不向きかなって思われがちなんだ。実際ビールとスイカってのは組み合わせるのは利尿作用がつきすぎて、更に尿酸値まであがっちゃうからよくないんだ。でもそれはビールと別で食べる分で、バーで扱うお酒は混ぜ合わせが効くんだ」
始まった、マスターの酒の話
「台湾にはスイカジュースがあるんだ。だからうちでも取り扱ってみようかと思う。そして肝心の酒は、ウォッカと合わせる形で進めようと思う。そして、スイカということで塩を使おうと考えている。そう、ソルティドッグっていうんだ」
「ソルティドッグ?どんなお酒なんですか?」
「これはね、イギリス生まれのカクテルで、グレープフルーツとジンと食塩をシェイクしたんだけど、人気はあまりなかったみたい。で、とある時アメリカではこれをジンではなくウォッカに変えて、更に食塩は※⑴スノースタイルにしたんだ。混ぜ方も※⑵シェイクから※⑶ステアに変えたことによって世界的に人気なカクテルになったんだよ。サッパリした柑橘系についで食塩のスッキリがくるから、とても飲みやすいカクテルになってるよ」
凄い...この人はいつも店では人見知りで無口なのに、お酒のこととなると人が変わる。お酒に対しての知識と情熱。凄いな、一つのことにそんなに夢中になれるなんて。
「あ、ついつい長く語り過ぎてしまったかな。もう俺はここでいいよ。じゃあまた、明日ショコラで待ってるね。」
気付くと団地の前にいた。マスターが笑顔で手を振ってくれている。
「はい。さようなら」
重い紙袋から解放された左手は清々しい感覚にかられた。右手にもその感覚を味わせるためにも速く帰ろう。
俺に足行きは合わせる人がいなくなったため速くなっていった。
※⑴砂糖や食塩をレモン汁で濡らしたグラスの縁に付着させるデコレーション技法のこと。
※⑵シェーカーでよく振り混ぜることで冷やし、まろやかにする方法。
※⑶ミキシンググラスというものに酒や果実を入れて軽くかき混ぜる方法。氷が入らないようにしてグラスに注ぐことも意味する。主にシェイクでは濁ってしまう場合に使われる。
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