-犬と狼の間-⑦

 ……む。今のは幻聴だろうか。青年が不貞腐ふてくされた口調で、「怪異」を引き留めたように聞こえたが。


「――いや、まさか最初からそうだったと? 俺の話は退屈だから、耳を傾ける価値もないと? うひゃあ、申し訳ありません! しきりに相槌あいづちを打ってくださるから、てっきり楽しんでいるものだと……」


 ……相槌とはもしや、「怪異」が頻繁に漏らしていたあえぎ声のことだろうか。あの露骨に苦しげな息遣いを、そんな風に勘違いするか?


「もしかして、人文系の話題はお嫌いですか? でもでもご心配なく! 俺の専門分野は民俗学ですが、生物学や天文学も多少は齧っています。今度こそ、貴女の期待に添えるよう――」


「今度こそ」とは何だ。どうして彼はこんなにも意気込んでいるのだ?


「よしっ! ではでは次は、シロワニについて語り明かしましょう! これは南方の海に生息するさめで、全長が3メートルに達する場合もあり――」


 おかしい。青年が軽口を叩くのは、敵の注意をそらすためだと思っていたのに。談話に夢中になり過ぎて、目的と手段が入れ替わってしまっている。


「巨大なジンベエザメ、ハンマーに似た頭を持つシュモクザメ、穏やかな性格のドチザメ――一口に鮫と言っても色々ですが、取り分けシロワニはユニークな種です。

 そもそも名前が面白いじゃあないですか。『ワニ』ですよ、『ワニ』! 確かに『ワニ』は鮫を表す古語ですし、山陰地方にも『ワニ』という方言があります。

 しかし、現代社会で『ワニ』といえば、まずイメージするのは爬虫類の『ワニ』です。いわばシロワニの『ワニ』は時代錯誤な『ワニ』! それにも関わらず正式名称に『ワニ』を採用するあたり、シロワニの潔い『ワニ』っぷりは――」


 ヒートアップしていく語り部とは対照的に、「怪異」は物音一つ立てない。もしかしたら、終わる気配のない言葉の嵐に揉まれて、立ち往生しているのかもしれない。かく言う私も、怒涛どとうの勢いで押し寄せる「ワニ」の洪水にうんざりしてきたところだ。


「シロワニは名前からして異質な魚です。ただ、真に注目すべきポイントはここではありません。

 驚くべきことに――シロワニは赤ちゃんを産むのです!」

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