序章 極東近代化計画

西暦1930年 ソビエト連邦モスクワ


 ソビエト社会主義共和国連邦の首都、モスクワ。その中心部にある宮殿クレムリンにて一人の男が指導者たるヨシフ・スターリン書記長に、ある提案を持ち掛けていた。


「同志スターリン、ウラジオストクを近代化致しましょう」


 クリメント・ヴォロシーロフ陸海軍人民委員の提案に対し、スターリンは眉を動かした。


「ウラジオストクをか?理由を述べたまえ」


「はっ…彼の地は日本に対して重要な拠点の一つであります。近年、彼の国は志那に対する影響力を拡大しております。これ以上の進出を許してしまえば、我が国は東アジアにおける不凍港を失うのみならず、国外にいる帝政主義者を助長させかねません」


 以前より大日本帝国は、植民地たる朝鮮半島や、中華民国からの租借地たる遼東半島を足掛かりに、志那の支配圏域拡大に努めており、ソ連に多大な圧力を掛けていた。そして過去には、欧州大戦末期に北サハリン樺太やウラジオストクに日本軍が侵攻を仕掛けており、今度は確実に忌々しき帝政主義者に極東を奪い取られる可能性が高かった。


「それを食い止めるために、海軍を強化して日本を牽制しなければなりません。そしてこの計画は、アメリカをも抱き込むのです。彼の国はブルジョワの支配する国ですが、同時に大衆の総意を尊重する共和制国家でもあります。大衆からの搾取による圧政を良しとする帝国主義者から、平等なる共和主義社会を守るためにも、海を制する艦隊の整備をお願いいたします」


 二度目のシベリア出兵を事前に阻止し、なおかつ増長を続ける日本の高慢な性根をへし折るためにも、彼は海軍の強化を願った。だがスターリンは彼の心情を知っていた。


 先のシベリア防衛戦では、赤軍はパルチザンを主軸に置いたゲリラ戦で勝利を収めたものの、序盤の戦闘では沿岸部各地にて日本海軍の軍艦が展開し、上陸作戦を支援するための攻撃を実施。太平洋方面の海上戦力は壊滅していた。その結果、日本はさしたる妨害を受ける事無く陸軍の大兵力を極東地方に展開する事に成功し、赤軍は結果的に勝利こそすれど苦戦を強いられる事となったのである。


「三方を他国と地続きで繋がっている以上、国土の地上軍の戦力整備は優先すべき事ですが、同時に海軍も相応の規模に強化しなければなりません。我ら地上軍や空軍に対する負担を軽減するためにも、アメリカの力を利用して、極東各地の港湾都市の整備と、海軍戦力の強化を進めなければならないと考えた次第でございます」


「そうか…同志の主張は理解した。丁度アメリカは経済恐慌で貿易相手に困っているからな。我が国の広大な国土と、豊かな暮らしを求める人民の欲求で以て、奴らの貯め込んだ富を解放してあげようではないか」


 斯くして、ソ連政府はアメリカと幾つかの経済協力協定を締結し、第一次五カ年計画をより円滑に遂行するためのアメリカの資本吸収と技術獲得に励んだ。アメリカ産の農作物や畜産品は、飢餓輸出ホロドモールによって窮乏していた農民や労働者の不満軽減に役立てられ、同時に輸入されたアメリカ製の農機具は、自国の農業の近代化に大いに役立てられた。


 そうしてアメリカとの積極的な貿易で得た利益や技術、そしてアメリカより投下される資本は、手始めにウラジオストクとペトロパブロフスク、そしてコムソモリスク・ナム・アムーレの近代化に用いられた。特に近代化が急ピッチで進められたのは造船所の設備近代化であり、日本海軍の強大な連合艦隊に対抗できる戦力を自前で整備する能力を得る事が求められたのである。


 斯くして、1931年より始められた極東地方近代化計画は、4年後の1935年にて完了。中でもウラジオストクの変わり様は驚嘆に値するものであり、今後増強される予定である太平洋艦隊の拠点としての能力を有するに至ったのである。


 そして1933年より始められた第二次五カ年計画と、1937年より始められる第三次五カ年計画を受けて、ウラジオストクやペトロパブロフスクの造船所は新型軍艦の建造・整備計画に臨む事となる。

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