十八通目 無謀な好奇心

「そろそろ、先に進みましょう」

 ぼくの提案にナクタを除いた全員が頷いた。ナクタだけは言い足りなそうな顔をしていたが、出自を知ってみると、あまり深入りしないほうが良さそうだと判断した。後ろ盾にするには大きすぎる。

 順番は変わらず、ウィスクを先頭に進んでいく。デラフの後にニーリアスが続き、ぼくはその後を歩いた。背後の雰囲気は最悪で、ピュリスが苛立っているのが感じられた。

 ナクタが王族に連なる者だとすると、ピュリスはお目付け役といったところだろうか。柔らかな印象はあるが、どちらかといえば硬派な立ち居振る舞いではある。きちんと教育を受けているのがわかる、品の良さがある。デラフはいかにも戦士職という雰囲気であるから、ナクタに関係あるとすれば兵士だったというところか。ウィスクについてはよくわからない。気軽さもあるが、ナクタを敬っている気配を感じる。こちらも魔法関係の兵士や研究者といったあたりなのだろうか。

 そうやって考えてみると、この面々に守られて移動しているのがおかしな気がする。社会通念が希薄であったとしても、上流階級の人々に守られるというのはおかしなことだというのはわかる。潜行隊を組織した人物は、このリュマのことをわかっていて使っているのだろうか。

 あれこれと考えている間に、足元が悪くなった。気温が上がったので、霜や氷が溶け出しているのだ。そろそろ下層が近いのだろう。

「ここのドジェサはなかなかに興味深い」

 通路の端を歩きながら、デラフが下を指した。

「こうして見てみても何もないが、ドジェサに入ると急に天井が見える」

「今見えてるのが天井の上側なんじゃないのか?」

 デラフとニーリアスの会話が気になって、見てみようと身体を傾けると、荷物を後ろに引っ張られた。

「なんですか?」

「あ、いや、ごめん。なんか落ちそうで、不安になる」

 掴んでいたのはナクタで、情けない顔で言い訳をする。ぼくにとって今回の荷物はかなり軽いほうだし、ここまで担いでくれば身体の一部のような感覚になっているので、バランスを崩すということはないのだけれど、側から見れば危なっかしく映るのだろう。

「大丈夫ですよ、ナクタ。思ってるより、安定してます」

「ごめん。オレが不安だから、覗いてるあいだ掴ませて」

 眉間に皺を寄せて目尻を下げ、更に唇を尖らせて口角をさげ、顎に梅干しを浮かび上がらせるナクタの顔があまりにも面白くて、笑いを噛み殺しながら頷いた。そして、首を伸ばして下を見ると、ニーリアスが言ったように、地面らしきものが見えた。

「見えているのは地面だ。この間、あそこに全員を待たせて、上まで登って確認した」

「うわ、五層で単独行動取ったのかよ、怖いな」

 ニーリアスの素直な吐露に、ぼくも心中で同意した。地面からここまで目測で四〜五メートルはあるだろう。通路は緩やかな勾配を保っているので、その高さを稼ぐには結構な距離を移動しなくてはならないはずだ。その間、単独で行動しようという度胸はぼくにはない。

「ほんと、信じらんないよね。側面、攀じ登ったんだよ」

 呆れ声のウィスクの言葉に、ぼくはもう一度首を伸ばして下を見た。底のほうまでは見えないが、足元近くでもすでに水が滴り落ちるぐらいには濡れている。こんなに濡れているところを登るとなると、滑りやすくて危険そうだ。

「登ったって、下から上に、行けるのか?」

「いい反応だ! そうだ! そこが興味深いところなんだ!」

 求めていた反応を得られたらしいデラフは、力強くニーリアスの腕を叩いた。痛がるニーリアスは確かめるように、下方を覗き込む。ぼくはふたりの会話がよくわからず、小首を傾げた。

「行けばわかるよ。先に進も」

 見やすいように光球で照らしてくれていたウィスクは、ぼくの様子に気づいたらしかった。

 しばらくすると、通路は地下に入っていくようなかたちになった。今まで空洞だったところに壁ができると、幅は変わっていないのに急に狭くなったように感じる。圧迫感もあって不安が募ってきた。

「ここまで来るのは初めてか?」

 ニーリアスに尋ねられ、ぼくはそうだと答えた。強いリュマと一緒にいるとはいえ、未知の領域にいると実感すると、言いようのない緊張と不安が腹の底で激しく渦巻く。暗くて狭いということも相まって、吐きそうだった。

「まあ、五層のドジェサは四層と違って何もないから、そんなに緊張することはない。問題がなければ、だが」

「問題って、なんですか?」

「さっきの話と繋がるんだが――」

 さっきの話とは、どの話だろうか。ドジェサに天井があるということなのか、それより先のナクタが王族に連なる者というところだろうか。ふわふわとしながらも急速回転をする脳の動きを感じ、もうひとりの冷静なぼくが「よくない傾向だ」と囁いた。

「ちょっと、まってください」

 ぼくは胸元を探り、小瓶を手繰り寄せると鼻に近づけて、匂いを嗅いだ。良い匂いが混乱気味の脳を少し冷静にさせた。

「大丈夫か?」

「問題ありません。ちょっと、緊張しすぎました」

 大きく息を吐いて答えると、ニーリアスはぼくの頬に触れた。冷たくなりすぎていて、温度は感じられないが、押されているという刺激は感じる。

「タシサに行ったら、すぐに温かいものを食ったほうがいいな」

「そうします。すみません、進めます」

 足を止めてしまったことを詫びると、ウィスクが「あと一歩ってところだから」と言ってぴょんと飛んだ。その後にデラフが続くと、石戸が動く鈍い音が響きだす。驚いて振り返ると、後ろにはピュリスとナクタがいる。

 ドジェサの石戸は、中の主に見合うだけの実力がなければ開かないとされている。ウィスクとデラフだけで石戸が開いたということは、ふたりで五層のドジェサ主を討伐できるだけの実力がある、ということになる。

 実力の程は道中ずっと感じてきたが、これほどまでとは思わなかった。現状、ラクシャスコ・ガルブの六層に到達したリュマの数はそう多くないのだから、このふたりの強さは桁違いと考えて間違い無いだろう。

「ウィスク、おまえ――」

 深いため息が背後で聞こえた。確認するまでもない。ピュリスのものだ。

「ウィスク、おまえ――」

「もう色々バレてるみたいだし、今更でしょ」

「デラフも、もうちょっと考えて行動しろ!」

「すまんすまん。天井が気になってて忘れとった。もう過ぎたことだろう。ほら、ソウ、見てみろ! 面白いぞ!」

 デラフに腕を引かれるまま、ドジェサの中に入る。内部は想像していた通りに円形で、先ほどまで通路の中央にあった空洞がそのままそこにあった。が、デラフの指す先を見てみると、輝くような星空があった。

「興味深いだろう? どうなっているのか気になって気になって、登ってしまうのも無理ないだろ? あれはどういう仕組みなんだろうな?」

 デラフとニーリアスが天井といっていたが、天井というよりも空といったほうが正しいような気がした。それぐらい自然な夜空がそこにはあった。脳の芯に痺れるような感覚があった。理解しにくいものを目の前にして、脳が限界を迎えたのかもしれない。

「下から上に行けたと言ってたが、下から見てるとどんな感じなんです?」

「それがさあ、ずっと天井はあったんだよね」

 空を見上げて不思議そうに首を傾げながら、ウィスクが答えた。

「そこが興味深いところだ。降りてくる時に印をつけておいて、そこまで攀じ登ったんだが、天井はずっとある」

 上から見ると何も無いのに、下から見ると天井があり、側面を攀じ登って行っても天井を抜けることがない――確かに、興味深い現象だ。

 四層近くの氷のシャンデリアは、地下からの熱風で氷が溶けて出来上がったとされているが、物理的な天井があるのなら、その仮説もおかしなことになる。とすれば、熱風は通過する、ということなのだろうか。

「そういえば、問題ってなんです?」

 思い出して尋ねると、ニーリアスは顔を顰めた。

「魔物が天井にぶち当たって死ぬんだ。どういうわけか、その時は天井が透明になってな、ぶち当たって死ぬ様が丸見えになる」

 それは確かに問題だ。

「気持ちがいいもんじゃないんで、先に行こうとすると、ここの周囲から熱風が噴き出していてな。通路が塞がれちまう。無理に行こうとすれば、最悪死ぬ」

 ということは、熱風が噴き出ている間は、魔物の断末魔を聴き続けなくてはならないということになる。それはかなり精神的に削られるものがある。

「ということだから、さっさと先に行こ」

 ウィスクの言葉に頷き、足早にドジェサから抜けようとして、ふと気づく。

「熱風が吹く時の前兆ってわかってるんですか?」

「いや、まだわかってない」

 ニーリアスの答えに、ゾッとして、デラフを見た。いつ熱風が噴き上がるのかもわからないのに、側面を攀じ登るなんて、まともな神経の持ち主ならするはずがない。

「ほんと、信じらんないよねぇ」

 今になってウィスクの言葉が、もの凄く重く響いた。

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