異世界コックさん 食材スキルと料理の腕だけで成り上がり

苺バナナ

プロローグ 

 僕の名前は東雲律樹。

 29歳。職業は二つ星レストラン、モルトボーノの部門料理長をしている。


「先輩。仔羊のロース肉のロティ、味見お願いできますか?」


 僕が玉ねぎを刻んでいると、後輩の山田が自信なさげな顔で皿を持ってきた。

 フォークで肉をこそぎ取ると、ソースを付け、口に放り込む。 


「………………うん。ちょっとソースの赤ワインの風味が弱いかな。もっと量を増やして、少し焦がすくらいが丁度いいと思う」


「ありがとうございます。そっかー。ワインの風味かぁ……」


 山田は残った肉を頬張りながら、眉をひそめていた。


「さっき加隈先輩にも聞いたんですけど、まずいの一言だけで……」


「あー。加隈くんはアドバイスしたがらないからね。コンペ前でピリピリしてるし」


 ちらりと僕は、厨房の隅で熱心に鍋を見つめる大男を見る。

 加隈典敏。僕と同じく部門料理長である。

 気が強く、プライドも高い。

「みんな仲良く仕事をしよう」がモットーの僕とは正反対の人間だ。


「先輩知ってますか? 明日のコンペで次期副料理長を決めるらしいですよ」


 山田はひそひそ声で呟く。


「東雲先輩か加隈先輩のどちらかになると思うんですけど……。俺的には東雲先輩がいいっす。加隈先輩が厨房を仕切ったら、胃がねじ切れますよ」


「副料理長かぁ……。正直やりたくないなぁ」


 僕は自分の手で料理をするのが好きだ

 しかし、副料理長になると、指示出しやレシピの考案がメインになってしまう。 

 だから僕は……




「加隈くん。飲みに行かない?」


 仕事終わりの更衣室。帰り支度をしていた加隈くんに僕は話しかけた。


「俺を二日酔いにさせて、明日のコンペで少しでも優位になろうという算段か?」


「違うって。明日のコンペの件で話があるんだ」


 加隈くんは少し考えたあと


「前日仕込みは既に終わっている。一時間程度なら付き合おう」


 と頷いた。


「オーケー。じゃあ、駅前の焼き鳥屋にでも行こっか」


 僕達は、早い安いが売りのチェーン店に入った。普段からお高い料理を食べ続けていると、たまにジャンキーなものが食べたくなる。

 適当なつまみを頼み、空っぽの胃の中に生ビールを流し込んだ。


「東雲。お前は明日のコンペの準備はもう終わっているのか?」


 焼き鳥をほおばりながら、加隈くんが訊ねてきた。


「いや、準備は何もしてないけど」


「ふっ。相変わらずお前は天才だな」


 サメのような鋭い目で、加隈くんは僕をにらみつける。


「お前のことは昔から気に食わなかった。だが、お前の料理の腕は評価している」


「そ、そうなんだ。それはどうも」


「だが、副料理長の座は譲らん」


 ダンッと加隈くんは一気に飲み終えたビールジョッキをテーブルに叩きつけた。


「おりぇは必ず明日のコンペでお前に勝つ!」


 おりぇ?

 加隈くんの顔は真っ赤になっていた。

 酔うの早っ!

 今まで飲んでいるのを見たことが無かったけど、お酒弱かったんだ。


「その件なんだけど……」


「?」


「ごめん。僕は明日のコンペ参加しないよ」


「なんだと?」


 加隈くんは食べようとしていた唐揚げをぽとりと落とした。


「僕は副料理長の座には興味が無いんだ。今まで通り、楽しく料理を作れればそれでいい」


「ふざけるな。お前も出ろ」


 震えるような声で、加隈くんはつぶやいた。


「俺はお前と違う。俺は出世をしたい。ゆくゆくは料理長になるのが俺の夢だ」


「なら……」


「だがな。それ以上に俺はお前に勝ちたいんだ」


 加隈くんは僕の目をまっすぐ見て、はっきりと言った。


「東雲。俺が今まで生きてきた中で、お前が一番料理が上手い。悔しいが俺よりもな……」


「買いかぶりすぎだよ。この前の肉料理コンペは君が勝ったじゃん」


「俺が一番得意なのは肉料理だからな。それ以外でお前に勝ったことは数えるほどしかない。しかも、俺が念入りに準備しているのに対し、お前は当日に即席の材料だけで調理しやがる」


「……………………」


 加隈くん。僕をライバル視していたんだ。

 誰にでもきつい当たり方をするから、わからなかった。


「だから、明日、お前もコンペに出ろ。そのうえで俺が勝つ」


「………………わかったよ」


 僕にも料理人としてのプライドがある。

 だからこそ、彼の気持ちは理解できる。

 勝ちたい。こいつより旨い料理を作りたい。そんな執念が彼の目には籠っていた。


「勝負だ。加隈くん」


「あぁ、望むところだ」


 手加減はしない。勝負には勝って、そのうえで副料理長になるのは辞退しよう。


「それじゃあ、明日に備えてさっさと帰ろうか」


「そうだな。今日は俺が払っておいてやる」


 そう言って加隈くんはにやりと笑った。




 会計を終え、店を出ると雨が降り始めていた。


「加隈くん。傘持ってる?」


「持っているが、お前と相合傘など死んでもごめんだ」


「つれないなぁ」


 横断歩道を渡れば駅はすぐそこだ。走れば殆ど濡れないだろう。


 走ると滑りそうなので、僕達は早歩きで駅まで向かう。


「加隈君は傘持ってるんじゃなかったの?」


「持っているが、刺すほどの雨でもないだろう。それに、明日お前だけ風邪を引いて、調子が悪かったから負けたと言い訳をされても困るしな」


「これくらいの雨で風邪なんか引かないっての」


 本当に負けず嫌いなんだなと、苦笑いをした時だった。


「え」


 フラッシュライトが目に焼き付いた。

 横断歩道を渡ろうとした時、大型トラックが猛スピードでこちらに突っ込んできたのだ。

 何故?

 僕達が渡っていた横断歩道は間違いなく青だった。

 居眠り運転? それとも飲酒運転での信号無視? 雨でタイヤがスリップした?

一瞬で色んな考えが浮かんだ後、次に考えたのは避けられないと言う事実だった。


「っ!」


 体が勝手に動いていた。

 僕は加隈くんの体を思い切り突き飛ばしていた。


「東雲!? 何を……」


 ぐしゃりという生々しい音がし、視界がぶれた。

 アスファルトが全身を切り裂き、少し遅れて鈍い痛みが全身を襲った。


「きゃあああああああ!」


「おい! はやく救急車!」


 大勢の悲鳴があちらこちらから聞こえてきた。

 痛い。力が入らない。起き上がろうとしたが、体が全然いう事を聞かなかった。


「し、東雲! おい! しっかりしろ!」


 悲鳴の中、慌てて駆け寄る加隈くんの姿がぼんやりと見えた。


「加隈……くん……」


 よかった。無事だ。彼はトラックに轢かれなかったらしい。


「だ、大丈夫……ごほっ」


 喉の奥から血がこみ上げてきた。口中が鉄の味がする。

 肋骨が折れて、肺に突き刺さっているのだろう。息をするだけでごぼごぼと濁った音がする。

 これじゃあ、しばらく厨房には立てないな。


「モルトボーノを……厨房をお願い……」


 精いっぱいの力を込めて、僕は加隈くんの手を握った。

 僕の仕事……。彼なら安心して任せられる。


「ふ、ふざけるな! 許さんぞ! こんな……こんな決着……」


 加隈くんは怒ったような悲しむような、色んな感情がぐちゃぐちゃになったような顔で、僕を怒鳴りつけた。


 あぁ、そんな表情の加隈くん、初めて見たな。

 ふとそう笑った時、僕の中で何か糸のようなものがプツンと切れる音がした。

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