異形の牢獄
おるか。
一章
Ⅰ 始まりの袋小路
第1話 袋小路の青い猫
一体、どの位の距離を歩いてきたのだろう。
晴れた7月の空には太陽が輝いていて、道行く人達は皆誰かと笑顔で話をしながら歩いてゆく。
でも、誰も僕には話しかけない。見てすらもくれない。極たまに目が合っても、通り過ぎた後であれやばくない?めっちゃ怖いんだけど、と後ろ指を刺してくるだけ。
持たされたお金や食料は、とっくのとうに尽きてしまった。この大通りも人が多くてすぐ転びそうになる。辛い。暑い。お腹が空いた。心無しか目眩もしてきた。
家を追い出されて約1ヶ月。いや、もっと経っているだろうか。沢山歩いたし、沢山知らない人達に怒鳴られた。
この街は、東京は、人が多い割に冷たく、そして寂しいところだった。
―あ、猫だ。
ふと視界に、不思議な雰囲気をまとった黒猫が現れた。その猫は誘うように僕を見つめ、そのままビルの隙間に消えていった。
―なにかあったのかな。
猫につれられるように、僕は狭く暗い袋小路に足を踏み入れた。
そこは、すぐ側の大通りと打って変わってひどく静かだった。
誰も人がいないと分かった途端、僕は膝から崩れ落ちるように倒れた。さっきまで目で追っていた猫が、心配するように覗き込んでくる。
「心配してくれるの?ありがとう。でも僕、今は何も持ってないんだ。だから、ごめんね」
やはり餌目的だったのか、目の青い黒猫は袋小路の奥へと姿を消した。
また、独りになった。
ゆっくりと身体を起こし、壁にもたれるように床に座り込む。
久々に見た自分の身体は、まだ家にいた頃と比べてとても痩せこけていた。家にいた頃も、そう健康ではなかったけれど。
―でもあの猫も、かなり痩せてたなぁ。
痩せて骨が浮いた背、艶のない黒い毛、その汚い容姿とは反対に鮮やかに光る青い瞳。なんだか、自分に似ているかも。そう思いながら、僕は青い目を閉じた。
「おい、そこの坊ちゃん」
急に頭上から降ってきた大声に驚いて顔を上げると、大きくて変に派手な服装の男が2人、自分を見下ろしていた。
「坊ちゃん、汚ぇけどいい服着てんなあ」
「え、あ、その…」
「あ?何だって?」
「なあ坊ちゃん、ちょっと俺らカネに困っててさぁ、ちょっと貸してくれない?」
―これ、もしかして“カツアゲ”?
小さい頃、祖母が見ていたテレビに映っていた怖い大人。男達はそれにそっくりだった。
「あの、僕、お金持ってないです」
「あぁ?」
「嘘ついても無駄だぞ?」
「でも、その」
「いいから出せや」
「だから」
「早く出せ」
困り果てて通りを見ても、通行人は巻き込まれたくないと言わんばかりに足早に通り過ぎていくだけだった。
目の前の大男が痺れを切らしたように舌打ちする。
「おい、早くしろよ」
「融通の効かねえガキだなぁ」
「さっさとしねえとこっちも本気でやるぞ」
―五月蝿い。
「……ないです」
「あ?聞こえねえよ」
「貴方達に貸すお金なんて、1円も無いです!」
―あ。
言ってすぐ、我に返ったと同時に右頬を打たれた。そのまま後ろに倒れ尻もちをつく。
「クソガキが」
「思い知らせてやる」
それからは言うまでもない。馬乗り状態で、完全に両頬の感覚が無くなるほど何度も、何度も殴られた。
口の中に鉄の味が広がる。段々と意識が遠のいていく。
―ああ、もう死ぬかも。せめて最後に、羊羹が食べたかったなぁ。
「…ニャー」
薄れゆく意識の中、ふとさっきの猫の声がした気がして、再び目を開けた。
―やっぱりお前か。
視界の端、声の主だろう黒猫がこちらを見ているのがわかる。
―見てるくらいなら、助けてよ。
「…だれ…か」
どうか、惨めな僕を、
「…助けて」
『…言えたじゃん』
―え?
瞬間、轟音と共に真っ暗だった目の前が明るくなり、両頬への攻撃が止んだ。
―なんだ今の?雷?
目だけで男達がいた方向を見ると、そこには自分と同じくらいの子供が2人、背を向けて立っていた。
「発見が随分遅くなっちゃったな」
「やっぱり飛べるやつが居ねえとこっちも時間がかかる」
―誰だろう。この人達。
ゆっくりと身体を起こす。さっきよりも周辺の状況がわかる。
「…君たちだね。彼をこんなにしたのは」
さっきまで自分を殴っていた男は、先程の何かで完全に伸びてしまっていた。もう1人は怯えきってがたがたと震えている。
「次こんなことしてみろ。そん時は、殺す」
「…ひ、ひゃい!」
そうして男達は去っていった。
「ったく、きっしょい返事だな」
「まあまあ、それより君、大丈夫?」
「ひぇ、は、はい」
思わず変な声が出た。
地面に座って目の前で起きた出来事について考えていたので、突然のことに反応しきれなかったのだ。
「あの……」
「うんうん。青い髪と目、傷の回復の速さ、君、能力者か」
「え?」
「じゃあクロから通報があった少年は、君だね」
「だろうな」
「あ、あの…?」
なんの事だろう。西日がつくる逆光のせいで、姿がよく見えない。
「この感じだと、彼は“水”では無さそうだね」
「ああ、“水”にしては瞳の色が濃い」
まずい。何を言っているのか全く分からない。
「まあ話は帰りながらするとして、とりあえず立てる?」
戸惑っていると、一人の影が手を差し伸べてくれた。距離が縮まりしっかりと姿を見た瞬間、僕は驚いて目を見開いた。
赤い髪と瞳。色は違えど自分と同じ。
―まさか、この人達も?
「もう立てるのかよ、早えな“風”は」
そう言う彼は、金髪、いや、黄色い髪をしていた。
「あの、助けて頂いてありがとうございました。その、失礼ですが、貴方達は一体?」
「ああ、俺は
「能力者って、つまり」
「そう。僕らも“力”を使える。俺は火、雷磨は電気」
雷磨と呼ばれた少年は、左手で作ったピースサインの間から電気を走らせている。
「まあその他説明は
「あ、
「よし、風紀。今日から君も仲間だ」
「…はい?」
「見た感じ、君は“風”の能力者だよね?仲間に風は居ないからさ、きっと役に立つよ!な、雷磨」
「ん」
「いや、そんな」
「大丈夫大丈夫。皆いい人だし」
「大丈夫じゃないです」
―だって僕は…
急に出した大声に驚いて、2人は歩き出すのをやめた。
「皆さんが大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないんです。僕、人を殺してるんです。この力で。それに、次いつ暴走して、またあんな事になるか分からない」
路地の外から何人か通行人がこちらを見る。しかし誰も、立ち止まることは無かった。
「僕はもう、人を傷つけたくない。だからお願いです。僕に、関わらないでください」
湿ったコンクリートに涙が落ちる。
泣き出した自分を、二人は何も言わず見ている。
狭い袋小路に沈黙が落ちた。日は沈み、代わりにネオンの光が壁の間から差し込んでくる。人通りも減り、こちらを気にする人は誰も居なくなる。
折角助けてくれたのに。仲間に迎えようとしてくれたのに。
ごめんなさい。ごめんなさい。
「…辛かったな。」
「…え」
「辛かったな。ずっと独りで。」
数分前は電気を発していた手が、僕の頭を撫でている。
突然の事で訳が分からず、涙が止まった。
「でも、もう独りじゃねえよ。」
「…なんで、そんな」
「俺たちだってずっと孤独だったんだ。家から逃げて、街では無視されて。最後はお前みたく不良に殴られた。」
過去を振り返るように、雷磨さんは話し続ける。
「もう駄目だと思った時、流に救われた。村の人達も、家族同然に接してくれた。何でって流に聞いたら、『一人のやつを放って起きたくなかった』って言うんだ。だから、俺も一人のやつは放っておきたくない。誰も独りにはしない。お前もそうだろ、炎」
「ああ。もう俺達と同じ境遇の子を増やしたくないからね」
「俺たちに出来ることはなんでも協力する。だから一緒に来い、風紀」
一度止まっていた涙が再び流れ初める。
今までこんな事を言ってくれた人は居ただろうか。
「で、でも、僕、人を」
「ああ、力が暴走して止められなかったんだろ。こんな事言っちゃあれだが、能力者の中では良くある事だ。なんならそれが原因で村に来たやつはかなり居る」
「えっ」
「村に来てからも、何人か暴走が再発した子は居る。でも、今ではほぼ全員が自分の力を使いこなせてる」
「俺らだってその辺はもう慣れてるし、お前もきっと、力を使えるようになる」
信じていいのだろうか。この言葉を、この人達を。どれだけ諭されても、疑いの心は消えてくれない。
それでも、心のどこかではもう分かっているのだ。
信じる他無いと。ついて行くべきだと。
『……行けよ』
透き通ったような感じの低い声が、頭の中で木霊する。まるで脳に直接語りかける様な奇妙な声。今日だけで何度も聞いた。一体誰なんだろうか。
― じゃあクロから通報があった少年は、君だね。
もしかして、あの猫なのだろうか。この声の主も、2人を呼んでくれたのも。
泣きながら後ろを振り返ると、青い瞳と目が合った。僕の返事を促すように、ゆっくりと目をそらされる。
『ここはお前の居場所じゃない』
そう言われたような気がした。
「僕は…これからずっと、この力を恨んで生きていくと思います」
「え?」
涙を拭い、二人に向き直った。
「急に現れたと思えば、大切な家族を殺して、僕を家族から引き剥がして、全て奪って行ったから」
二人は何も言わない。ただぽつぽつと言葉を零す僕を見ている。
少し怖い。それでも、僕は話し続けた。
「でもこのままここに残って、迷惑をかけないようにただ死ぬのを待つだけなのは嫌なんです。だからお願いします。僕を、仲間にして下さい」
「風紀…」
「それに…もう独りは耐えられないんです」
言った瞬間、さっきよりも大粒の涙が両目か
ら零れた。
やっと言えた。言ってしまった。自分が言う事は許されないと思っていた言葉を。
「ありがとう。俺達を頼ろうと思ってくれて」
「もう、大丈夫だから」
夏の夜の繁華街、昼間よりも涼しいはずなのに、僕らがいる所だけは暖かかった。
「ニャー」
「あ、クロ」
「わ、いつの間に居たのか」
足元を見るとクロが座っていて、どこか優しい目で自分を見ていた。
「ありがとう。お前のおかげだよ」
しゃがみ込んで、猫の頭を撫でた。艶の無い毛は見た目に反して柔らかく、滑らかだった。
『よく言ったな』
そう言いながらも、クロは青い目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「よし、そうと決まれば行こうか」
「遅くなっちまったな」
「すみません、僕のせいで」
「いや、いいんだよ。俺達だって初めはそうだった。な、雷磨」
「ん」
「今日の夕食は豪華になりそうだなー。風紀、何か食べたいものある?」
「……おむすび……食べたいです」
「質素か」
「ははは、じゃあ新しい物資を開けないとだな」
「流に怒られそう」
「うっ…」
ネオンの光に満ちた街を、三人で歩き出す。
まだ不安もあるし、これからもこの力と生きなきゃいけないと思うと気が遠くなる。
でも、この人達と一緒なら、一人ではないのなら、きっと大丈夫なのだろう。
この街で少し浮いた僕らを見送るように、後ろで黒猫がニャーと鳴いた。
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