第8話 広い世界と狭いベッド

 ベッド+抱く=?


 重さの話をしていたのだから、『抱く』というのがそういう意味じゃないのは分かっている。分かっているはずだ。

 彼女として何をすればいいか分からないと言っていたリリアも、いきなりそんなことを言い出さないだろう。きっとね。

 もしかと問いただして、最初から好意的な彼女型アンドロイドのリリアにすら嫌われたら、なにもかもおしまいだろう。一生、女の子と付き合うのを諦めるしかない。それはイヤだ。

 ルート選びは慎重にいかないといけない。


「どうしますか? 抱きますか?」

「……うん。抱く」


 だが、ちょっと抱いてみたいという自分の気持ちにはあらがえない。

 成生は素直に答えていた。

 とはいえ、目の前にいるリリアを抱きかかえられるかというと……。


 お姫様抱っこ……は抱っこされる側の荷重バランスが重要だ。うまく分散するようにしてくれると、抱っこする側の負担が減る。

 そんなの関係ねえ! と力技で抱っこが出来る力士のお姫様抱っこは、人気イベントの一つである。


 リリアがうまく分散も、成生がそれを無視して抱っこすることも、出来るとは到底思えない。

 しかし、ここで抱き上げられないと、リリアが重いことを証明してしまう。それは避けたい。

 では、どうするか。


「あの、リリアさん。後ろ抱っこでどうです?」

「後ろ抱っこ、とは?」

「簡単に言えばおんぶだよ」


 確率的には、こっちの方がいけそうな気がした。これでも大体の重さは分かるし、成功させればリリアの機嫌が良くなるかもしれない。そりゃあ、お姫様抱っこをやった方がかっこいいだろうが、今はそれが目的じゃない。確実に出来そうな方を選ぶ。


「分かりました」

「それではどうぞ」


 素直に応じてくれたリリアに、成生は背中を向けて手を後ろに回し、片膝たててしゃがんだ。

 当然、人間は後ろが見えない。成生には今、リリアがどう動いているかも分からない。


 少しの間のあと、成生の後ろにリリアが近付いてきた気配を感じた。

「いいですか?」

 背後、上の方からリリアの声が聞こえてきた。その声は、いつもと変わらない優しい声だ。

「どうぞ」

「では……」

 声のあと、胴と後ろに回した成生の腕の間にリリアの脚が入ってくる。


 脚が両方入ると、

「成生さん。ここからどうすればいいですか?」

 とリリアが訊いてきた。

「腕を肩から前に回して、身体を背中に預けてもらっていい? 俺が立ち上がるまでは、しっかり捕まってて」

「はい」


 返事のあと、リリアの腕が成生の両肩の上を通って、するりと前へ。

 成生の背中にリリアの身体が密着すると、ふとももが手のひらに触れた。


「い……いきますよ」

 初めて触れる女の子のあたたかいふとももに、ちょっと恥ずかしさと照れがある。

 だが、ここで立ち上がって、リリアは重くないと思わせたい。

 成生は立ち上がるためにふとももを支え、少し前傾姿勢になった。


「うおっ!!」

「大丈夫ですか? 重かったですか?」

「あ、いや、大丈夫大丈夫」


 成生がつい声が出してしまったのは、リリアが重かったからではない。

 リリアの身体がのしかかった背中に柔らかな感触を感じたからである。


(これが女の子の身体……)


 立ち上がろうとすると、今度は手にふとももの柔らかな感触を強く感じるようになる。


 初めて体験する感触に、意識はほぼ背中と手に集中した。

 そのおかげか、想定よりも重めだったリリアを「重い!」と感じることは無かった。

 むしろ、重みでむにゅっと指の沈みそうなふとももを、

(しっかり支えないと!)

 と思ったほどである。このふとももは、指の間からこぼれ落ちるんじゃないかと思った。それぐらい柔らかい。


 そのおかげで、立ち上がった成生は、

「ほら、重くないよ」

 と堂々と言えた。これに嘘偽りは無い。重いとは、思っていない。囲碁に夢中になっているうちに麻酔無しで手術するという逸話があるが、多分こんな感覚だったのかもしれない。


 本当はここでふとももの下に腕を通してリリアの手首をつかみ、安定的に背負いたいところだが、もう少しこの手触りのいいふとももの感触を感じていたい。腕が少しキツいが耐えることにする。


「俺は例えリリアさんが重くても嫌いになることは無いし、ウチに来てくれたことは感謝している。だから無下むげには扱いたくないんだ」

 一歩一歩、ゆっくりと歩きながら語る成生は、言い終わると同時にリリアをベッドに降ろした。リリアの重みで、ベッドマットのコイルがギシッとキシむ音が聞こえる。


 それから成生は腰を落として向き合い、ベッドに座るリリアと目線を合わせた。

「だから、このベッドはリリアさんが使って欲しいんだ」

「そうですか。分かりました」

 リリアは素直に応じる。この素直さは、本当にありがたい。

「ところで成生さん、顔が凄く赤いのですが。やっぱり重かったのを我慢していたのですか?」

「え?」


 確かに顔が熱いのは感じていた。凄く熱かった。

 そんなに目立つのか。

 理由はなんとなく分かる。


「その……多分、女の子に直接触れるのって、今まで無かったから……」

「まあ。ずいぶんとウブなんですね」

「そ、それはどうでもいいんだ。それより一度寝てみて。俺と二人じゃ寝れないほど小さいのが分かるから」

「分かりました。でも、今思い付きました。横に並んで寝られないなら、仰向けで縦に重なって寝れば良いのでは? 人間二段ベッドです」

「いや、おかしいおかしい」

「両方仰向けが駄目なら、上の方はうつぶせで」

「いかぁーん!!」

 それでは寝るの意味が変わってしまう!

「と、とにかく、寝てみてよ」

「はい」

 うなづいたリリアは、ベッドに大の字であおむけに倒れ込んだ。それを見た成生は、立ち上がる。


「どう?」

 成生は真顔でジッと天井を見つめるリリアを見下ろしながら訊いてみた。

「すごく……広いベッドですね。ずっと狭い場所にいた私には」

「ああ、あのケース」

 確かにリリアが最初に入っていた円筒のケースは、このベッドと比べても狭い。一人はいればいっぱいの大きさだった。


「運ばれてきた箱も」

 まだ玄関にあるあの箱も、同じぐらい小さかった。

 それらに比べれば、このベッドは大きい。リリアもそう感じたのだろう。


「こんな開放された広い世界で寝るのは初めてです。でも、二人で寝るには、狭い」

「そう。二人で寝れないって分かった?」

「はい」


 そう言うと、リリアは寝返りを打ってうつ伏せになった。

 そしてそのままジッとしている。


「どうしたの?」

「成生さんの……いい匂いがする」

 リリアはベッドに顔を密着させて、匂いをすんすんと嗅いでいるようだ。

 そう言われた成生は、自分の身体を嗅いでみる。特に匂いは感じない。臭くも無かったので、ちょっと安心した。

「いい匂いってのが、よく分からないよ」

「優しくて……あたたかい匂いです」

「やっぱり分かんないや」


 リリアは顔だけ横に向けて成生の方を見ると、

「ねえ、成生さん」

 と呼びかけた。

「なに?」

「成生さんはどこで寝るのですか?」

「ここをリリアさんが使うなら、別の部屋とか?」

「また一人で寝るのは寂しいので、この部屋で一緒に寝てほしいのです」


 そう語るリリア。

 ずっと暗く狭い場所で寝ていたリリアは、またあの環境に戻りたくないのだろう。

 こんなの、断れる訳がない。

 同衾どうきんはムリだが、同じ部屋で寝るぐらいなら……。


「いいよ。布団かなんか探してみる」


 その後、家の中から来客用の布団が見つかり、なんとか寝床問題は解決した。

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