水原家にて 11

 勝ち誇った顔の母を、涼香りょうかは黙って見つめる。話の続きを待っている様子だ。


 この二人の会話についていきたくない涼音すずねは、食べ終えたアイスのカップとスプーンを持って台所へ向かう。


 ごみを捨て、スプーンを洗い桶の中に入れて戻ってきたが、二人は一時停止中らしく、話始める気配が無かった。


「はい、スタート」


 涼音は両手をパチン、と合わせる。


 二人が話している隙に、髪の毛を乾かしに行こうと思ったのだが我慢だ。


 涼音の合図を皮切りに、まずは涼香の母が話す。


「勉強をすれば、自分になにができるのか、なにをすることができるのか、それらを考える力を養うことができる。あと、知識は多い方が、将来の選択肢が増えていいわよ」

「選択肢が増える……よく聞く言葉ね」


 そう言うと思っていたわ、とでも言いたげに返す涼香に、母もそう言うと思っていたわ、とでもい言いたげに返す。


「ならなぜ、その言葉はよく聞くのか。あなたは考えたことあるかしら?」


 思いもよらないカウンターに涼香が押し黙る。


「おお……屁理屈コネリストの先輩が黙った」

「涼音、私はそこまで屁理屈をこねたこと無いと思うわ」


 涼香のみゅっとした視線を受けて涼音は肩をすくめる。


「ここで屁理屈をこねるようなら、お父さんに言っていたわ」


 涼香の母は、心底安心した様子で息を吐く。


「私は天才よ。そんな面倒なことになることはしないの」

「先輩のお父さんかわいそうですね。はい脱線しかけてるんで戻してください」


 脱線の雰囲気を感じた涼音が軌道修正する。その脱線のきっかけを作ったのは涼音なのだが気にしない。


「私が言いたいのは簡単なことよ。勉強して、考える力をつけて選択肢を増やしなさい」


 おおよそ高校三年生に言う言葉では無いような気もするが、涼香の母は今この話をしても大して問題にならないと確信していた。


「なるほど、そうくるのね」


 なにがなるほどなのか、母にも涼音にも分からない。


 謎に納得している涼香の頭の中では、てんさいてきなほうていしきがいっぱいけいさんをして答えを導き出した。


「涼音の可愛さを知ってもらう別のアプローチを考えろというわけね」

「そこに繋がるでしょうけど……」


 あまりの飛躍に、理解はできるが戸惑う涼香の母に、涼音は大きく頷く。


「私の頭の中は余人には到底理解できないわ」

「なら、とりあえずこの大学へ進学できるように頑張りなさい」


 勉強してくれるのなら別にいい。きっかけはなんだっていいのだ。


 そう言って涼香の母がどこからか取り出したのは、とある大学のパンフレット。


 どうせ本人任せにしたら、とりあえず国立大学に行くわ! と言うだろう。


 今からだと、さすがの涼香でも無理だ。高校一年の頃から頑張らせれば行けたのだろうが。


「あら、これは……委員長が進学した学校ね。確か若菜わかなもここに行くと言っていたわ」

「あー確か、委員長かなり学校のレベル下げてましたよね」


 出されたパンフレットを眺めて二人は記憶を確認する。


 委員長――宮木紗里みやぎさりは、涼香の一つ上の図書委員長のことだ。上級生で、唯一涼香のドジっ子を知っており、なおかつそのフォローをできる人だ。


 涼香の母がこの大学を選んだのには理由がある。


 涼音も、なぜこの大学なのか、その理由に察しがついた。


「そう、その委員長もあなたが来れば色々と助かることもあるでしょう。それに、若菜ちゃんも嫌がりはしないわ。あと他にも進学する子はいるみたいだけど」


 二人とも、涼香のことを心配してくれている。主に自分達がいなくなった時の周りの被害状況をだが。


 大学というある程度大きな場所では、涼香一人では危険が伴う。人も多いしそれは特にそうだろう。確実に涼香の後を追う涼音が入学するまでの一年持つとは思えないし、入学したとて、涼音一人任せにするのは高校よりもリスクが高い。


「なるほど、確かにここなら色々と安心ですね」

「この大学なら、今から私が勉強を見てあげたら余裕で行けるわ」


 涼音は納得しているが、涼香はまだ決めかねている。


「確かにいいと思うわ。でも、私の意思は無いのかしら?」


 涼香の意見は最もだ。今までなにもしてこなかったとはいえ、いきなりこの大学を目指せなんて言われても、納得するのは難しい。


 涼香も涼香なりに進路のことを考えていなかった訳では無いのだ。


「だって――」

「どうせ――」


 涼音と母が目を合わせて頷き合う。


「そこから先は言わせないわよ!」


 涼香の待ったに二人は口を噤む。


「とりあえず勉強はするわ、でも進路は私が決めるわ!」


 腕を組んでそう言う涼香の目は、なにか決意したかのように強い光が宿っていた。


「分かったわ、勉強は私が見てあげる。それじゃあ、まずは宿題からね」


 無理に自分の意見を押し付ける気の無い涼香の母はそれで納得する。


「今日は疲れたから、明日からするわね」


 さっきまでの威勢はどこへやら。涼香は髪の毛を乾かしに行こうと逃げるように席を立つ。


「そう言うと思っていたわ。安心しなさい、明日は有給を取ったから」


 背中を向けた涼香に、母が言葉を投げかける。


 恐ろしいものを見たような表情で振り向く涼香であった。

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