王妃は転生したら町娘になりたかったのに秘めた思いを炸裂させた将軍に溺愛される令嬢になってめんどくさいお国事情に巻き込まれるけどなんやかんやで幸せになりました

@madam_R

第一部 第1話 転生したからって楽できると思うなよ、というプロローグ




先に訂正しておくわ。

王妃、じゃないの。


“女帝”よ。

あぁ

“元女帝” なの。




それはこうなった理由が、馬鹿で愚鈍な夫にあるの。

あぁ、わかってほしいの。私は選ぶことなんてできない身だったのよ。


こんな男に国を任せておいたならば

きっと国は駄目になる。





夫で、王のアンソニーはどうしようもない気の小さい男。

褒めるところがあるならそこだけね。





婚約したのは13の時。

初めて会ったのは王城の薔薇庭園。



正直に申し上げれば、落胆と憐れみを感じたわ。

誰に?



私に、よ。





咲き乱れ、むせぶような香りの美しい薔薇のなかで

アンソニーは歯並びの悪い口をだらしなく半開きにしていた。

彼の容姿は“愚鈍”を絵に描いたような、怠惰な豚のようだった。

ー 豚に失礼だわ。



閉めきれず開けたままのボタンダウンのシャツから見える汚い肌も

だらしのないその体つきも

薄ら笑いを浮かべる顔の汗も、ただ私を落胆させた。










本当にこの方が“王”になるのかー?







不安の方が先にきて

彼の意味不明な質問を私は適当に相槌を打ちながらにこやかに応答する。



思えば最初から、彼を見下していたのよね。





17で王子妃として結婚しても

アンソニーに対する印象も思いも変わらなかった。



アンソニーが王に即位したのは彼が24で

私が19のときだった。




国に関するすべてはいつの間にか、私主導になっていった。

最初はアドバイスだけだった。

サポートしているつもりだったのに、いつしか周りにはそれ以上を求められた。





アンソニーは王となっても変わらなかった。

それどころか、私から逃げるように妾妃に逃げて

次は阿片窟(イケナイおくすり)へ向かう。







私は無視した。

愚鈍な夫。

人任せの優柔不断。








誰がこの男に、王の品格と資格があるというのだろう。







あなたがやらなきゃ、私がやるだけ。



そう思わせるだけの、させるだけの材料が彼にはあった。










出しゃばりすぎ?


夫を立てない?





そうかもしれないわ。









そう、だから


















私は、その罰を受けているのよ。


















ー愚鈍で怠惰な豚が見下ろしている。

(豚さんに失礼だから以下阿呆と呼ぶことにする)



「ふあっはっっはっは〜!

 ほら、私を馬鹿にした罪だ、ヘレナ。


 苦しいだろ〜う?



 あぁいい気分だ。


 お前が食べたのは“毒”だよ、“ど〜ぉく〜ぅ”。


 知っていたか? ベラドンナさ。

 お前がブルーベリーだと思って食べていたのは

 “毒”だったんだよう〜。


 お前はバカだなぁ〜。



 あ〜、愉快だなぁ。


 これでようやく、“王”としての仕事ができるぞう〜。」









体中が痺れている。

吐き気で目眩がする。





声はもう出ない。










アンソニー、そんなことより聞き捨てならないわ。

“王”として?







何を仰っているのかわかりませんわ。

あなたは何ひとつ

どれひとつ


やってきたことなんて、ないではありませんか。



すべて私と宰相、臣下たちで日夜問わずに

難局を乗り越えてやってきた。



あなたはその時何をしていたのですか。

ブランデー瓶を片手に、腹が減ったと喚き散らし

侍女を殴り倒していたではありませんか。

嫌がらせに阿呆にしてやったのは安酒を水で目一杯薄めてやったわ。

阿呆は気付かない。




あなた達、王一族は遊び耽り

この国の財政を蝕んでいたではないですか。

嫌がらせにしてやったのはパーティに呼んだ道化師を使って

怖い話シリーズをたらふくさせてやったわ。

夢見が悪くなればいい。






どれだけ欲に塗れようとも

私はあなたを責めなかった。

どれだけ愛人たちと色欲にまみえていても

私はあなたを貶めたりしなかった。

嫌がらせにしてやったのは

ベッドの布団をフッカフッカにしてやったわ。

阿呆は一日中寝てるから静かでよかった。



それとて、息子アーサーの為。






彼を守るためなら、私は死んでも構わない。














いいでしょう。



罰は受けましょう。














いつか来ると、わかっていたことです。


この日を私が知らなかったとでも?




















あなたが選んだベラドンナ。






それなら私の最期は “沈黙” に、しましょうか。






















薄れゆく意識の中で

アンソニーの間抜けヅラを見ながら死ぬのはまっぴらだったから

私は目を閉じて少し、昔を思い出していた。




婚約する前、お慕いしていた方がいたの。

内緒よ。


お慕いって言ったって、気になるひと、ぐらいかしら。

彼は騎士になるために、我が家の兄に剣術を習っていたわ。

私よりも3つ下だったけれど、堂々として精悍な人だったの。



うふふ。

彼は私が初めて見た家族以外の男性だったから

なお、そう見えたのかも知れないわ。




彼の名を忘れるはずもない。


だって彼は、我が国の将軍だもの。




彼の名は、ユージーン・エルンハスト卿。






変ね、もう死ぬっていうのに

ぼやけた彼が見えるわ。毒のせいかしら。きっと幻ね。


どうしたの?ユージーン。

昼の議会は承認したから、なくなったのよ...
















ー次? 次があるの?


そうね、次があるなら気立てのいい町娘がいいわ。

あの奔放で自由な姿は見ていて飽きなかった。

おおらかに笑って、思いっきりその辺を駆けてみたい。

足だってバタバタさせてみたいわ。




なんなら葡萄畑で葡萄踏み娘になりたい。

葡萄踏み...



静かに座って王妃として振る舞い、行儀、噂話に嫉妬に嫉み。

それから画策なんてこと。

そういうのは、もう結構よ。...



生まれ変わるなら、ああいう娘になって...

自由に...


........



...





女帝、ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒは死んだ。


没年29歳という若さだった。

死因は長期に渡る微量の毒殺によるものだ。





彼女の国葬は12月、寒空の下盛大に行われた。

女帝は在位してからの10年間

幾度の国の財政難を乗り切り、国の産業を支え

農業の発展に努めた。たった10年とはいえ

その輝かしく持ち直した王政に

国民は皆、この女帝の死を信じられないでいた。


彼女は永遠の国母としてその後、王妃の俯く横顔は国の貨幣となった。



王の手による王妃を毒殺したという”事実”は明るみになっていない。

表向きには心臓発作による突然死ということにされた。


王は自分を慈しんだ王妃を亡くした悲しみに暮れ

心痛のあまり、息子と宰相にその座を明け渡し

隠居した、という”事実”が国民に伝えられた。





実際は、その場で処刑されたのだ。



将軍、ユージーンの手によって。












王族もその対象となったが、王族はこの王妃の毒殺を知らなかった。


純粋に酒池肉林に耽り、欲に浸っていたことが幸いしたのか

領地のすべてと、財力の大半を国に寄付し

王族男性はすべて国外追放、

王族女性は国内僻地の各修道院に幽閉という形で許された。

皮肉にも、それらは全て王妃の“”に寄与したいという名目だった。






息子アーサーは、宰相であるフィリップ・モント・イグネシアスに保護された。

実質的な後見人だ。




王妃は来るべき日を見据えて

宰相に言い含めていた。




「フィリップ、よく聞きなさい。

 アンソニーは馬鹿で愚鈍だけれど

 気の小さい男よ。

 何度か毒を盛られたけれど、彼、致死量って言葉を知らないみたいなの。


 

 ふふ。


 でも、時期、くるわ。



 あぁ、えぇ、いいのよ。やらせておきなさい。





 だから、私が倒れたら

 アーサーをお願いね。


 あの子はあなたとユージーンのいうことは聞くわ。


 けど、ユージーンはダメね。

 貞操観念が低いもの。

 あなたは違う。


 あなたなら、アーサーを立派な王に教育できるわ。


 ユージーンと協力して、この国の未来を築いていって頂戴。」






王妃でありながら女帝として君臨していたヘレナは

死を迎えるその直前まで精力的に働いた。


アンソニーが部屋を訪れて

ベラドンナの実を持ってきたときも

彼女は変わらず、各領地の産業と農業の収益性の有無をまとめていた。



そしていつものようにアンソニーに感謝を述べて

その実をかじった。

薄ら笑いを浮かべながら上目遣いに自分を見る夫に微笑みながら...。



何かが倒れる音がした。




部屋の外にはユージーンが控えていた。

フィリップから聞かされていたことが現実になった瞬間だった。






ユージーンはヘレナに幼い頃から淡い恋心を抱いていたが

王子の婚約者になったときには諦めた。




ー 諦めようとした。



しかし、婚約者として王子を支えたいという

彼女の真摯な気持ちに、ユージーンは次第に怒りを覚えた。


ヘレナは一度たりとも、王子に対する愚痴をこぼさなかった。


不満すら顔には出さず、婚約者として恥ずかしくのない態度をとり続け

王子を好きとも、嫌いともいうことはなかった。



ただ、ほほえむだけ。




他の令嬢たちは醜聞を流すどころか、同情していた。

あんな、愚にもつかない王子というにはあまりに劣った、欲まみれの

見目も悪ければ、その性根の腐ったような頭の悪い男。



たとえ、将来王妃としての椅子を約束されたって

皆、その親ですら眉をしかめて辞退した。


いずれ、これが王であるならこの国の先は短い。

そう判断し、次の画策をする者が多かったのだろう。



令嬢たちはヘレナが婚約者となったことを

人身御供のヘレナに心から同情しつつも

我が身にその座が回らなかったことに胸を撫で下ろしていた。




そんな噂が世事に疎いユージーンの耳にも入るぐらいだ。


王子としての資質がないことぐらい、火を見るより明らかだった。

そんな資質も、男としても自分が劣っているとは思いたくない。


ユージーンはヘレナがどうして婚約したのか

どうしてあの男を選んだのか、分からなかった。



もし、ヘレナが「あんな王子嫌だ」と言ってくれたなら

ユージーンは奪っただろう。



ヘレナは結婚式の日ですら、いつも通りだった。


ただ、ほほえむだけ。


その次の日、外廊下を侍女を引き連れて歩くヘレナを見かけた。

ファシネーターをつけて正確には分からなかったが

彼女の目元は赤く腫れ上がっているように見えた。

それをみたとき

ユージーンは体の芯が焦げるような気持ちになった。




彼女の純潔を奪われたことよりも

彼女の自尊心が傷付けられたという怒りが

次第にユージーンの胸に押し留められていた恋心を変化させていく。




ヘレナの立場に自分の立場が近付いていくに連れ

ユージーンは自分に抑えきれない衝動が湧くのを感じていた。

自分に向けられる王妃のほほえみに、

王妃という仮面を無理やり剥がしとりたくなる。



“これは、彼女の本当のほほえみじゃない。”



激しい劣情ばかりがユージーンの良心に苛まれる。


他のどうでもいいような女との関係は

ユージーンの劣情をいっときだけ解放してくれる。

それで王妃への思いがなくなる訳じゃないことを

ユージーンはよくわかっていたが

王妃のそばで、何事もないような態度を取るには

彼は若すぎた。


手を伸ばせばすぐそこにある手を

一度も握れず

触れることもないまま


王妃は死んだ。










王妃であり、女帝。



彼女は守られることを望まなかった。



国を守れ、と言った。

国を尽くすことを自身が体現し続け

寝る間を惜しみ、明け暮れた。



それはまるで














“早く 殺してくれ” と









泣き叫ぶような










懺悔にも似た  生き方だった。















転がるように倒れているヘレナが

つぶっていた目をうっすら開けた。



もう、手の尽くしようはない。




彼女の呼吸は次第に浅くなり

その身の周りにはベラドンナの実が落ちていた。



ユージーンを見てヘレナは何か言ったような気がしたが

慌てて逃げようとして椅子につっかえ尻餅をつくアンソニーに

ユージーンは剣の切っ先を突き付けた。




「王妃毒殺の 罰を受けよ」









それ以外、言わなかった。









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