#36 手を繋ぐ友達
「おうふ・・・」
地下鉄への乗り換えの駅で列車が止まると、多くの乗客が降りてホームから上がる階段では人が溢れていた。
田舎で中学時代を過ごした僕は、その光景に圧倒されてしまった。
エスカレーターや階段に吸い込まれていく人混みの中に入っていけずに戸惑っていると、佐倉さんは相変わらず僕のTシャツの右袖を掴んだままで、僕以上に不安そうな表情を浮かべていた。
「人が、ゴミの様です・・・」
今日は、佐倉さんが楽しみにしていた初デート。
僕が情けないせいで、佐倉さんを残念な気持ちにさせてはいけない。
男の僕が、しっかりしなくては。
デートの経験が無い僕にでも、それくらいは分かる。
僕のTシャツの袖を掴む佐倉さんの手を、左手でそっと掴んで袖から離すと、右手でその手を掴み直した。
「人多いから、手を繋いで行こう」
「うん・・・」
佐倉さんは返事と一緒に、繋いでいる手に力を込めて握り返してくれた。
そこからは、案内標識を頼りに地下鉄のホームまで移動して、地下鉄の車内では混雑して座れなかったので、二人とも目的の駅まで立っていた。その間、手はずっと離さずに。
乗り換えで降りるまではお喋りだった佐倉さんは、地下鉄の車内では俯いて無口になっていた。
僕も手を繋いでいることが恥ずかしくて、無口になっていた。
女の子と手を繋ぐのなんて、幼稚園以来だ。
たまに母さんと外食や買い物に出かけるとよく腕を組もうとしてくるけど、それですら恥ずかしくて直ぐに逃げていた。
そんな僕が、自分から手を繋ぐなんて、自分でもびっくりだ。
地下鉄の車内はクーラーが効いてて涼しいはずなのに、脇や掌の汗が凄い。
恥ずかしいし手汗を嫌がられてないか気になって、佐倉さんの顔がまともに見れない。
佐倉さんもさっきから僕と目を合わせようとはしない。
多分、僕と同じなのだろう。
でもお蔭で、慣れない人混みの中でもはぐれずに移動出来た。
目的地の駅で降りると、トイレへ行くことにした。
用を済ませてしっかりと手を洗い、冷たい水で顔も洗った。
鏡に映る自分の顔が酷く疲れて見えた。
慣れない人混みや電車移動に、疲れてしまったのかな。
でも、今日はまだ移動しかしていない。デートの本番はこれからだ。
気合を入れ直すつもりでもう一度顔を冷たい水でバシャバシャと洗い、リュックから出したタオルでしっかりふき取ってからトイレを出た。
佐倉さんはまだトイレから出てきていなかったので、入口が見える柱にもたれて出てくるのを待った。
5分ほどして佐倉さんが出て来たので、僕の方から傍に寄り、「行こうか」と声を掛けて地上に出る階段を目指して歩き出した。
すると、佐倉さんから「あの・・・」と声を掛けられた。
立ち止まって振り返ると、なんだかモジモジしている。
「どうしたの? 体調でも悪くなったの?」
「ううん・・・その・・・手を・・・」
ここからはそれ程混雑していないので、もう手を繋ぐ必要は無いし、手を繋いでいると僕も佐倉さんも恥ずかしさで緊張して汗も凄かったから、もう手を繋がなくてもいいだろうと思ったけど、佐倉さんはまだ繋ぎたかった様だ。
「じゃあ・・・どうぞ」と言って右手を差し出すと、佐倉さんは僕の手をギュっと握った。
歩きながら佐倉さんから「今日はずっと手を繋いでてもいいですか?」と聞かれた。
なので、「映画の時と食事の時はちょっと困る」と答えると、「移動の時だけで!」と力強く言われ、了承してしまった。
でも、先ほどの地下鉄に乗ってた時と違って、佐倉さんは既に手を繋ぐことに慣れたのか、恥ずかしそうにはしていなかった。
地下鉄の駅から映画館までは、歩いて10分程だった。
チケットは佐倉さんがまとめて購入してくれたので、自分の分の料金を払うと、上映開始まで余り時間が無かったので再び手を繋いで予約していたシートまで移動した。
◇
楽しみにしていた映画『劇場版バイオレンス・エヴァーガーデン』は、とても良い作品だったけど、女の子と二人で観に来たのは失敗だった。
主人公が会いたい人に会えない寂しさを紛らわすように暴力の世界で生きつつ、拳を通して知り合った仲間達との触れ合いを通じて、少しづつ人を愛することの意味を学び、最後クライマックスでその会いたかった人に再会出来るという物語で、途中までずっとガマンしてたけど、次から次へと泣けるシーンの連続で、ガマン出来ずにボロボロに泣いてしまった。
人前で泣いたのは、婆ちゃんが亡くなった時以来だ。
しかも同級生の女の子の前で泣いてしまったのは失敗だった。
こういう泣ける映画は一人で見るべきだと学んだ。
エンドロールが終わりホール内の照明が点いて明るくなったので、泣いていたのを誤魔化そうとタオルで顔をゴシゴシしてから佐倉さんに声を掛けると、佐倉さんは僕以上に泣いてボロボロだった。
泣き過ぎて立ち上がれなくなるくらいで、僕が使ってたタオルを渡すと、それを顔に当てて蹲るように伏せて動かなくなってしまった。因みに、このタオルは以前佐倉さんから貰ったタオルだ。
「次の上映まで少し時間があるから、落ち着いたら移動しよう」
「うん、ごめんなさい」
僕が佐倉さんの背中を撫でながら声を掛けると、タオルに顔を
「大丈夫。 他にも同じようなお客さん居るみたいだし」
周りには、僕達と同じように、観賞後の余韻で立ち上がれない人がチラホラと居た。
「でも、凄くいい作品だったけど、予想以上に泣けたのは、ちょっと失敗だったね」
「うん・・・またアラタくんの前で泣いちゃいました・・・」
「僕も自分が人前で泣くとは思ってなかったよ」
こんな会話をしながら、『一緒に映画観て僕と同じようにボロボロに泣くこの人は、きっと僕と同じような感性の持ち主なんだ』と、共感?安心感?みたいなものを佐倉さんに対して初めて感じていた。
◇
映画館を出ると予定通り昼食をとる為に、佐倉さんがチョイスしていたパスタのお店に向かった。
目的のパスタのお店は、映画館から近い商業施設の中にあり、向かう途中、手を繋いで歩きながらずっと映画のことを喋っていた。
いつも部活で映画観た後も、こんな風にお互いの感想を話して盛り上がったりするので特別なことでは無いのだけど、でもやっぱり楽しかった。
お店に着いて席に案内されて、メニュー表を見ながら注文している間も、早く映画の話の続きをしたくて仕方なかった。
佐倉さんも同じだった様で、注文を終えて店員さんがテーブルから離れると、先ほど見た映画の好きなシーンを早口モードで話しつつ、途中思い出したのかウルウルしながらも、熱の篭った解説を聞かせてくれた。
食事を終える頃には漸くお互い落ち着いてきて、話題は映画の話では無く、食べたばかりのパスタや食後のデザートの話になり、そして小学校の頃の話にもなった。
今まで、メールや雑談の中で小学校の頃の話を聞かせて貰うことはあった。 その内容は、僕が佐倉さんを助けた時の話や、転校した後に須賀さんと仲良しになった話などで、そんな話の最後には毎回「アラタくんのお蔭です」と僕への感謝の言葉で締めくくっていた。
でも、この時の話は、少しばかり違った。
「本当は、小学校の頃に、こんな風に二人でお出かけしたり、手を繋ぎたかったです」
「うん」
「学校でもお喋りして、一緒に帰ったりして、たまにクラスの友達に揶揄われて、それでアラタくんが私を守ってくれて。そんな時間を過ごしたかったんです」
「そっか」
前々からそんな風に感じてたけど、やっぱりそうだったんだね。
「でも実際は、アラタくんは転校して、しばらく私の隣の席は空いたままで、それがとても悲しくて寂しくて、辛くて・・・。 何度も何度も、空いた席に向かって『アラタくん』って呼びかけてました。 でも余計に悲しくなりました。 なんで居なくなる前に声を掛けなかったんだろうって、どこまでも自分の不甲斐無さに後悔ばかりでした」
「・・・」
「だから、今のこの時間は、私にとって何よりも大切な時間なんです。教室で過ごす時間も、部活の時間も、一緒に下校する時間も、アラタくんのお家にお泊りしたのも今日の初めてのデートも、ずっと夢に見るほど欲しかった時間で、でも諦めてもいた物で」
「うん・・・」
「急に、こんな話してごめんなさい。 映画観てたらそんなことばかり考えちゃってて、ずっと会いたかった人に再会出来た私は、どれだけ幸せなんだろうって改めて考えちゃって」
「なるほど」
佐倉さんの話を聞いてて、ちょっぴり『佐倉さんって、重いしヤバイ人だな』って思っちゃったけど、観たばかりの映画の影響受けちゃってるところは、やっぱり憎めない人なんだなって思えた。
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