#12 小学5年の出来事




 小学生時代の僕は、久我山さんが話していた通り正義感の塊の様な子供だった。


 どうしてそんな性格だったのか、自分でも理由はよく分からない。

 ただ、目の前に困っている人が居れば、声を掛けずにはいられなかったし、友達同士が喧嘩を始めれば、自分が何とかしないといけないという使命感に駆られて、仲裁に入っていた。


 そのことで、『自分は良い行いをしているんだ』と驕る気持ちは無くて、純粋に『そうしなくてはいけない』と思っての行動だった。


 その様な行動は、小学5年の1学期に転校するまで続いた。

 逆に転校して母さんの実家がある田舎の学校では、そういった行動は一切無くなった。




 小学5年の転校は、僕にとってターニングポイントだったように思う。


 それまでも婆ちゃんの介護の為に毎週末、母さんの実家に行っては婆ちゃんの介護を手伝ったりしていたんだけど、本格的に付き添いでの介護が必要となり、長女である母さんが婆ちゃんと実家で同居することになって、僕もついて行くことになった。


 更に、このことが切っ掛けになって、両親は離婚した。

 本当の原因はまた別にあったらしくて、両親のどちらからも、よく話し合ってお互い納得しての円満離婚だと説明されたけど、小学5年の僕にはとてもショッキングな出来事だった。


 転校による生活環境の激変。

 両親の離婚。


 この2つのことがあり、それまでのような他人の為に何かをするということをしなくなった。

「しなくなった」というよりも、そういう使命感や衝動が沸かなくなったと言った方が正しいと思う。



 須賀さんが言っていた、『隣の席だった佐倉さんを僕が助けた』という話は、多分、そのターニングポイントとなった小学5年の転校する直前のことだ。

 まだ正義感に溢れて、積極的に周りの友達へ手を差し伸べていた頃だ。


 僕の隣の席だった当時の佐倉さんは、大人しくて眼鏡を掛けてて、いつも猫背で目立つことを嫌っている様な内向的な子で、授業で先生から指されたりするとおどおどして、喋る声もぼそぼそとよく聞き取れなくて、今で言う陰キャだった。


 そんな佐倉さんのことを僕は、隣の席(ペア)なんだからと普段から気には掛けていたけど、大人しい子だから、あまり押しつけがましくなっても嫌がるだろうと思い、なるべく目立たないようにフォローすることを心がけていた。


 クラスメイトの誰かから揶揄われそうになったら、それを遮る様にそのクラスメイトに話しかけて話題を変えたり、図工なんかの授業中に佐倉さんが困っていたら、さりげなく一言二言アドバイスしたりと、多分本人には気付かれていただろうけど、他の人から注目されない程度のフォローをしていた。



 そんな隣の席の佐倉さんのことで、少しばかり特殊な出来事があった。


 ある日の授業中に、佐倉さんが隣の席で真っ赤な顔をして俯いたままブルブルと震え出した。


 ただ事じゃないと思い声を掛けようとしたら、アンモニア臭が漂って来た。

 直ぐに、おしっこを漏らしたんだと分った。


 当時、毎週末婆ちゃんの介護の手伝いをしていたので、女性が尿を漏らすことに偏見や抵抗は無かった。

 婆ちゃんの介護をしている中で、母さんからも「女の人は男の人よりも、おしっこが漏れやすい体」なんだと教えられていたので、『女の人は大変なんだな』という認識を持っていたのもあって、佐倉さんが漏らしてしまったことを笑ったり馬鹿にするような気持ちは一切なかった。


 ただ、僕はそうでも、クラスメイトたちは違うというのも分かっていた。


 だから最初に「クラスメイトたちに知られる前に、助けなくては」と考えた。


 見ると、佐倉さんが座っているイスからポタポタと雫が垂れ始めていた。

 自分の机の横に掛けていた手提げバッグにタオルを入れていたので直ぐに取り出し、広げてから佐倉さんの膝に掛けてポタポタしているのを隠した。


 次に、直ぐに教室から連れ出す必要があると考え、挙手して「佐倉さんが体調不良の様です」と先生に訴えた。


 教卓で立って授業していた先生が「佐倉さん、大丈夫?」と声を掛けながらコチラの席に歩いて来たけど、僕は先生のことは無視して近くの席にいた須賀さんに「須賀さん、佐倉さんを保健室に連れて行ってあげて」とお願いした。

 須賀さんは直ぐに席を立って、佐倉さんに駆け寄り「大丈夫?」と声を掛けた。


 その須賀さんに小声で、「(漏らしちゃったみたいだから、保健室で着替えさせてあげて。僕はこっちの掃除しとく)」と伝えると、無言で頷いて、佐倉さんの肩を抱くようにして教室から連れ出してくれた。


 教室内がガヤガヤと騒がしくなっていたので、そのどさくさに紛れて窓際に干してあった雑巾を2~3枚取って来て、素早く佐倉さんが座ってたイスの下に置き、濡れた床を何食わぬ顔で足を使って拭き取り、授業が終わってからその雑巾を廊下の水場で洗って、最後に佐倉さんのイスも水拭きで綺麗にした。


 こうして、なんとかクラスメイトたちには佐倉さんが漏らしたことをバレずにやり過ごすことが出来た。



 須賀さんが言っていた、『(僕が)隣の席だったナナちゃん(佐倉さん)の事を助けてあげたことがあって』というのは、この件で間違い無いと思う。


 確か、この出来事は僕が転校する直前だったはずだ。

 須賀さんの話では、佐倉さんはこのことがあってから僕のことを忘れられないと言っていた。

 でも、この出来事の直後、佐倉さんとこの件で何か会話した記憶は無い。 僕は気にして無くても、女の子がお漏らししたことを男子に知られるのはとても恥ずかしいことだろうから、佐倉さんからはこの件に触れられなくて、僕の方も気を使って触れなかったのかもしれない。


 そして現在の僕にとっては、須賀さんから話を聞くまですっかり忘れていた出来事だし、佐倉さんに関しても、当時とは容姿も雰囲気も全く違っていたので、隣の席だった子と佐倉さんが同一人物だとは全く分からなかった。


 正直に言うと、当時の佐倉さんは5年経って名前を思い出せないくらい印象が薄すぎた。

 おしっこを漏らしたことだって、引っ越してから毎日婆ちゃんの下のお世話をしていた僕にとっては、日常茶飯事とも言える様な出来事だった。 だから、思い出した今も、忘れていたのは仕方ないと思っている。


 でもやっぱり、いまの佐倉さんに向かってそんな言い訳をしても、また泣かせてしまうような気がするし、思い出せなかったことを納得して貰うのは難しいだろうな、とも思う。




 ◇




「ナナちゃんからはね、『アラタくんと折角再会出来たのに、いきなり泣き出しちゃったから嫌われちゃったと思う』って相談されてたの。それでお節介だとは思ったんだけど、きっとアラタくんは誤解してるから、せめてその誤解だけでも解かなくっちゃって思って、今日その話をしにきたの」


「なるほど。 事情は理解出来たと思う。 それと、佐倉さんのこともお陰で思い出せた。態々会いに来てくれてありがとう。凄く助かったよ」


「ホントはね、ナナちゃんには『自分からアラタくんに話して、ちゃんと説明しないとダメだよ』って言ってたんだけどね、どうしてもアラタくんを前にすると緊張しちゃうみたいで」


「うん」


「でもいつまでもこのままだとドンドン拗れて本当に嫌われちゃうって心配になってね。 でもナナちゃんには自分でちゃんとしないとダメだって言ってた手前、ナナちゃんには知られない様にした方がいいと思って、今日は内緒でアラタくんに会いに来たの。 本当はもう少し早く来たかったんだけど、教室だとナナちゃん居るし、放課後はナナちゃんと一緒に帰ることが多いから、こんなタイミングになっちゃった」


「そういうことだったんだね。 色々気を使ってくれてありがとうね」


「ううん。ただのお節介だし、気にしないで」


「それにしても、須賀さんと佐倉さんは仲良しになってたんだね。 小学校の頃はそんなイメージ無かったと思うけど」


「うん。 小五の時の事が切っ掛けで、アラタくんが転校した後も話す様になってね。中学に入ってからはいつも一緒だったよ。 いまじゃ親友というか相談相手?ほとんどナナちゃんの悩みを私が聞いてばかりだけどね」うふふ


「佐倉さんの雰囲気が随分と変わってたけど、それも須賀さんの影響?」


「うーん、私の影響というか何と言うか・・・色々相談に乗ったりアドバイスとかしたけど、「女の子は恋をすると可愛くなる」ってことかな? ナナちゃん、小学生の頃に比べてすっごく可愛くなったでしょ?ナナちゃんは、ず~っと恋してるからね」


「確かに凄く綺麗な人だとは思ったけど、そうなの?」


「そうだよ? 私も恋をしたら、今よりももっと可愛くなるし!」


「そっか、須賀さんはまだ恋してないんだね」


「そうだよぉ? アラタくんはどうなの?」


「僕もまだだね。 でも僕の場合はこのままでも毎日が楽しいから、恋愛はいいかな」


「ええ!?そうなの? 彼女とか欲しくないの???」


「うん。 しばらくはね」


「そっかぁ。 でも、すっごく可愛い子に『好きです』って言われたら、ワンチャンある?」


「うーん、分かんないや」


「例えば、ナナちゃんみたいな子とか」


「またそんな話してもいいの? 佐倉さんの気持ちは勝手に話せないんじゃなかったの?」


「あぅ、しまった・・・今の話も忘れて・・・」


 佐倉さんが恋してるから可愛くなったという話の後に、佐倉さんみたいな可愛い子に『好きです』って言われたらどうとか、須賀さんは『佐倉さんの気持ちを勝手に話せない』と本当に思ってるのだろうか?

 実はわざとなんじゃないかとすら思えてきたぞ。


 兎に角、事情は把握出来たけど、今の佐倉さんとの関係を改善するには、結局は佐倉さんが自分で何とかするしか無い様に思えた。


 最近の様子を見てても、今、僕から佐倉さんに何か話したところで、逆効果の気がする。

 また泣かれるのも困るし、もしまたそんなことが有れば、周りの人達からも悪い様に取られてしまいかねない。 入学初日のことだって、クラスメイトの中には「進藤が佐倉さんを泣かせた」と変な誤解をしている人もきっと居るだろう。


 須賀さんが佐倉さんに内緒で僕に会いに来たのだって、多分僕と同じような考えがあったからだろうし、僕からは何もアクションを起こさないのが得策だと思えた。




 そう結論付つけた頃には、話し始めてから1時間以上経過していた。


 今日はスーパーに食材の買い出しに行く用事があったので、須賀さんとはスマホの連絡先を交換して、その場で別れた。






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