ペーパーバッグ
メイズ
第1話 隣の人が言うには
*** 登場人物 ***
小池 仁 (こいけ じん) 101号室住人 語り主
西木 心 (さいぎ こころ) 102号室住人
相田 洋 (そうだ よう) 202号室住人
久井戸 隆一(くいど りゅういち)201号室に越して来たらしき住人
***
駅から出た時は人がたくさんいて、同じ方向に歩く見知らぬ人たちが前後に数人は必ずいるんだけど、進むに連れていつの間にか一人、道を歩いてる。
途中コンビニに寄って弁当を買う。今日は焼き肉弁当にしよう。
駅から徒歩7分。見えて来た、俺の住む2階建て全6戸の安アパート。ハイツ ディダクション。
もう、夜10時過ぎ。
今日も仕事を終えて、自分の棲みかが見えて来るとホッとする。たとえワンルームしかない築15年のアパートだとしても。一応ユニットバスもついてるし不自由は無い。
ここ、101号室。俺の部屋。
──あれ? これ何だろ‥‥?
やっとたどり着いたと思ったら、ドアノブに小さなペーパーバッグがぶら下がっていた。
隣の102号室の部屋のドアにも同じ物が。
近くで工事でもあって、昼間に業者が挨拶に来たのかな‥‥? 手を伸ばそうとした刹那、
「あ、こんばんは、今お帰りですか?」
不意に後ろから声をかけられた。
ちょうど隣に住むおねーさんも帰って来た。
すごく真面目そうな女性。ちょい苦手なんだよな、この人。どっかの小さな会社の事務員らしい。
俺たちは顔見知りで挨拶程度の関係だ。名前は一度聞いたけど、忘れた。表札も出て無いし、別にまた聞くほどのことでも無いし、不明。
「こんばんは」
俺はぺこりと頭を下げる。
アパートの壁の上方の防犯の蛍光灯に照らされたその顔は20代前半にも見えるけれど、話し方からして、俺と同じくらいかも知れない。
「私たち、きっと同じ電車に乗っていたんですね。私、今日は新人歓迎会で遅くなってしまって。あら? 何かしら? この紙袋」
「俺の所にも。なんですかね? 包装紙に包んだ箱が入っているみたいですよ」
俺は手にしたペーパーバッグの中身をチラッと覗き、ポケットから取り出したカギをガチャっと回しながら答えた。
「何かの挨拶回り、ですかね?」
眉間にシワを寄せながら俺に確めるように目を合わせて来た。
「そうかもですね、では」
俺が部屋に入ろうとドアを開くと、ガッと腕を掴まれた。
「
───なんで俺が怒られるんだろ? 一応女性だし、そういうもん? こんなの気にすることでも無くない?
俺はちょい腑に落ちなかったけれど、彼女がそう言うのならここで開けることに同意した。
「じゃ、一緒にここで開けてみましょうか?」
「ったく、気が利かない人ですね。最初からそう言って下さいよ」
プリプリ不機嫌そうに俺をチラッと一瞥した。
一言余分なタイプらしい。こういう人と付き合う男ってどういうタイプなんだろう? 気が知れない。
俺は包みを取り出し、止めのシールを剥がそうとして気づいた。
「あ、カードが包装紙の隙間に挟まっていますよ」
****
201号室に越して来た
宜しくお願いします。
挨拶の品を持ちまして伺いましたが、お留守でしたのでこのカードにてご挨拶に代えさせて頂きます。失礼のほどお許し下さい。
****
「本当だ。へー‥‥201号室に今日、誰か越して来て挨拶に来たようですね‥‥」
「俺の部屋の上か。クッキーの詰め合わせですね。へぇ‥‥‥
「‥‥‥ちょっと待って‥‥‥」
「まだ何か?」
この人はドアノブに手をかけた俺をまたもや引き留めた。
ったくさ、俺は早く飯食ってシャワー浴びて寝たいんだけど。
「‥‥‥このクッキー、食べない方がいいかも」
「どうしてですか? これ、人気コーヒーショップのクッキーじゃないですか」
「だって、この名前って‥‥‥もしかして‥‥‥?」
「名前がどうかしました?」
彼女の知ってる人なのかな? 俺は初めて聞く名前だけど。
彼女はバッグからがさごそと、仕事用の手帳を一枚破り、ペンを取り出した。
「見て! 簡単なアナグラムです。『く、い、ど、り、ゆ、う、い、ち』を並び替えてみてくださいよ」
紙に書いた平仮名を俺に渡す。
「ええと‥‥う~ん‥‥あ! 『
「違う! 『
「え?! どういうことですか?」
「きっとこれは毒入り菓子なのよ!! 犯人は私たちにヒントを与えてるのよ! それが無くちゃフェアじゃないもの」
「‥‥‥ちょっと待って下さいよ。犯人って? あなた飛躍し過ぎじゃないかな?」
この人は普段から何を考えて生きているのだろう?
「これは毒入りクッキーなのよ! そして私たちは狙われている!!」
「‥‥なぜ俺たちが狙われるんですか?」
俺は人に恨まれるようなことをした覚えはなくもないけど、今んとこ俺だとはバレてはいないから、やはり恨まれる覚えはない。
「私たちの共通点はここに住んでるってことだけですね? ならヒントはここにある! 今すぐ201号室に行ってみましょう!
「ええと‥‥はぁ」
あまりの勢いに返事をしてしまった。まあ、お礼がてら挨拶してもいいかもしれないけど、もう10時過ぎてるし、非常識だと思う。
この昔ながらのアパートは、2階へは脇から外階段を登って行く。
階段に、カンカンと女性のヒールの音が響く。
彼女は201のピンポンを押す。もちろんこの安アパートのは、モニターカメラ付きではない。音だけピンポンだ。
無反応‥‥‥
「人の気配が無いですね? 電気も消えてるし、お留守じゃないですか?」
いなくてほっとした。
「居留守かも知れないです!」
彼女はドアをバンバン叩き始めた。
もう勘弁してくれよ‥‥‥
「ちょ‥‥もう夜ですし、やめましょうよ‥‥‥近所迷惑になりますよ」
と、言っている内に横の202号室のドアが開いた。
「どうかしたんですか? うるさいんですけど」
迷惑そうな顔が半開きのドアから覗いている。
俺は初めて見た202号室の住人。丸い顔の中年男。ドアの横の上方の差し込み式の表札には『
彼女は、数秒その名前を見つめてから名乗った。
「すみません。私、下の102の
彼女は、例のペーパーバッグを掲げて見せた。
ああ、そうだった! この人、
「えっ? えっと、ああ‥‥それは‥‥‥。隣の201の挨拶の品ですね。それがなにか?」
困惑顔で
「私たちも頂いたんです。ペーパーバッグがドアに掛かってて」
「‥‥‥あんたたち、わざわざお礼を言いに来てたんですか? 隣は今、留守だと思うけど。物音一つしないし。もう夜ですよ? 寝てる可能性だってありますよ」
不審者を警戒した眼差しで俺らを見てる。‥‥‥だよねー。
俺は早く部屋に戻りたい。西木さんは、毒入り疑惑を晴らせば気が済むんだろう?
「夜分すみません。私は101の小池です。あの‥‥そのクッキー、もう召し上がったんですか?」
俺が質問すると、相田さんは言った。
「‥‥ああ、あれ、美味しかったですよ」
西木さんと俺は顔を見合わせた。
よっし! これでオッケー。毒入りじゃない。
って思ったら、西木さんは俺を引っ張って後ろ向きにして、こそこそ耳打ちした。
「『そ、う、だ、よ、う』を並び替えてみてみなさいよ! 『嘘だよう』ってなります」
またもやアナグラム?
内緒話の俺たちに、相田さんがキレた。
「どうかしたんですか?
目がすっごい怒ってるのがわかる。
「いえ、何でもないです。夜分に申し訳なかったです」
俺はペコペコ頭を下げる。
───待って、なんで俺がこんな目に???
疎ましさを遮るかのように、忌々しさを表す大きな音で、バタンッとドアが閉められた。
おかしな人たちだと思われただろうな。俺まで。
「おかしいです!」
いやいや、おかしいのはあんただ。
「201には誰かが引っ越して来てるように見えませんよ? 空き段ボールさえ置いてありませんし、荷物を運び入れたようにも見えません」
「確かに、201は全くの空き室のままのように見えますね。一見、荷物が運び込まれたようには思えない」
「201も203もドアポストにチラシがたまったままです。引っ越したらまず、こういうの捨てるはずです。目につくし」
「‥‥‥そうですけど、そこは後回しにしてるのかも知れませんよ。今日は中の掃除だけ軽くして挨拶の品を配って、明日の朝、荷物の搬入で、今夜はホテルとかネットカフェに泊まるとかあり得ますし」
新住人に会うまでは何とも言えないよな‥‥‥
「‥‥でも、食べないでください」
彼女は頑なに、小さく呟いた。
「‥‥もう、戻りましょう。夜分だし」
まったく、やっと帰った途端に災難だったな。明日は休みの土曜日で良かった。寝坊しよう‥‥‥
***
されど翌朝、救急車のサイレンで起きることとなるとは───
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