第三食:選ばれた人間の選ばない食事

前編:デスゲーム会社というところは

 業界にはその業界特有の宿痾というものがある。

 宿痾、という言い方がピンとこないなら、あるコミュニティに属するゆえの優越感と言い換えていい。省庁官僚が自身を裏から政治を操るパペットマスターであると思い込むように、教師が子どもに頼られ自分を大人物であると勘違いするように。その業界で固有の業務に携わるうち、その人の中にはありもしない万能感が澱のように淀み溜まっていく。

 デスゲーム業界にもそれはある。というか、ない方がおかしい。だって、デスゲームだ。参加者を集めて殺し合いの遊戯に放り込む黒幕としての業務を務めていて、ある種の全能感や優越感を覚えない方がおかしい。

「依頼されていた資料、持ってきました」

 BR社オフィス、企画部第六企画課はここ最近、大わらわだった。私が資料室から頼まれていた資料をまとめてワゴンに載せて運んでいくと、そこでは社員たちが蠢いている。

 ちらりと、私は腕時計を見る。時刻は午後六時半。定時はとっくに過ぎている。

「すみません室長。今は採用試験のシーズンで忙しいというのに」

「お気になさらず。まさにその採用試験の関係でどのみち残業する羽目になっていましたから」

 ぺこぺこと腰の低い第六企画課の課長をなだめて、私は資料を置く。

「夏のデスゲームの企画でしたか。第六企画課がここまで大慌てするような事態ですか?」

 企画部は第一から第六まであり、第四企画課までが春夏秋冬各シーズンのデスゲームを企画するメインの部署となる。第五第六は突発的な企画に対応しつつ、その中で他の部署をフォローするのが仕事だ。

 今は第五企画課が採用試験に駆り出され、第一企画課が春シーズンのゲームを最終調整中。第二から第四はアイドリング期間で休みつつ次の企画の準備という様子、のはずだが。

 夏シーズンを担当する第二企画課がどうしてか相当あわただしくなり、フォローとして第六まで駆り出されている。デスゲームというのは突発的に開いたりは通常できないから、通年の予定がここまで狂うのは珍しい。

「実は補助金と開催場所確保の都合で……。急に企画提出の予定が前倒しになってしまったんです」

「ふむ?」

 補助金は知らんが、会場は自社所有のところではなく政府が用意した場所を使う予定になっていたはずだ。デスゲーム黎明期に政府がデスゲーム会社を支援するために会場をいくつか用意して、それがそのまま運用されている。設備としてはかなり古いが、自社で保有するには面倒が勝る特殊な会場を持っているのでたまに使う。

「押さえていたはずの会場が突然、遊戯公社に貸し出されるという話が出まして」

「ああ、それで」

 遊戯公社は官僚や政治家とのつながりが強いからな。横紙破りで突然こういうことをしてくる。まあ十中八九こちらへの嫌がらせが主だろう。黎明期は公社によるこの手の嫌がらせが同業他社に行われることが多かった。多くのデスゲーム会社が倒産ないし撤退したのは稼業の難しさはもとより、こういう事情も大きい。

 そりゃ、政府との連携が不可欠なデスゲームで、こういう先んじて決めたことを後から一方的に変更されるようなことを散々やられれば嫌気がさす。というか行政と一部企業の癒着がそこまで甚だしいと、ある日突然「お前のところのデスゲーム会社認定取り消すから」と言われて一瞬で廃業させられても全然不思議ではない。誰が無根拠かつ突発的な医師免許剥奪が横行する世界で必死こいて医者になりたがるのだというのと同じ話。

 それでも業界自体が安定期に入って長い今時分はそういうことも黎明期より減ったのだが……最近公社の動きがどうにもキナ臭いな。

「…………」

 しかし……こうした諸般の事情を考えると、やはり社長の存在は不可思議ではある。リリーデン氏が以前語った通り。

BR社はその動きをデスゲーム基本法が通過し起業する瞬間まで悟られなかったが、それがそもそもおかしい。新規的な事業、しかも扱うのがデスゲームとなれば行政との癒着はほぼ不可避だ。にも関わらず社長はほとんど後ろ盾もなくBR社を設立し、行政や遊戯公社によるハラスメントをやりすごして今の大きさまで会社を成長させた。

 傍目にはそれは偉業に見えるが、意味のない努力だ。それができるだけの才覚と能力があるなら、別の業界で頑張った方が断然効率がいい。なんなら不景気に沈む日本から脱出したって構わない。

 その能力に対し、発揮する場所がズレている。しかもそのズレは、社長の能力と才覚を考えれば通常ありえないズレだ。だから――――社長には何か別の思惑があるのではないかという憶測が成り立つ。

紙花花しかばな室長?」

「……ああすみません。ぼうっとしてました」

 第六課長の言葉で現実に引き戻される。

「頼まれていた資料ですね。こちらが以前BR社が行った利用者アンケートです。同様のアンケートを遊戯公社とデッドインクも行っていたのでそれも。そちらが以前同じような遊戯公社からの攻撃があった際に、前任者が対応したときの報告書です。参考になると思います」

「助かります」

 課長は部下に指示を出し、ワゴンから資料を下ろしていく。私はその作業が終わるのをオフィスの隅で待つことにした。別に放置して後で回収してもいいのだけど、またすぐ搬出に必要かもしれないので今回収したい。

 忙しいな、ここ最近。採用試験はもとより、突発的な企画が持ち上がり、その上で夏シーズンの企画もバタバタし始めた。まあ、春シーズンの運営は大きなトラブルもないらしいからそれが救いか。

「ん?」

 ふと、オフィスに並んだ机のひとつで、ノートパソコンが開かれたままなのに気づいた。スクリーンセーバーに切り替わっていないので、さっきまで作業をしていたのだろう。少し気になってそれを覗いてみた。

 パソコン上で文書ソフトが起動しており、そこには企画書が映し出されている。しかし、第六企画課が今取り組んでいる仕事ではないはず。するとこれは。

「ああっ、ちょ、ちょっと何してるんですか!」

「うおっと」

 目の前で突然、パソコンが閉じられる。持ち主らしい若い男性社員が慌てて隠したのだった。

 その男性社員は金髪で耳にピアスと、ずいぶん派手な格好をしていた。我が社の服飾規定はそう固くないので問題はないだろうけど、珍しいと言えば珍しい。しかもそんな軟派な格好の割に、態度がやや弱々しいというかなんというか。

「見ないでくださいよ! というか普通、人のパソコン覗き見ますか!?」

「暇だったし」

「ええ……」

 それはさておき。

「今の企画書、新しいゲームのやつだよね。でも第六企画課は今のところゲームの企画を作ってはないはず」

 基本的に我が社でのゲーム企画は課内でのコンペを行い、そこで採用された企画を部内でさらにブラッシュアップし、最後に幹部会を通して決定される。だからまあ、企画を練っておくこと自体は企画課の人間としてまったくおかしい動きではないのだけど。

 ただ第五第六企画課はその性質上、コンペが開催される機会が少ない。なにせ突発的な企画の運営か、他の補助が主な仕事だ。後者は言わずもがな、前者についても企画の大枠は既に別部署が作っていて後は細部を詰めるだけ、というケースが多い。ここはあくまで新人がまず経験を積むための場所、という位置づけだから。

「海でサメを使ったデスゲームねえ。発想は良いけど実現化にはいくらか無理がありそうだね」

「がっつり見てるじゃないですか……」

「サメの中で人食いの種は多くないし、動物はコントロールが効かないからゲームへの導入が難しいんだよね。アニマルライツ的にも問題あるし」

「デスゲームやっておいて動物愛護も何もないでしょう」

「でもクレームや批判は少ない方がいい。面倒は回避するに限るよ。とはいえ、企画の段階から実現性に囚われてると発想が小さくなるからなあ。ここは難しいところだ」

 そういう時は、目的から逆算するといい。

「海のデスゲームを開催したいのは、夏シーズンを見越してってことなんだろうけど、同時に開放感をゲームの雰囲気に導入したいんだよね? 企画書にそう書いてあった」

「そ……そうですね。デスゲームって、基本的に閉鎖空間ばかりですし」

「黎明期には無人島を貸切ってゲームをする企画も多かったけど、やっぱり手間が多くて。でも基本的に閉鎖空間で行われるデスゲームだからこそ、開放感ってのは大事かもしれない。開放的な空間にも関わらず閉鎖的である、という状況も味があることだし」

「手間、というとやはり一番は撮影ですか」

「うん。ゲームを配信したいけど、無人島のどこにカメラを置けばいいのやら。管理も大変だし、どうしても死角ができるから」

「プレイヤーにカメラを装備させたらどうです?」

「それも結局死角の問題はクリアできない。加えて通信不良を起こせば映像が途切れる。でもそれを逆手に取るって方法もある」

「逆手に?」

「例えば無人島でのトレジャーハンティング。プレイヤーはカメラを持って数人ずつ島に入る。他のプレイヤーはそのカメラが撮影する映像をリアルタイムで見る。島に入ったプレイヤーが死亡したら次の一団が潜入。このとき、映像が途切れるなどのトラブルがあっても次のプレイヤーは島に入る。まさに調査団が通信途絶したので別の一団が追跡調査で入るように」

「ああ、アクシデント自体も起こりうるものとしてゲームの演出に組み込むんですね」

「まあそんな感じ」

 結局のところ、どんなものも演出次第だ。企画の仕事はまず実現性を脇に置いて面白いゲームを考えることでもあるが、同時にゲームの企画の中で想定されるトラブルやアクシデントをリカバリ可能な演出や設定をあらかじめ組み上げておくことにもある。

「紙花花室長は資料室の担当だと聞いていましたが、企画部での業務経験もおありで?」

「一応」

 ワゴンから資料を下ろし終わったらしい第六課長が近づいてくる。

「室長は元企画部の人間なんですよ。それ以前に、資料室自体が元は企画部の一部署でね。今でこそ独立した部署となって他の部署のフォローが忙しいけれど、室長には企画部に戻ってきてほしいものですよ」

「私の企画、コンペで通ったことないんですけどね。企業人としての自覚が薄いので、コンペでどういう企画を出せば通るのか分からなくて」

「室長は企画をゼロから作るよりブラッシュアップする方が得意でしたからね。今の企画部は自分の企画を通すのに躍起な人ばかりで、もう少し協調性が欲しいところですが」

「意欲があるのは良いことですよ。まあ仕事中に別の企画練ってるのはマズいかもしれませんが」

「いやそれは……。これは休憩時間中に作ってただけで」

 若手は頭を掻く。

「でもせっかくデスゲーム会社、しかも花形の企画部に配属されたんですから、一度くらい自分の企画を通してみたいじゃないですか」

「そんなものかな」

 デスゲーム会社の社員が抱える宿痾。それはまさしく「自分たちはデスゲームで他人の命を弄ぶ側だ」という認識だ。

 この若手はまだかわいい方というか、花形部署に配属されたのでそこで一度くらい結果を出したいという純粋な気持ちではあるのだが――いやデスゲームの企画を喜々として考えている時点で同じか。

 自分たちはデスゲームの運営者である。デスゲームに巻き込まれ阿鼻叫喚の様相を呈する一般人とは違う。そういう意識は社内に根強い。ただでさえ成長する大企業の社員といういわゆる勝ち組の立場に、デスゲーム運営者としての優越感も加わればブレーキが利かない。

 それは私も例外ではない――などと賢しらなことは言わない。私は例外だ。なにせ流されるまま今の立場にいるわけで、デスゲームを企画運営する優越感や万能感など感じたことがない。川を流された空き缶が海に出たとして、果たして自分は長い道のりを超え大海原に繰り出したのだと自慢するだろうか。そういう感じ。

 それはたぶん、四辻も同じだろう。彼は少し、他の社員と入社した経緯が異なるから。

 入社経緯、ねえ。

「…………」

「ど、どうしたんすか?」

「いや」

 この軟派そうな社員も、私たちと同じを通ってきたはずだ。採用試験最終ステージのあれは、社長が用意した意図も分かりはするのだが、やっぱり弊害の方が多いと、私は思うんだよなあ。

「さてと」

 ワゴンの上から資料も片付いたし、資料室に戻るかな。ついでに第五企画課を覗いて回収できる資料があったらサルベージしておきつつ様子を見ておくか。あそこの課長は採用試験の担当をするのが初めてだったはずだから、いろいろ不安がっているようだし。

 私がワゴンを押してオフィスを出ようとしたときだった。

 ドタドタと。

 残業中の職場には似つかわしくない無遠慮な足音が響いて何かが近づいてくる気配があった。

「…………」

 足音というやつは、その人の性格が出る。薄いとはいえ布製のタイルが敷き詰められ足音もそう大きくは鳴らないはずのこのオフィスで、これだけ大きな音を立てられるのはある意味で才能だ。

 自分の存在を隠さなくていい人間。いや、隠すつもりもないし、自分は堂々としている権利があると思っている人間の足音だ。三年も就職浪人をしたあげくに人殺しの片棒を担いでいる私の足からは、どれだけ頑張っても出ない音。

「おい、夏のゲームを企画している部署はここか!?」

 声もうるさい。

「あ、天原部長……。何のご用件で」

 第六課長があわただしく対応する。

 オフィスに現れたのは、色黒に日焼けした背の低い小男だった。まあ私からすれば大抵の人間は小男なんだけど、たぶん身長は一六〇ギリギリという感じか。その上で横幅が広いから全体的に丸い。

 丸いだけなら愛嬌があるという言い逃れも可能だったが、その体格で肩をいからせ歩き、ああも居丈高にがなるので滑稽さと醜悪さの方が前面に出てきてしまう。結局人間、外見よりも態度とそこからにじみ出る性格の方が問題なのだという訓話のような男だった。

「だ、誰なんすかあの人」

 軟派な若手が私に聞いてくる。

「まあ知らないだろうね。渉外部の天原大我って人」

「渉外部?」

 おうむ返しされる。

「渉外ってことは外部との交渉役ですか? あれでも、俺が聞いた話だと省庁との折衝は営業部がやっているって。まさに今、夏の企画の件で営業とも連絡とり合ってますし」

「その認識で間違いない。渉外部とは言っているけれど、あそこは何もすることない部署だし」

 渉外部。建前上はデスゲームの企画運営に伴う種々の折衝業務を担当する部署だが、実態は天下り社員の留め置き場所である。

 デスゲームという扱う商品の性質上、そして日本で認可されてからまだ二十年という日の浅さもあって企業と省庁の繋がりはどうしても強くなる。遊戯公社がいい例だが、省庁は退職した職員を会社へ天下りさせろと言ってくる。当然、それを飲まなければデスゲームの開催許可など諸々のところで嫌がらせを受ける。これも、多くの企業がデスゲーム業界から身を引くことになった理由のひとつとなる。

 天原は五年前に財務省からBR社へ入ってきた天下りだ。どうして財務省の職員がここに来たのかは知らない。大抵の天下り職員は法務省か厚労省、あるいは警察庁あたりが鉄板だ。私も十年この業界に居るからいい加減中堅だけど、財務省の天下りというのは聞いたことがない。別に興味もないから事情は調べない。

「俺の顔に泥を塗る気か貴様らは!」

 天原は大声でまくしたてる。

「遊戯公社に貸し出すことになった海浜遊技場をまだ使おうとしてるのか?」

「いえ、その、もともとこちらが先約だったはずでして」

 第六企画課がバタバタし始めた原因である会場の件だ。先約だったこちらに公社が横車を押した話が、あの小男の中ではねじ曲がっているらしい。

「だったら俺に話を通せ! 何のために俺がこの会社にいてやってると思ってるんだ。俺が話を通せば早いのに、どうして営業部が動いている?」

 天下り職員が、本気で省庁勤務経験を活かして定年後のセカンドキャリアとして業務に当たっていると信じている人間はいない。天下りした当人ですら、基本的にはそうだ。あくまで席だけ置いて、高額の賞与を得て慎ましく生きるのが普通。ところが稀に、こういう馬鹿がいる。

 いかんせんデスゲームという新規的な事業なのが悪い方向に作用しているのかもしれない。デスゲーム会社へ異動した自分は、そういう新しい事業に役立つ人材だという思い込みを加速させる。

 通常の採用ルートで入社した新人でさえ勝ち組思考というか、選民思想を身に着けるのだ。イレギュラーな経緯で入社したやつは余計にそう思う。

「天原部長」

 後ろから、ひょっこり別の男性社員が顔を出す。あれは、以前資料室に来ていた出野内か?

「所詮課長クラスの人間に言っても始まりません。こいつらは下っ端なんですから」

 ふむ、想像はついていたけれど、やはり天原のコバンザメだったか。

「あれ、あいつ出野内か?」

「知り合い?」

「ええ。同期なもので。別部署に行ってからとんと没交渉になってたんすけど」

 ということはこの軟派な若手くんも、四辻と同期でもあったのか。

「なーんであいつ、あのいけすかないおっさんの腰巾着してるんすかね」

「威張っている人間に取り入るのが賢い生き方だとでも思ってるんじゃない?」

 私はこの通り社会人としての自覚が足りないのでいまいち分からないのだが、どうやら天原はあの様子とは裏腹に若手の一部を舎弟のようにしていた。あんなおっさんのどこに魅力があるのか定かではないが、彼らにしか分からないものがあるのだろうと思っておくことにした。

「企画部長のところに行きましょう。こいつらでは話になりません」

「そうだな」

 出野内の提案に天原が答えたところでいい加減、私は六課課長に助け舟を出した。

「企画部長は六月まで休みだ。育児休暇を取ったからな」

「……なんだ、図書係風情が偉そうな口を」

 お、天原のやつ、私のこと認識してたのか。まあ、部長会議には私もこいつも出てるから分かるか。

「渉外部の仕事はない。あらゆる意味で。残業代がもったいないからさっさと帰れ」

「貴様、俺に向かってその口の利き方はなんだ!」

 ずかずかと天原がこちらに向かってくる。しかし小男のこいつと私では背丈が頭一つ分よりも大きく開いている。まったく威圧感がない。

「年を食って耳が遠くなったか? 今すぐここから出ていけ。仕事の邪魔だ」

「こ、この……!」

 今にも怒りで手を挙げそうになっている天原だが、殴りかかってはこない。腐っても元省庁官僚だ。殴り合いの経験自体がないために、そういう選択肢は無意識に排除されているのだろう。こいつが誰かを害するなら、自分の手は使わない。

「……まあいい。それより貴様、つい先日に投資家と会食したそうじゃないか」

 急に話が切り替わる。出野内あたりからすれば「切り替えが早い」という評価になるのだろうか。私には情緒不安定にしか見えないが。

 矛先を変えて攻撃を続けるみっともなさの方が目立つ気がする。

「それも渉外部の仕事のはずだ。まったく、あの女社長といい貴様といい、何を考えているか分からん。これだから女は」

 性別がこの話題とどうかかわるのかは理解できない。こういうのは論理ではなく、このころの世代の老人にとっての口癖、とりあえず最後に付ける下の句みたいなものだ。

「だがそれも構わん」

 おや。こっちの反応は意外。なんだかんだキャリアを積んだ人間なので「寝技を使った」とか何とかセクハラめいた発言をして言質を取られることはしないわけだ。まあ、こいつがそれくらい単細胞なら五年もBR社でごく潰しなんてさせていないわけだが。

「精々俺を門外漢だと見下していろ。こちらにも動きようというやつはいくらでもあるからな」

 なるほど。何かを企んでいて、その尻尾を未だに掴まれていないという自信が余裕を生んでいるからその態度だったわけか。だったら仄めかしすらしないほうが得策なのだが、こういうのは匂わせないとドラマが生まれないからな。

「動きようも何も、渉外部にはあなた以外いないでしょう。部長クラスの権限である武装部隊の裁量権もないことですし」

「ふん。その程度の認識でよくデスゲーム会社が務まるものだな。所詮キャリアの浅いひよっこか」

 余裕を完全に取り戻した天原はジャケットの内ポケットから電子タバコを取り出す。

「後で泣きを入れても遅いが……精々――――」

 そこで。

 ぬっと。

 私と天原の間に腕が一本、差し挟まれる。

「オフィスは禁煙だ、この頓馬」

「いでででっ!」

 腕は電子タバコを持った天原の腕をつかみ、ギリギリと音を立てるように握りつぶしていた。

「……」

 私は腕の主を見上げる。

 

 そう、女性どころか男性と比較しても高背の部類であり、ヒールのある靴を履けば問答無用で頭上注意報が鳴り響く私が、見上げなければならない大男がそこにいた。

 男はスーツに身を包んでいたが、ジャケットの上からでも分かる筋肉量を誇っている。その一方で筋肉ダルマというか恰幅のいい印象は薄い。あくまでスマート。薄く色の入ったサングラス越しに鋭い眼光を天原に向けている。

「黄泉路課長!」

 六課課長が声を上げる。

「黄土。骨折れたら面倒だから」

「折る気だったんだこっちは」

 腕から力が抜け、天原はぺたりと尻もちをつく。

 黄泉路よみじ黄土おうど

 私の同期で、人事部監査課の課長を務めている男だ。

「しかし、ずいぶんさみしい所帯になったもんだな、天原」

 はるか頭上から黄土が声をかける。

「せっかく集めたお仲間はみんなどっか行っちまった。残ってるのはそのちんちくりんか? 出野内、お前もお薬手帳に精神安定薬の名前を増やしたくないならこんなやつと付き合うなよ」

「く、くそっ……!」

 天原と出野内はほうほうのていで逃げ出した。この歳になってあんな漫画みたいな逃げ方するやついるんだ……。

「ところで黄土、なんでここに? 企画六課に用件でもあった?」

「用件は手前てめぇだいつもどっかにちょろちょろしやがって!」

 黄土が私の首根っこを捕まえる。

「藪蛇だったか……」

「毎度毎度用事のある時に限って消えるんじゃねえ! お前は図体の割に存在感薄いから探すの面倒なんだよ」

「間の悪い性分でね。四辻はその辺理解してくれてるんだけど」

「あいつもお前を甘やかしすぎだな。ほら、さっさと来い!」

「ワゴンが」

「四辻に声かけて回収させるように言ってある!」

 相変わらず手際がいいな。

「誰なんすか?」

 軟派な若手が聞きただす。彼は彼で案外怖いもの知らずだな。

「パワハラ常習犯」

「人聞きの悪いこと言うな。来い」

「あー」

 私は引っ張られて、六課オフィスを後にした。

 この分だと、今日は夜遅くまで残業かなあ……。

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