私は飲酒運転が嫌いなアンニュイ女子です

リトルアームサークル

第1章 ダークヒロイン覚醒

 私は飲酒運転をする人が嫌いです。


 今、両親と弟の葬儀を終えマンションに帰って来たところ。

 家族4人が揃うと騒がしい程、にぎやかだった3LDK の我が家が静かに私を迎えた。

 初夏を迎えたばかりで、エアコンの入っていなかった室内はムッとする熱気がこもっていた。

 濃紺で半袖のワンピースを着た私は、つい「お母さん、エアコン入れて」と言いそうになり、自分の日常が激変してしまっていた事に気づく。


 学校から帰った私を笑顔で迎えてくれるお母さん、ソファで新聞を読んでいるお父さん、「お姉ちゃん遊ぼう」と言ってお腹に飛び込んで来る4歳違いの弟。

 そんな当たり前だった日常が、もう二度と帰って来ない。


 そう、私は家族をいっぺんにうしなったのである。


 私の名前は、深月響みづきひびき

 12歳の小学6年生。身長は166cm、小学生にしては背が高い。髪の毛も伸ばしているので、下手すると中学生をすっ飛ばして高校生に間違えられる事もある。

 身長はお父さんに似たせいだ。お父さんには弟がいて、私からすると叔父さんに当たる。兄弟2人とも180cm越えで身長が高い。亡くなったおばあちゃんが、上ばっか見なきゃならんから、首が疲れるとぼやいていた。


 小さくて可愛らしい女の子、憧れるね。私はその正反対の地味で暗く、そしてデカい。

 身長が高すぎるのが嫌で、猫背になりがちなために長い黒髪を前に垂らすと、簡単に貞子のコスプレができた。

 当然いじられがちになるので、目立たぬ様に縮こまる。ま、縮こまった程度で隠れる図体じゃないんだけどね。

 

 これが、家族が事故に遭うまでの私だった。

 

 時は、それから10日程さかのぼる。


 大学が夏休みに入って最初の土曜日、染井瑠璃そめいるりはクルマをコインパーキングに停めていた。

 本当はクルマを自宅に置いてから来るつもりだったのだが、用事が予定の時間よりかかってしまい、大学のゼミの飲み会に間に合わなくなりそうなので、そのまま来ることになってしまった。


 瑠璃るりはその愛くるしい見た目によらず酒豪であった。酒好きな瑠璃るりは飲み会は大好物で、クルマで来た事によって飲めなくなることを嘆いていた。

 飲み会の会場である居酒屋に入ると、すでに場は盛り上がっていて、すでに赤い顔をしている者もチラホラ見られた。

 友人の立花穂乃花たちばなほのかが、席取ってあるよと手を振っている。

 名前に花が2つもあるのが自慢の娘だ。結婚する相手の苗字には絶対、花の字が入っていないと嫌だと常々言っている。


 穂乃花ほのかの隣に腰を降ろすと、

「今日、クルマで来ちゃったから飲めないんだよね。」

 と最初に詫びを入れておく。

「あれあれ、酒豪で有名な瑠璃るりちゃんが飲めないなんて拷問だね。」

「ホント、マイナンバーカードの更新が、あんなに時間かかるものとは思ってなかったよ!」

 とりとめのない話をしていると、段々と飲んでもいないのにテンションが上がって行くのがわかる。


 しばらくすると、すでに留年が確定している先輩が絡んできた。

「おい、染井そめい。お前都内の大手商社に内定もらったんだってな。てっきり親父さんが役員やってる会社に就活なしで入社すると思っていたよ。」

「それはどうも。先輩は今年も就活しなくて済んで、羨ましいご身分ですね。」

「なんだと!」

「まあまあ先輩、少し飲み過ぎですよ。」

 穂乃花ほのかがうまく取り成してくれたが、このゼミに入った時からネチネチと嫌みを言って来る男だ。


 カチンと来ていたので、穂乃花ほのかがお代わりを頼んでいたビールのジョッキをつい半分程飲んでしまった。

 マズイと思ったが、穂乃花ほのかは絡んできた先輩を元の席に戻しに行っていて、この場にいない。

 すぐに店員さんを呼んで、うっかり飲んでしまったジョッキのお代わりを頼んだ。

 私は酒豪と言われるだけあって、ほとんど顔に出ないので誰も気づく事はないだろう。少し時間がたてば、酔いもすぐに醒めるはずだ。


 恋人である加賀見裕貴かがみゆうきからは、高校を卒業して免許を取った時から、飲酒運転は絶対にするなと言われ続けている。

 裕貴ゆうきはパパの会社の部下だ。それだとなんかお見合いか、政略結婚みたいだけど、私が高校生の頃から家にちょくちょく遊びに来ていた。

 かなり優秀らしく、パパはとても気にかけてる様子だった。娘と一緒にしたいとかまでは考えていなかったみたいだが、イケメンで頭も良く、受験勉強も見てもらったりしたら私立女子一貫校だった私が惚れちゃうのは当たり前だよね。

 でも、都内の大手商社に行くことは相談してなかったので、ちょっとケンカになってしまった。まさか内定もらえるなんて思ってなかったし。

 そんな事もあって、留年先輩の嫌みに過敏に反応してしまったのであろう。

 

 それから2時間ほどで飲み会はお開きになった。

 ジョッキのビールを飲んでしまった後は、ひたすらウーロン茶を飲みまくって酔いを醒ました。

 居酒屋からコインパーキングまで歩いて行く時も普段と変わりないと感じたので、酔いは醒めていると思った。

 コインパーキングには、大学合格のお祝いにパパに買ってもらった赤のSUV を停めていた。普通の赤色ではなく、クリスタルメタリックレッドという金属的な渋みのある色である。とても人気のある色で納車までしばらく待たされたが、待った甲斐はあったと思えるお気に入りのクルマだ。

 

 エンジンをかけ、帰宅の途につく。それほど遅い時間でもないので、道行くクルマの量もまだ多い。

 眠気が襲って来たり、視線がふらつく様な事もないので、酔いは完全に醒めてるなと安心したところで、携帯のメール着信音が鳴った。

 普段、運転中はメールの着信表示を確認するだけにしているのだが、表示に加賀見裕貴かがみゆうきの名を見つけて、ついそちらに目線を移してしまった。

 一瞬後、ヘッドライトの反射がまぶしいと思って前方に視線を戻すと、クルマのリアガラスが眼前にせまって来ていた。


 とっさにブレーキを踏む。


 ゴンッ!ガシャン!ギャリ!と金属と金属がぶつかり合う音が同時に響き、体に衝撃が襲って来る。

 ボンッとエアバッグが開き、視界が遮られた。

 顔を圧迫していたエアバッグがしぼむと、ヒビの入ったフロントガラスの向こうに追突したクルマが見えた。

 ワゴンタイプの軽自動車が追突された衝撃で押し出され、交差点脇の電柱にぶつかって止まっている。

 瑠璃るりはふらつきながらもクルマから出て、軽自動車に近づいて行く。

 助けなきゃと思って近づくと、漏れたガソリンの臭いが鼻についた。

 その刹那、ゴウッという音と共に軽自動車は炎に包まれる。

 瑠璃るりは熱波で顔が熱くなるのを感じながらも、軽自動車のドアを開けようと両手を伸ばした。

 そこで突然、後ろから強い力で引き戻された。それと共に瑠璃るりの意識は、暗い闇に吸い込まれて行った。


 瑠璃るりの意識が戻ったのは、病院のベッドの上だった。両手を見ると包帯がしっかりと巻かれていた。

 瑠璃るりはその両手を見て、あの事故は夢なんかじゃなくて現実に自分が起こしてしまったのだと悟った。

 追突して炎上した軽自動車に何人乗っていたのだろう、無事に救助されたのだろうか。

 そんなことを呆然とした頭で考えていると、病室のドアが開いて看護師さんが入って来た。

「目を覚まされたんですね。血圧と体温を測らせてもらいます。それとご両親が外でお待ちになっているので、お呼びしますね。」

「あの、事故の被害者の方がどうなったかご存知ですか?」

 瑠璃るりがおそるおそる聞くと、

「事故の詳細については私どもには知らされておりませんので、申し訳ないですがお答え出来ません。」

「そうですか…」

 看護師さんは素早く処置を終えると、病室を出て行った。入れ替わりにパパとママが血相を変えて病室に入って来る。2人のこんな顔を見るのは、幼い頃に高熱を出した時以来だなと思った。

 それからママには顔にできた擦り傷や両手の包帯について、あれこれ言われた。

 パパは知り合いの弁護士に頼んであるから、何も心配するなと言っていた。

 被害者について聞かれたくないのか、両親共に一方的に話して来るので、おとなしく聞くだけにしておく。


 しばらくすると、所轄の警察から事情を聞きに来ていると看護師さんから伝えられた。

 両親は更に顔が青ざめていたが、私は知りたい事があったので通してもらうようお願いした。

 警察の方は病室へ入って来ると、私の怪我の程度を聞いて、それから事故の状況について質問して来た。

 私は携帯のメールに気を取られ軽自動車に追突してしまった事、被害者を助けようとしたら軽自動車が炎上して、その後気を失った事を伝えた。

 病院の検査で血中アルコール濃度に微量の反応が出た事も聞かれたので、事故前に誤ってアルコールを摂取した事を素直に伝えた。居酒屋の店員や一緒に飲んでいた人で、私がアルコールを摂取した後にクルマを運転する事を知っていたかどうかも聞かれた。

 血中アルコール濃度判定が微量なので、酒気帯び運転に該当するかどうかまだわからないが、万一酒気帯び運転で事故となると、お酒を提供したお店や一緒に飲んでいた人も処罰の対象になる可能性があるので、念のための確認らしい。


 一通りの質問が終わったタイミングで、瑠璃るりは被害者の容態について尋ねた。

「被害者の方は、3名。ご夫婦とその息子さんと見られています。車両の炎上による遺体の損傷か激しいので、DNA 鑑定による身元確認が必要になるでしょう。」

 瑠璃るりはここで被害者が、全員死亡した事を知ったのであった。

「事故の状況については確認が取れましたので、今日はこれで失礼します。お嬢様も怪我をされてますので、退院後に実況検分に立ち会っていただきます。

 死亡事故案件ですが、ご家族の身元保証もいただいていますので、逮捕勾留はせずに在宅捜査になると思われます。その旨、弁護士の方にお伝えしておいて下さい。」

 と、パパに言伝てして警察の方は帰って行った。

 瑠璃るりは自分の起こした罪の重さと疲労で、気を失う様に深い眠りへと落ちていった。


 その日、深月響みづきひびきは親友の姫野麻衣ひめのまいと横浜の聖地を探索していた。あまりにも改修工事の期間が長かったので、日本のサグラダ・ファミリアとまで呼ばれていた横浜駅を抜け、5分ほど歩いたところにその聖地はある。

 そう横浜ビビレである。オタクの聖地は言わずと知れたアキバなのだろうが、小学生である私達には敷居が高い。というか、距離的にも遠すぎる。

 だが、美少女マニアな私にとっては、アキバよりも大事なショップがビビレにはあるのだ。アキバにもそのショップがあるらしいが、横浜店の方が歴史が古いのである。アキバに勝てるとこなんて横浜にはそうそうない。


 こんな私の親友なんだから、姫野麻衣ひめのまいは名前からも想像できる様な、小柄で超可愛い美少女…ではない(笑)

 なにしろ小学校のクラスで席が隣になった時に、お互いに発した言葉が、

「でかっ!」

 だったのだから。

 私の身長が166cm、対して麻衣まいの身長は167cm。この1cmが現在の私の憩いであり、麻衣まいにとってのベルリンの壁だ。

 クラスに背の高い男子がいないので、背の順に整列すると私の後ろに麻衣まい。その後ろには誰もいない最後尾である。戦国の世で言うなら、殿(しんがり)だ。

 私と麻衣まいとの定番のネタは、

「姫野氏(ひめのうじ)、殿(しんがり)は任せた。」

「ならば、シンガリコーン食わせろ。」

「残念!残りの兵糧はシンガリ君ソーダ味のみ」

「染井氏(そめいうじ)、かたじけない。」

である。まあ、小学生のギャグなんてこんなもんよ。


 そんな1cmのベルリンの壁を隔てた私と麻衣まいだけど、冷戦状態にはならずに親友になった。

 お互いのオタク気質と、身長に対する周りの反応で共感できる部分が多くあったためだろう。

 麻衣まいは、いわゆるアニメ好きであり、2次元の美少女フリークである。最近ではAI生成による高度な美少女画像に、アニメが食われてしまうのではないか戦々恐々としている。


 私はというとアニメも嫌いではないのだが、SNSに投稿されていた画像を見てから虜になってしまったのが、球体関節人形。いわゆるドール人形なのだ。

 ドール人形って言うと厳密には人形人形になっちゃうんだけど、ドールや人形だけだとちょっと物悲しく感じてしまう。感覚的なものだから良しとしよう。私も普通に使ってるしね。

 球体関節が大事なんじゃないよ、ロボットじゃないんだからね。あくまでお人形さんがメインなんだよ。


 その素晴らしいとこはお顔、フェイスなんだよ。もう芸術と言ってもいいんじゃないかな。眼はグラスアイとかドールアイと呼ばれるんだけど、くりっと大きい。瞳も大きめでその色合いたるや、引き込まれてしまいそうなキラキラ感。

 まつ毛も長くてカールがしっかりかかっているし、唇なんてつやつやでぷるぷるなんだよ。とてもキャストと言われる樹脂で出来てるお肌とは思えないよ。ピンク色のチークがとっても可愛い。

 髪の毛は専用のウィッグを被せるの。頭のサイズさえ合っていれば、色、髪型を自分好みにカスタマイズできる。

 お洋服も当然、着せ替え放題なの。お肌に色写りや擦り傷を付けない様に、細心の注意を払ってだけどね。

 スタンダードモデルでも素敵なんだけど、ワンオフモデル、限定モデルなんて聞いたらワクワクしちゃうよね。

 当然、お値段的にも素晴らしいので、小学生の私にはとてもまだ手が出せない。でもいつか、お気に入りの子をお迎えするのよ!

 あ、ここ試験に出るから注意してね。ドール人形は、購入するのではなくするのよ。

 私は、私にない可愛いが大好物なの!

 

 ちょっと熱く語り過ぎた?どちらにせよ、今日は麻衣まいと聖地をじっくり堪能するつもり。

 学校も夏休みに入ったばかりだし、両親と弟はリトルリーグの試合と、その後のバーベキュー大会で帰りは20時か21時頃になるって言ってたからね。私も少しぐらい羽を伸ばしてもおとがめはないでしょ。

 展示のドール人形を可愛い、可愛いと堪能した後、麻衣まいと簡単な夕食をすませてマンションへ帰ると、やはり両親と弟はまだ帰って来ていなかった。


 荷物を片付けて、さてお風呂にでも入っちゃおうかなと思った時、自宅の固定電話が鳴った。

「はい、深月みづきです。」

「わたくし、横浜警察署の若柳わかやなぎといいます。深月響みづきひびきさんでしょうか?」

「はい、そうですが。」

 え?ちょっと待って、なんで警察から電話?まさかさっき駅で別れた麻衣まいに何かあったの?

「実は、ご両親と弟さんがクルマの事故に遭われまして、誠に申し訳ないのですが横浜警察署までお越しいただけないでしょうか?よろしければ、こちらから迎えのクルマを向かわせますので。」

 え?お父さんが事故!いつも安全第一、まずブレーキがモットーなのに?

「わかりました。おうかがいします。」

「では、30分ほどでお迎えに行けると思いますので、よろしくお願いします。」

 電話を切ると、途端に頭が空回りし始めた。

 何がどうなっているのか、さっぱりわからない。お父さんとお母さんの携帯に電話しても全然通じない。


 頼りになる大人、大人と考えていたら、近くに住んでいる祐輔ゆうすけ叔父さんの顔が浮かんだ。

 祐輔ゆうすけ叔父さんはお父さんの弟で、実家で1人暮らしをしている。祈る様な気持ちで電話をすると、

「もしもし、ひびきちゃん?久しぶりだね、お袋の墓参り以来かな。」

 お父さんとよく似た声を聞いて、不安な気持ちがあふれかえってしまった。

 警察から電話があってお父さん達が事故にあったらしい事と、これから迎えのクルマに乗って横浜警察署に行く事をまくし立てた。

「事情はわかった。俺も仕事が終わったところだから直接、横浜警察署に向かうよ。現地で落ち合おう。」

 電話を切ると、知り合いと話せたせいか、だいぶ気持ちが落ち着いた。


 警察署に着いて交通課に案内されると、すでに叔父さんが待っていてくれた。

 叔父さんが会議室らしき部屋の扉を開け、中に入るよう視線で促した。いつも陽気に話しかけてくる叔父さんの顔が、こわばっている事に気がついた。

 部屋に入って椅子に座ると、扉を閉めた叔父さんが私の向かい側に座った。

「少し先に着いたんで、警察から事故の状況を聞いておいた。ひびきちゃん、ツラい話になるけど聞いてくれ。」

 私は背筋を伸ばすとコクンと頷いた。

「赤信号で停車中のお父さんのクルマに、飲酒運転の疑いのある21歳の女子大学生が運転するクルマが追突した。

 お父さんのクルマは衝撃で押し出され、交差点左側にあった電柱にぶつかって停止した。」

 お父さんが事故を起こしたんじゃないみたいなので、少しホッとした。

「お父さんのクルマは漏れ出たガソリンに引火、炎上してしまった。」

 それって、クルマから逃げ出せていないと、とんでもない事になるんじゃ…

「お父さんとお母さん、そして弟のかおる君が焼死したらしい。らしいと言うのは、遺体の損傷が激しくて、現状では身元の確認が出来ていないためだそうだ。」


 え?なに、いったい何が起きたの?これって現実?よくある夢オチじゃないの…ガバッて起きたらベッドの上だったみたいな。

「DNA 鑑定をして身元を特定するらしいが、追突の衝撃で外れたナンバープレートからお父さんのクルマである事は間違いないらしい。」

 そうだよね、実は他人にクルマを貸していて、無事でした!なんてミラクルはあり得ないよね。

「遺体は警察署の地下の遺体安置所にあるらしいんだけど、見ても誰かわかるような状態ではないから、無理に対面する必要はないそうだ。」

「わかった、とりあえず遺体安置所に行きたい。」


 それを聞くと叔父さんは会議室の扉を開け、警察の人を呼んで遺体安置所への案内を頼んだ。

 遺体安置所に入るとお線香が炊かれていて、3つの黒い遺体保管袋がそれぞれ、金属のストレッチャーの上に置かれていた。

 3つの袋に叔父さんと一緒に手を合わせた後、叔父さんがどうする?と視線を向けてきた。

「しばらく1人にしてもらえる?」

 と叔父さんに言うと、袋の中を見なくて済んだ事にホッとして遺体安置所から出て行った。


 深月祐輔みづきゆうすけは遺体安置所の扉を閉めると、廊下に置いてあるソファーに腰掛けた。

 そっとため息を吐く、焼死体に関して警察官からトラウマになってしまう人もいるので、義務感で無理をしない方が良いと言われていたからである。

 なので、姪のひびきが取り乱して遺体保管袋のジッパーを開けてしまったら、どう対処しようかと思っていたので安堵で力が抜けてしまった。

 さすがに小学生の女の子が焼死体を見るとは思えないし、きっと1人で静かに家族と話がしたいのだろう。


 しばらくすると、ひびきが遺体安置所の扉を開けて出て来た。

「もう、大丈夫か?」

 と声をかけると、

「うん、ありがとう。」

 と返事が帰って来た。

 その後、DNA 鑑定に使うため家族の使っていた歯ブラシの提出や、検視で特に問題がなければ10日前後で遺体を引き取れる等の説明を受けた。

 ひびきが加害者について質問すると、警察官は少し考えて、加害者の弁護士からも早く被害者遺族と話がしたいと言われていた事を思い出し、燃えてるクルマのドアを開けようとして火傷を負い、市南病院に入院していることを教えることにした。


 叔父さんのクルマで自宅のマンションに送ってもらう途中で、

「ねぇ、なんで飲酒運転はなくならないの?」

 と叔父さんに聞いてみた。

 祐輔ゆうすけ叔父さんは、路線バスの運転士をしている。大型2種免許を持って、プロドライバーとして仕事をしている叔父さんなら何か、私の納得できる答えを持っているかも知れないと思っての質問だった。


「そうだなあ、免許を取得する時や更新する時に散々講習を受けているから、飲酒運転の危険性についてはクルマを運転する人は必ず知っている。知らないでは済まされない問題だからね。」

「じゃあ、なんで?」

「明確な答えはまだ出てないんだよ。飲酒運転をすれば、金銭的にも社会的にも大きなリスクを負うからね。そうだ、グローブボックスの中に飲酒検知器がある。ちょっと吹いてごらん。」


 私は飲酒検知器を取り出すと、前面に書いてある説明文通りに、電源を入れカウントダウン終了と同時に吹き込み口に5秒間息を吹いた。ピーと言う警告音と同時に画面に0.00mg/lと表示された。

「その0.00が0.15以上の表示で出ると酒気帯び運転になるんだよ。」

「どれくらいお酒飲んだら、0.15以上出るの?」

「それがね~、瓶ビール1本、日本酒だと1合、焼酎では0.6合。瓶ビールはなんとなく大きさわかるだろ、お酒だとコップ1杯飲んだらもう酒気帯び運転だな。」


「それじゃ少しでも飲んだら、クルマの運転はしちゃダメってことだよね!」

「そのとおり、ここまでだったら大丈夫なんて基準はないんだよ。」

「お酒飲む人って、馬鹿なの?」

「いやいや、飲酒運転はダメだけど、俺だって休みの前の仕事終わりには家で晩酌するよ。」

「まあ、確かにお父さんも家では美味しそうにビール飲んでたね。」


「だろ!仕事してるとやっぱストレス溜まるのよ。

ストレス解消のためにお酒を飲んで、ほんのちょこっと別人に変身したくなるんだよ。」

「叔父さんも別人に変身したくなるんだ。」

「ちょこっとな、ちょこっと。大勢の人をバスに乗せて走るのってそれだけでもストレスなのに、路線バスだとバス停毎に時刻表があるだろ。」

「うん、あるね。あんま時間通りには来ないけど。」

「それは、時刻表の時間より早く発車しちゃいけないからなんだよ。遅れることに制約はないけど、早発は法律で禁止されてるんだよ。」

「へえ~それって結構大変なの?」

「大変だよ、赤信号にわざとひっかかったりして調整したりするからね。分単位、下手すると秒単位の調整だよ。胃がキリキリ痛むね、背中に変な汗かいてる時もあるよ。」

「それはストレス半端ないね。」

「休日だからって、緊張から解放されるスイッチが付いてる訳じゃないからね。そこでちょこっと別人になれるアルコールに助けてもらうのさ。」


「ストレス解消のために飲酒が必要なのはわかった。だけど、そっからクルマに乗っちゃうのが理解できない。」

「それは俺も理解できない。理解できれば飲酒運転はなくなっているはずだからね。

 俺の個人的な考えだけど、ちょこっと別人が悪さすんじゃないのかな。こんぐらいなら平気だよ。とか、お酒強いんだから大丈夫だよって。しらふだったら、絶対耳を貸さないはずなのにね。」

 ちょこっと別人か~頭の中に小人でもいるんだろうか。などと妄想していたら、マンションに到着した。


 祐輔ゆうすけ叔父さんにお礼を言って、マンションに入り、玄関のドアを開ける。

 部屋の電気を着けずに、月明かりの中リビングのソファーに座る。


 遺体安置所に入るまでの私は、家族すべてを失った悲しみに取りつかれていた。

 自分も死んで、みんなのそばに行くことしか考えられなかった。

 だが遺体安置所に1人になり、どうせ死ぬんだったら焼死体を見て夜眠れなくなっても関係ないなと思って、遺体保管袋のジッパーを開くことにした。


 黒く炭化した皮膚の間から赤い色が見えた。

 

 アメリカの犯罪ドラマが好きで良く見てるんだけど、なんでこんなに遺体のリアリティーにこだわるのかと思うぐらい、遺体の造形が凄いの。

 それに比べると実際の遺体の方がホンモノっぽくないな~。なんて呑気に考えていたら、頭の中でバラバラになっていたパズルがという音とともに元の形に戻ったのを感じた。


 そもそも一体いつから、頭の中にバラバラになったパズルが存在していたのだろう。

 なんであるのかはわからないが、なんていうパズルかはすぐにわかった。


 ソーマキューブだ。27個の立方体で3×3×3の立方体を構築するパズルだ。立方体が4個くっついているパーツが6つ。立方体が3個くっついているパーツが1つ。それぞれのパーツはすべて違う形をしていて、T.L.Z.V.P.A.Bと名前も付けられている。

 この7つのパーツを組み合わせて立方体を完成させるパズルだ。組み合わせは240通りにもなる。


 って、そんな説明はいいのよ。なんでこれが私の頭の中にあるのよ!なんて考えていたら、さっきまで私の心の大部分を占めていた悲壮感が綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。

 聞いた事がある。ソーマキューブの完成形はすべて同じ立方体だが、組み合わせが240通りにもなるのは中が違っているからだと。

 まさか、さっきのは私が今までと違う組み合わせでハマった音なの? 

 それからしばらく、3つの遺体をまじまじと観察していたが、どこにも両親や弟らしさを見いだす事は出来なかった。


 月明かりだけの闇の中で、私は遺体安置所での出来事を思い返していた。お酒を飲んで、ちょこっと別人。私は頭の中でソーマキューブを組み換えて別人…ではないな。私は私だ、でも考え方が変わったのは感じられる。自分に自信を持てず、猫背で人目につかないようにしていた自分が信じられない。


 ソファーから立ち上がると、食器棚のガラスに写った私は背筋をスッと伸ばしていた。

 猫背の時は前髪がすぐに顔を覆っていたが、姿勢が変わっただけで髪が後ろに流れ、卵形の顔がしっかりと写っていた。

 いつもはおどおどと視線が定まらなかったのだが、今は切れ長でほんの少しつり目の瞳が、自信に満ちた視線を食器棚に向けている。

 への字で不満そうにしか見えなかった口が、口角が上がり優しそうに微笑んでいる。

 確かに私の顔だか、生まれてこのかた見たこともないような表情を浮かべた私が、食器棚のガラスの中にいた。


 不思議な変化が私に起こったようだ、でも私は今の自分が嫌いではない。嫌いではないのだが、とても小学6年生には見えない。

 よく言えば、大人びていてアンニュイ女子。

 悪く言えば、老け顔女子。

 小学生にかかったら、みんなオバサンなんだよ。


 次の日、警察署で諸々の用事を済ませた私は加害者である染井瑠璃そめいるりに会うべく、市南病院に来ていた。


 瑠璃るりの病室を訪ねると、差額ベッド代がどれだけ取られるのか心配になるような個室であった。

 だが、今の瑠璃るりにとって自分がどんな場所にいても何も感じていないのだろうということが、私にはすぐわかった。

 目が死んでいるのだ。ベッドに半身を起こし、外を見ている表情にも生気がまるで見られなかった。

 丸顔で普段なら目元もパッチリとしていて、とても可愛らしいはずだ。

 ミディアムな長さでウェーブのかかったショコラグレージュの髪も、とても高級な美容室でカットしてもらっているのだろう。とても綺麗なはずだが、今は前髪も少し焦げてしまい、しなびてしまっているかのようだ。


『あらあら、このお姉さん長くはないわね。』

 私は直感的に悟った。心のソーマキューブがバラバラになってしまっているのである。他人の心のパズルが見えてしまったのにもビックリしたが、組み直しが出来そうにも思えた。

「あなた染井瑠璃そめいるりさんね。」

 こくりと瑠璃るりがうなずく。

「私は深月響みづきひびき。あなたが焼死させた3人の被害者の遺族よ。」

 瑠璃るりが怯えた様に、包帯の巻かれた手で胸を抱いた。


「別に怖がらなくていいわ。私、あなたに何の恨みもないの。むしろ生まれ変わらせてくれて、感謝してるくらいよ。」

「……」

「でもね、死ぬ事は許さないわ。あなた今、死ぬ事しか考えてないでしょ。」

 ビックリした様に瑠璃るりが見上げる。その頬にそっと私は片手を添えた。

「死んでもあなたの罪は消えないわ。」

 私はもう片方の手も瑠璃るりの頬に添えた。

 瑠璃るりの顔を挟むようにして、顔を近づけて、瞳を覗きこむ。生気のない瞳だ。

「あなたは、あなたの奪った家族の分まで私を愛しなさい。そして私のパートナーにおなりなさい。」

 そう告げると、私は瑠璃るりの崩れたソーマキューブを立方体の完成形へと組み換えた。


 瑠璃るりの顔に生気が甦る。瞳に力が戻り、キラキラと見つめ返して来る。

 私はその小動物的な無敵の可愛さに微笑むと、瑠璃るりの唇にキスをした。

 小学生の女の子が女子大生にキスしてるのは、かなりシュールな情景かも知れないわね。

 ま、死にそうな人に生きがいを与えてあげたんだから、これくらい役得よ。

「それじゃ瑠璃るりねえ様、またお会いしましょう。事故については心配しないで、被害者遺族の私が全力で嘆願して不起訴処分で済む様にしてあげるから。」


 私は可愛い女子大生のお姉さんに逢えたことで、上機嫌になって病院を後にすると、心に感じるソーマキューブについて考えた。

 ソーマキューブ…ソーマは古代ギリシャ語で体の事を意味する言葉。

 でも、私に見えているのは心の状態。だったら、メンタルキューブの方がふさわしいかな。

 メンタルキューブ…Mental Cube …MeCu…そうだ、メクがいいや!メクならかわいいしね。よし、決めた。

 覚醒した私の能力は、メンタルキューブのメクだ!バラバラになったパズルのピースの組み換え方は240通り。どんな風にヒトって変われるんだろう。


 そんな事を考えていると、姿勢の良くなった私の歩幅は広く自信に満ちたものになって行く。

 これから私とメクが成せる事を考えると、自然と微笑みが浮かんでくる。

 その魅力にすれ違う人達が思わず振り返っていることなど気にもせず、私は夏の日差しの中を颯爽と家路に着くのであった。


 生まれ変わった私のこれからを祝福するかの様に、黒いからすが一声鳴いて、夏の大空へと力強く羽ばたいて行った。





 


 



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