間違えたとかいう次元の話じゃない
「どこで間違ったのかしら」
誰もいない廊下で、開かない扉の前に立ち尽くし、女は大きく溜め息を吐く。
「あんなにいい子だったのに。ううん、いい子過ぎて色々と背負いすぎてしまったのね」
独り言にしては大きめの声でそう言った。まるで誰かに言い聞かせるように。
「パパがね、最近おかしなことばかり言うのよ。咲はいないんだって。変でしょう、ママにとって咲は、どんな咲でも可愛い娘なんだから」
扉にはローマ字で「SAKI」と書かれたプレートがぶら下げてあり、女はその文字をそっと撫でて、もう一度溜め息を吐いた。
声が返ってくることはなかった。
力なくその場を後にし、リビングの椅子に腰掛けた。外はもう日が落ちてきて、部屋の明かりをつけないと見えづらくなってきた。
「電気も付けずに何やってるんだってパパをびっくりさせちゃうわね」
ノロノロと立ち上がって電気をつけた女は、急に明るくなったせいで目が眩み、床に座り込んだ。
「私は間違ってない。何も間違えてない、間違えてないんだから」
弱々しい声でそう言って、膝を抱え、そのまま体育座りで膝に額を押し付ける。何も見たくないと言わんばかりに。
不意にインターホンが鳴った。
「パパが帰ってきたのかしら」
女は急いで玄関を開けた。
「おかえりなさい」
そこに立っていたのは警察官だった。
「こんばんは、巡回連絡でまいりました」
「……すみません、間違えてしまって」
「いえ、夕飯時に失礼いたします。お時間は取らせませんので、こちらに住んでいる方のお名前と連絡先の確認だけお願いいたします」
警察官はこの家に住んでいる人物と連絡先を確認して、不思議そうに女に尋ねた。
「あの、変わらずお一人で住んでるなら『おかえりなさい』って誰かくる予定だったんですか?」
「だから間違えたんです」
「間違えた?」
首をかしげる警察官に、女は何でもないように
「私、架空の夫と娘がいるんですけど、インターホンの音も本当に鳴ったんじゃなくて、夫が帰ってきた妄想で聞こえたのかなと思って」
と言って、うっすらと微笑んだ。
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