ガラスの靴を履いた魔女

 麗らかな日曜の昼下がり。

 昨日、少し夜更かしをしたからか、布団の心地よさからなかなか抜け出せず、もう少し、あと少し、と目を瞑る。そんな夢見心地な幸せな空間を、けたたましい電子音が引き裂いた。


 誰だよなんて、少し不貞腐れながら鳴り続ける携帯を確認すれば、暫く連絡をとっていなかった友人からの電話だった。

 嫌な予感がするけれど、出ないわけにもいかないか。そんなことを思っているうちに、電話が切れた。内心ほっとして布団を被り直したところに、再びコール音が響いたので観念したのだった。




「酷いと思わない? 彼を好きになったのは私の方が先だったのに」


 そう言って友人は、失礼ながら、およそ美しいとはお世辞にも言えない顔を更に歪めて涙を零す。女の涙は最大の武器の筈なのに、とぼんやり考えながら、曖昧に相槌を打った。


 諦めて電話に出たのが運の尽きで、


「今からあんたん家行くから!」


と押し入られて、現在に至る。

 遠路はるばるやってきて、延々と聞かされているのは、腹違いの妹が、自分の好きな人と結婚することになったと突然聞かされたという愚痴だ。


 彼女の妹は、女の私からみても美しく、高嶺の花とはこういう人のことをいうのだろうと思っていた。おまけに優しくて、性格も良い。まさに非の打ち所がない、理想の女性だ。

 そんな彼女といつも比べられていたからか、隣で無遠慮にティッシュを大量消費している友人は、性格も歪んでしまったらしい。


「大体、あの子はいつも狡いのよ。ちょっと可愛いからってちやほやされてさ。ちょっとママや私があの子に注意しただけで、いじめだの虐待だのって非難されるのよ」


 世の中って理不尽だわ。

 そう、ヒステリックに叫んで彼女は机に突っ伏した。ちなみに彼女のママや彼女の注意というのは、作ってもらった料理が変な味がすると難癖をつけたり、彼女の洋服を勝手に借りておいて、似合わないと言われた、こんな趣味の悪い服買うなと逆ギレしたりなので、理不尽なのは世の中ではなくてあんたたちだよと言いたくなる。


 ここの家族の話を聞けば聞くほどに、童話のシンデレラを思い出してしまう。虐げられる美しい妹と、意地悪な姉と継母。

 それならば、差し詰め結婚相手は王子様か。ああ、でも魔女役はいないんだな。魔女がいなくても、妹ちゃんは勝手に幸せになるみたいだし。


「気持ちはわかるけどさ、祝福してあげなよ。妹ちゃんの家族はもう、あんたとあんたのお母さんだけなんだから」

「私なんかに祝われなくたって、あの子は皆から愛されてるんだし、なんとも思わないわよ」


 拗ねた口調でそう言って、がばりと顔を上げた彼女の腫れた目は怒りに燃えている。しまった、地雷を踏んだかと後悔したが、後の祭だ。


「そうよ、あの子は誰からも愛されてるの、それなのに、なんであの人なの。他にもいるのに、私にはあの人だけだったのに」


 よっぽど王子様にご執心だったのか、雄叫びのように呻く彼女が、流石に可哀相になってきた。


「まあ、確かにあんたがそんなに好きだって知ってて結婚するなら、ちょっと酷いかもしれないけどね。でも」

「そうでしょ! あんたならわかってくれると思ってたの」


 私の言葉を遮って、そこから再びマシンガントークを炸裂させる。そして、都合のいいように私の言葉を解釈して、完全に私が味方だと思い込んでいるようだった。


「ね! あんたさ、明後日のあの子の結婚式に一緒に来てよ! 二人であの子の式ぶち壊して、制裁を下すのよ」


 先ほどとは打って変わって嬉しそうな声でそう告げる彼女は、本当に醜いと思った。どうして妹のことになると、こんなに醜くなるのだろうか。普段は多少、嫌味なところはあるけれど、普通の人なのだ。だから友人として付き合っているわけだが、妹が絡むと心底、醜くなってしまう。


「……やめときなよ、これ以上自分を貶めるのはさ」


 思ったより低い声が出て、自分でも驚いたが、それよりも彼女の方がびっくりしていた。それもそうか、たった今まで味方だと思っていた相手に説教されるとは夢にも思わないだろう。

 案の定、みるみるうちに彼女は怒りに満ちた表情に変わり、


「やっぱりね、この裏切り者。あんたなんか絶交よ」


と、叫んで私の部屋を後にした。


 彼女が音を立てて閉めた扉を眺めつつ、なんとなく悲しくなった。

 



「すみません、姉がそちらにお邪魔しておりませんでしょうか」


 家の前で見慣れない美少女に声を掛けられ、少しどぎまぎしたが、すぐにそれが件の妹だと気がついた。


「昨日突然来襲してきて、すぐに怒って出て行ってからは会ってないよ」

「そうでしたか、それはご迷惑をおかけしました。やはり一度はお伺いしていたのですね」


 姉はあなた以外に信用している方がおりませんでしたので。

 少し悲しげに目を伏せてそう言うと、彼女はもう一度


「すみませんでした」


と頭を下げて立ち去ろうとした。

 そんな彼女の様子に、不謹慎ながら少し好奇心が頭を擡げた。


「あいつ、どうかした? 力になれるかわからないけど、話してよ。わざわざこんな遠くまで来てくれたんだし」


 振り向いた彼女の顔は、今にも泣き出しそうな表情で、美しさと儚さが滲みでていた。同性の自分でこれほど美しいと思うのだ、異性の目から見れば守りたいという欲求に駆られて当然だろう。


 彼女を自室に招き入れ、話を聞くとおおまかには昨日、奴から聞いた話と同じであった。そして昨日、怒って飛び出して行ったきり自分の家にも帰って来ていないらしい。

 彼女は明日結婚式を控えているにも関わらず、健気にもそんな姉を探して回っているらしく、心当たりがあった私のところへやってきたそうだ。


「困った奴だね、大人げないっていうか」

「いえ、私が悪いんです。まさか、姉も同じ人を好きだったなんて夢にも思わなくて」


 酷いことをしていまいました、と俯く彼女は美しい涙をぽろりと零した。これぞ女の武器だな、と感服しながら、ティッシュを差し出せば


「ありがとうございます、大丈夫です」


と、そっと自分の白いハンカチで涙を拭って、まるでドラマのワンシーンを見ているような気になった。

 あなたの姉は差し出す間もなく勝手にこのティッシュを使って鼻をかんでいたが、こうも振る舞いに差が出てしまうとは、神様もなかなか意地悪なものだ。


「知らなかったならしょうがないよ。でも偉いね、そんな奴のことわざわざ探してあげるなんて」

「当然のことです、だって私の唯一の家族は姉だけなんです。だから姉には私の結婚式には絶対に来てほしくて」


 涙を拭った赤い目元と、浮かべられた微笑みは作り物のように美しかった。その美しさとあいつを探している理由が引っかかって、不躾とは思いながら


「確かあなたのお父さんが再婚したのが、あいつのお母さんだったんだよね」


と問い掛けた。彼女はどこか嬉しそうに


「ええ」


と頷き、父は義母と再婚してすぐに亡くなりましたが、と言葉を濁した。なんとなく、これ以上この話題を振られるのを避けるために、こちらが質問を躊躇するような雰囲気を作られたようだと思った。


 しかし、そこは空気を読まないことで定評のある私だ。負けてたまるかと謎の闘志を燃やして少しずつ踏み込んでいく。


「ならさ、お義母さんだって家族じゃない? まだご存命でしょ。あいつだけが唯一の家族ではないし、結婚式にも参加されるのよね」


 彼女はそんな私の揚げ足を取るような屁理屈に対して、否定も肯定もせず、困ったような表情で様子を窺っているようだった。私の言わんとすることを量りかねているような。


「私さ、あいつと中学からの付き合いで、あなたがあいつと姉妹になる前からの付き合いだけどさ。昔はあそこまでひねくれてはなかったんだよね。決してあなたに非があるわけではないんだけど、あなたと姉妹になって比べられるようになって、段々とああなっていったというか」

「おっしゃりたいことが、よくわからないのですが」

「はっきり言って、あいつのあなたに対するあたりは異常というか、正直あなたがそうやってあいつを庇うことが不自然でならないわけ。その理由が『唯一の家族だから』なんてますます納得がいかない。それどころかお互い距離を置く方がお互いの為になるとしか思えないのに、あなたは昔からあいつの近くに必ずいて、それにあいつは反応して醜い姿をさらすのよ」


 昨日みたいに、と心の中で呟いて彼女を正面から見つめた。彼女は未だ困った顔でこちらを見ていた。


「あなただって本当はわかってるでしょう、あいつを結婚式に呼ばない方が、あなたも、あいつも幸せだって。このまま、あいつを探さずにそっとしておいて、あなたがあの家を出ていったら、二人とも幸せになれるでしょう」


 そうしたら、あいつも少しは昔みたいに戻るかもしれない。あんな、醜い姿をさらすこともなくなるかもしれない。




 妹ができてからのあいつは、どんどん醜くなっていくようだった。自分を含めそれなりの数の友人もいたはずなのに、段々と皆離れていって、その原因は言わずもがな「美しい妹」だった。

 「美しい妹」を虐めるあいつを非難して去っていく者、「美しい妹」に対して醜くなるあいつが嫌になって去っていく者、「美しい妹」に絆され、そちらに付くために去っていく者。経緯は違えど、原因と結果はすべて同じだった。私はそれが悲しかったし、あいつが醜くなるのを止めたかった。


 もちろん「美しい妹」が悪いなんて微塵も思ったことはない。ただ、あいつが悪いとも思えなかった。

 だから私は大学に行く為に少し遠方のこちらに引っ越してしまうまで、ずっとあいつの近くで


「あんたは妹と距離を置くべきだ」


と言い続けた。

 その甲斐あってあいつは妹から距離を取り、近づいてきた妹に醜くなり、また私の忠告を聞いて少し離れ、醜くなりを繰り返していた。けれど、きっと私がいなくなってからは離れることなく醜くなり続けたのだろう。だから、昨日のあいつの姿を見て、私は悲しくなった。

 そして、ずっと燻っていた疑問がはっきり形になったのだ。


「どうしてあいつの妹は、あんなに毛嫌いされているのにあいつの近くに居続けるのだろう」


と。


 そしてあいつと友人関係を続けられるくらいにひねくれている自分は歪んだ仮説ばかりをたててしまう。例えば、妹はあいつを引き立て役に使う為にあいつの傍にいたがるのではないかとか、ああやってあいつが醜くなることで人が離れていくように復讐をしているのではないかとか。


 確かにあいつもひどい仕打ちを妹にしているのは事実だから、仮にそうだったとしても仕方ないのかもしれない。けれど、もう十分ではないか。あいつからしたら、友人も離れ、好きな人も取られ、もうこれ以上、二人が一緒にいるべきではないんじゃないか。


 そんなことばかりを、あいつが出て行った扉を眺めながら思ったのだ。そこへやって来た妹に対して、少しばかり非難の気持ちも持ってしまっていた。

 もうあいつを解放してやってほしい。これはあいつの友人で、あいつ側の味方の意見だから偏った見方なのもわかっている。けれど、自分の友人が不幸せになる姿を見たくないのだ。


 このままあいつを見つけて結婚式に参加させたら、どうなるかなんて火を見るよりあきらかじゃないか。もう放っておいてやってほしい。これ以上、可哀想な姿を見たくない。


 最後の方は、懇願するような口調になってしまっていた。おかしなことを口走る奴だと思われているだろうと、ずっと彼女の方を見ることはできず話していたが、何も言わない彼女の様子を窺おうと、恐る恐る顔を上げた。


 彼女は、美しい顔を歪めて、私を睨みつけていた。

 当然だ、言い掛かりに近いことを延々言われたのだ。けれど私は意見を撤回するつもりは毛頭なかった。美人に凄まれると普通の人にされるよりも恐ろしい気持ちになるんだと他人事のように思っていた私に向かって、彼女はこう言った。


「やっぱり、あなただけは私の邪魔をするのね」


 憎々しげに吐き捨てる彼女は、先程の涙など嘘のように私に怒りを向けていた。混乱する私をよそに、彼女はそのお上品な口から


「やっと姉さんから離れたと思っていたのに、どこまでも邪魔な奴」


と、恨み言を放ったのだった。




「父さんが再婚すると言いだした時、正直反対だったわ。どうせ、金目当ての女に決まってるって。それを見極めてやろうと思って、お義母さんとの顔合わせの食事に行った時が姉さんとの初めての出会いだった。彼女はとても可愛いし、優しかったわ。父親ができることも喜んでいるみたいだった。だから私も結婚を反対しなかったわ。ああ、この人とこれから一緒に生活できるんだと思うと嬉しかった。


 私、男って汚くて嫌いなの。何度か誘拐されかけたり、痴漢されたり、そんな時に私のことを見るあの目が気持ち悪くて仕方なかった。だから女性である姉さんを好きになってしまったのかもしれない。でも女の人なら誰でも良かったわけでもないのよ? 姉さんだけが特別だったの。出会った瞬間、この人を私だけの物にしたいって思ったわ。


 新しい生活が始まって、姉さんと同じ学校に行って、姉さんが色んな人間に囲まれてるのが不服だった。だからあいつらには姉さんから離れてもらったの。

 男は単純だから、ちょっと気がある素振りを見せてでっちあげた姉さんの悪口を伝えたら手のひらを返したように姉さんから離れてくれたわ。まあ、女友達なんてものは脆いものだから私が何かしなくても、男の動きを見て流動的に離れると思ってたけど、予想通り過ぎて笑っちゃったわ。

 でも、ずっとあなただけはしつこく姉さんから離れなかった。

 あの頃から鬱陶しかったわ、姉さんと私を引き離そう引き離そうとして。


 その自分だけが姉さんを知っているという態度も気に食わないのよ。姉さんはね、一人ぼっちで惨めに震えている姿が最高に可愛いのよ。


 それを何? 姉さんとこれ以上一緒にいるなですって? 冗談言わないで頂戴。姉さんはね、とっても単純でお馬鹿さんなの。姉さんを誑かしたあの男と私の結婚式に出席させたら、十中八九暴れるでしょうね、そして式をぶち壊そうとするわ。私はそれを受け入れるの。そして私は結婚式をぶち壊されて悲劇のヒロインを気取って、結婚自体をなかったことにするつもり。そうしたら、また姉さんと一緒に暮らすの。


 姉さんは根が優しいから、私に負い目を感じて自分も結婚なんかできなくなるはずよ。そうしたら一生、私は姉さんと一緒にいられるの。


 父さんが亡くなったのは偶然だったけど、今となってはラッキーだったわ。後は邪魔なお義母さん一人を排除するだけ。お義母さん、まだ、ご存命ですけど、毎日少しずつご飯に元気がなくなるおまじないをかけているの。

 最初の頃は味が変だと騒いでいたけど、慣れてきたのね。それとも元気がなくなってきて、騒げないのかもしれないわ。どっちみち、あともう少しなの。

 姉さんと、私が二人で幸せに暮らすまで。


 ここに留まっているなら連れて帰るのが少し大変かと思ったけれど、もう別の所に移動したなら安心したわ。

 長居してしまってごめんなさい。私は姉さんを探さないといけないので、そろそろお暇します。それではご機嫌よう」




 呆然として、軽やかに去って行く彼女を引き留めることもできず、再び閉まった扉を眺めるしかなかった。まさか、シンデレラだと思っていた妹が、魔女役、しかもシンデレラには出てこない悪い魔女だったなんて。


 我に返ってあいつの携帯へ電話をかけても、繋がらない。私は何度もかけ直した。あいつがいつもやるように出るまで、しつこくコールを鳴らしながら外へ飛び出した。


 あいつを、結婚式に参加させては、あの妹に会わせてはいけない。祈るような気持ちで何度も何度も電話をかけた。すると願いが通じたのか、不貞腐れたような声で


「……もしもし」


と漸く電話に出たのだった。私は、はやる気持ちを抑えて、今どこにいるのか問うた。


「……あんたの家近くのカラオケにいる」

「駅前のとこね! いい? 絶対私が行くまで動いちゃ」


 駄目よ、と続くはずだった声は塞がれて出なかった。白いハンカチのようなもので口と鼻を押さえられ、嫌な臭いを思いっきりかがされた。何かはわからないが身体の自由を奪う薬品のようだった。

 もしかしたら、毎日あいつの母親のご飯にふりかけられている、元気がなくなるお呪いかもしれない。

 もちろん、誰に塞がれたなんて、言わずもがな。


「ご苦労さま。探してくれてありがとう。でも、もうこれ以上は邪魔しないでね」


 ずるりと身体から力が抜けて、倒れこんだ私の横を通り過ぎていくヒールの音に悔しさと虚しさがこみあげてくるが、どうすることもできなかった。

 薄れゆく意識の中、カツンカツンと響く音を聞きながら、魔女がガラスの靴を履いて歩く幻覚に襲われた。


 悪い魔女に負けた私ごときでは、あいつの王子様にはなれないようだ。

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