洗脳による愛の手解き
とにかく、人から愛されたい。好きな人からはもちろん、嫌いな人からだって、私を特別視して、大切にしてほしい。
そんな、馬鹿みたいな、幼い子どものような欲望を、朱里はどうしても抑えられない時がある。しかも、大人になるにつれ、その衝動に襲われる回数が増えていた。しかし、愛されるという願望は、残念ながら一人で解決できる問題ではない。愛を受け取るためには、愛を与えてくれる存在が必要なのだ。
「愛されたい、愛がほしい」
そんなふうに願えば願うほど、愛に飢えてどうにかなってしまいそうだった。
朱里はけして、愛されていないわけではない。ただ、満たされることが長く続かないのだ。仲の良い友人や、真面目にお付き合いしている恋人、一人娘にとびきり甘い両親。朱里は彼らから、紛れもなく愛されている。それは変えようのない事実で、朱里も
「今、愛されてる」
と実感することも勿論ある。
けれど、それでは足りない、もっともっと愛が欲しい、愛して欲しいと、飢餓状態で暴れまわる自分がいるのだ。
「私を、愛して」
誰に向ければいいのかもわからないまま、行き場のない感情だけが積もっていく。こんな悩み、誰にも相談できなかった。何故なら自分自身でも、馬鹿みたいだと思うのだ。他人に話してしまえば良くて馬鹿にされ、顰蹙を買って、最悪嫌われてしまうかもしれない。頭ではそうわかっているのに、願望が消えることはなく、より深く濃く、自分の心に刻まれていくのだ。
抑えられない衝動は、偽名を使っているSNSに、文字通り吐き出すことで少しは楽になった。けれど、吐き出しても吐き出しても、追い付かない勢いで愛されたい衝動は朱里を襲った。ここのところ、一日の大半をSNSに費やしているにも関わらずだ。その所為か、そのSNSのとある界隈では朱里が名乗っている「ヒカリ」という女は、ちょっとした有名人になってしまった。勿論、不名誉な意味での有名人である。それでも、まるで病のように毎日、酷いときには毎時間、
「愛されたい」
という満たされない不満に突き動かされるまま、SNSへ投稿し続けた。
そして、とうとうそれだけでは耐えきれなくなった朱里は、友達や恋人に自分ではなくとある友人の悩みとして相談した。
「私の友達が、愛されてるとわかってるのに、もっと愛されたいって悩んでいて、私では解決策が思い付かないの。どうすればその子はもっと愛されると思う?」
と。皆一様に呆れた顔をして、私のとある友人に対して厳しいことを言った。
「その友人一体いくつの子なの、悩みがメルヘン過ぎるでしょ」
「愛されてるのに、もっと愛されたいなんて傲慢よ。そんな人、いつか誰からも愛されなくなるわ」
「仮にもっと愛されて、その先はどうしたいのかな。もっともっとってなるなら、永遠にその子の悩みは永遠に解決しないね」
朱里は曖昧に微笑みながら、傷ついた心をひた隠しにした。同時に安心した、自分のこととして話さなくて良かったと。
そんな厳しい意見ばかりの中で、友達の一人が言った
「そんなに愛されたきゃSNSで不特定多数に『誰か愛してくれる人いませんか』って呼びかけるくらいしたらいいわ。新しく愛してくれる人が見つかるかもよ」
という言葉が頭から離れなかった。
いつも、一方的に感情を吐き出す場所としてしか使っていなかったSNSは、確かに他人と繋がる双方向のコミュニケーションツールだ。もしかしたら、自分の求める愛情を与えてくれる人が見つかるかもしれない。
誰からも愛されたいと思いながら、愛してくれるなら誰でも愛せるわけではないのが厄介なのだ。朱里は人類全てを愛するなんて、そんな博愛主義者ではない。嫌いな人だって、関わりたくない人だって、たくさんいる。
でも、今与えられる愛だけでは、どうしようも虚しくて、足りない気持ちになるのだ。
『誰か、私を愛してくれませんか』
人差し指で操作して生み出した十四文字を発信しようとして、怖じ気づいて一度消して、そしてもう一度打ち込んで。気が付けば一日中SNSの画面とにらめっこしていた。それぐらい、朱里にとって真剣なことだった。
送信ボタンを押すと、すぐに返信が来たと通知された。いつもは通知が来ないよう設定していたから知らなかったが、朱里は自分の発信したことにこんなにも早く誰かが反応してくれるのが嬉しかった。
しかし、返信の中身は大体辛辣なものか揶揄する内容ばかりで、中には下心を隠さないような
『たくさん愛してあげるから今から会おうよ、年はいくつ? 顔の写真送ってよ』
なんて、あからさまな内容のものも混じっていた。
違う、あなたの言う「愛してあげる」は、私の求めているものと全く違うの。
そう、勝手ながら朱里が怒りすら覚え始めていた時だった。
『僕のことも愛してくれるなら』
朱里が送った言葉より短い、十三文字の返信に、どうしてか親近感を覚えたのだった。そして、何の根拠もなく、この人なら自分の望む愛を与えてくれるのではないかという期待を持った。この人はきっと、自分と一緒で寂しがり屋の愛されたがりだから、朱里が欲するものを理解してくれるのではないかという期待を。
『はじめまして、お返事ありがとう。ヒカリといいます』
すぐに、他の人に公開されないプライベートメッセージの機能を使ってそう送った。すると間もなくして、
『はじめまして、ソウシと言います。ヒカリさんはどうして愛されたいの』
と、返信がきたので、朱里はつらつらと理由を述べた。
たくさんの人から愛されたい。愛されているはずなのに、足りない。虚しくて、寂しくて、それが愛が不足してるからだと思ってしまう。この虚無感を埋めたい、埋めてくれるくらいの愛が欲しい。
『わかるよ』
画面に並ぶたった四文字に、朱里は救われたような気持ちになった。
ああ、ああ! やっぱりこの人は、私のことを理解してくれる人だったんだ!
誰にも吐露できず、自分のこととは隠して話して扱き下ろされた悩みを、正面から聞いてわかってくれた。それだけで充分だった。
けれど、続けて彼は
『どうして、愛されているはずなのに、足りないかわかる?』
と送ってきた。朱里は、わからないとすぐに送り返した。
『それはね、相手が君のことを理解せず、本当の君じゃない「演じている君」を愛しているからさ。この悩みを誰かに言ったことある? 言ったとして、誰か理解してくれたことは? 僕はなかった。だから、「演じている僕」つまり「嘘の僕」を愛されても満足できなかったんだ。君もそうじゃないか?』
朱里は、自分の中でずっと形と名前を持たなかった、もやもやとしたものが、はっきりしていくような感覚に襲われて、同時に彼の言葉に「絶対性」を感じた。この人の言うことは、きっと正しい言葉なんだと。
あの日から、朱里はソウシが心の拠り所となっていた。楽しかったと思っていた友達とのお喋りも、幸せに感じていた恋人とのデートもなんとなく嘘ものの、つまらないものに思えてしまう。
この人たちは、本当の私を知らない、受け入れてくれない。
そんなことばかりを考えてしまって、そんな朱里の態度に周りも段々と気付き始めた。敬遠していく者、注意してくる者、対応は様々だったが、どれも朱里の気持ちを白けさせ、そしてそんな朱里に周りもますます離れてしまった。
あんなに、皆から愛されたいと願っていたはずなのに、愛してくれていた人たちが離れていっても、朱里はソウシの言うことを優先させてしまうのだった。
『ねえ、ヒカリ。あまり本当の君を知らない人たちに心を許してはいけないよ。いつか裏切られてしまうからね』
『わかっているわ』
『本当の君のことを理解してあげられるのは僕だけだよ』
そんなやり取りを繰り返せば繰り返す程、朱里にはソウシしかいなくなってしまって、どんどんとひとりぼっちに近付いていくのだった。それなのに、皆から愛されていたあの頃より、朱里は寂しさを感じなくなっていた。一人の理解者の存在が、たくさんの有象無象の愛をかき消してしまったようだった。
そんなある日、朱里はいつものようにソウシに連絡を取ろうと、SNSのログイン画面を開いた。すると、ログインして一番最初に出てきていたはずのソウシのアカウントが消えていた。
慌てて今までのやり取りからソウシのアカウントを辿ろうと、履歴画面を開くと、そこには朱里からのメッセージしか残っておらず、ソウシからのメッセージはすべて削除されていた。
「どうして」
朱里は必死でソウシを探した。けれど、ソウシとの繋がりはこのSNSだけだったのだ。SNSで検索して、出てこなければもう探しようがなかった。それでも必死で履歴を辿って検索した先で見つけたのは、
『このユーザーは規約違反のためアカウントを削除しました』
という冷たい文言だけだった。
朱里は泣いた。それは、ソウシなんてSNS上の繋がりを信じて皆を失ったからでも、途中で裏切って消えてしまったソウシを恨んだからでもなかった。ただ、自分の理解者を失ってしまった悲しみに涙が止まらなかったのだ。
朱里はソウシの本当の名前を知らなかったし、ソウシも朱里の本当の名前を知らなかった。けれど、本当の朱里を知っているのは、ソウシだけなんだと朱里は信じきっていた。
朱里はその日、疲れて寝てしまうまで泣き続けた。心配してやって来た親でさえ、部屋に入れることなく、一人で涙を零し続けた。
そうして、電気もつけていない真っ暗な部屋の中で再びSNSの画面を開いた。
そして今度は迷うことなく、
『誰か、私を愛してくれませんか』
と、打ち込んで送信ボタンを押した。
新しく、ソウシのように自分を理解して愛してくれる存在が、どうか見つかりますようにと祈りながら。
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