ドリアン・グレイの夢

 とある、美人科学者は幼い頃、思いました。


「私、お誕生日は毎年お祝いされたい」と。


 彼女は幼い頃から、とても美しく、そのおかげで皆からとても愛されていました。そして、何故自分がこんなにも愛されるかを、はっきりと理解できるくらい聡明でした。


 彼女はずっと、愛される毎日が続けば良いと思っていました。しかし、賢い彼女は気が付いてしまいます。誕生日、つまり一つ年を取る時、ある時期を境に「成長」を喜ばれるのではなく、「老い」を哀れまれるようになることを。特に女性はそれが顕著です。彼女は考えました。


 そして、一つの結論に達したのです。年を取ったことが、わからなくなれば「老い」を哀れまれることなく、毎年お誕生日を祝ってもらえるのではないかと。


 彼女は、年を取らない方法を考える為、科学者になりました。そして、彼女自身が50歳になった時、とうとう完成させたのです。20歳の見た目を、維持できるという研究を。






 私、山崎灰音は、今日で12歳になる。10月21日、12回目の誕生日だ。家族や友達から「おめでとう」と言ってもらって、少し照れくさいけど、とても嬉しかった。学校の帰り道、親友のゆかりと歩いていると、ゆかりが


「それで、灰音もドリアン接種はするんでしょ? もう予約取った?」


と、聞いてきた。


「ううん、まだ取ってない。というか、本当にドリアン接種を受けるかまだ迷ってるの」


 そう、ゆかりに言えば、彼女は心底驚きながら


「なんで? 皆普通に12歳になったら接種を受けるじゃない、何を迷うことがあるの」


と言った。

 ドリアン接種は、12歳の子供のみ受ける権利を与えられた医療行為だ。うんと昔、とある女性科学者が、20歳の姿を維持することができる方法を開発した。しかし、この方法にはいくつか条件と制限がある。


 ひとつ、12歳の子供にのみ適応できる。


 ひとつ、見た目は20歳の容姿を維持することができる。


 ひとつ、中身の老いは止めることができず、むしろ接種をしない人に比べて二倍の速さで年を取る。


 他にも細かい制限があるみたいだけど、私たちが知っているのはこれくらいのことだけだ。


 このドリアン接種は、通称「夢の接種」なんて呼ばれていて、特に年を取りたくない女の人たちからとても喜ばれた。だって、12歳の時にタダで受けられる上に、その決断は親も含めて誰一人邪魔することはできない。自分が「する」と決めたら、誰にも止められることはないのだ。反対に、12歳を過ぎると接種を受けても20歳の見た目を維持することはできないらしい。難しくてよくわからないけれど、遺伝子とかなんとかが関係しているらしくて。


 今の世の中、外に出ると見た目だけだと20歳の人たちばかりだ。残りは接種を受ける前の子供だけ。年を取っている人は一切見かけない。

 けれど、見かけないだけで、年を取った姿の人は存在している。この年を取っている人たちは、稀に接種を受けない人がいて、そういう人達は何故か馬鹿にされる風潮だった。

 家の祖母が、そうだった。





 今の世の中、接種をしていない人は、随分な変わり者として見られる。実際、年老いた人がどうなるか、教科書の写真で見るくらいで、実物を知っている人の方が少ないのだ。「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれる存在を知らずに育つ人の方が圧倒的に多い。


 なぜならば、皆短命なのだ。だって、見た目は若くても年を取るのは二倍の速度なのだから。単純に考えて30歳の時、中身は60歳なのだ。それでも、接種を崇める声が圧倒的だった。


 そして、接種を受けなかった年老いた人達は、その家族によって家に閉じ込められた。その存在が外の目に触れるのは、恥ずべきことだとされていたのだ。


 おばあちゃんは、いつも部屋の中で座って過ごしていた。テレビを見たり、本を読んだり。私はそんなおばあちゃんと話すのが大好きだった。お母さんはあまりそれをよく思ってなかったが、構わなかった。


「ねえ、おばあちゃん、またおばあちゃんが子供の頃のお話して」

「灰音ちゃんは昔の話を聞くのが本当に好きなんだねえ」


 この頃、おばあちゃんと同い年の人は、もう誰も生きてはいなかった。だから、おばあちゃんから聞く話は学校の授業で習うことも多かったのだ。

 教科書に載っていることを実際に体験したことがあるおばあちゃんは、歴史上の人物みたいだった。私は昔の話を聞くたびに、


「おばあちゃんはどうして接種を受けなかったの?」


と聞いた。おばあちゃんはいつもゆっくりと笑いながら、


「……おばあちゃんはのんびり屋さんだからねぇ。のんびり生きていきたかったんだよ」


 そう言って皺だらけの手で優しく頭を撫でてくれた。そんなおばあちゃんが大好きだった。





 結局、私は接種を受けなかった。今年、24歳になる。勿論まだ、そんなに皆と見た目が変わっているわけではないけれど、友達や家族からは腫物に触るような扱いを受けるようになっていた。

 けれど、接種を受けなくても、実際にそれが分かるようになるまでは外に出ても大丈夫なようだった。普通に就職もできたし、恋人もできた。毎日仕事も忙しく、充実していた。

 そんなある日、親友だったゆかりから久しぶりに連絡があった。


 送られてきたのは「久しぶりに会わない?」と簡単な文章だけだったが、少し懐かしくて会いたい気持ちもあり、こちらも「いいよ」とだけ返した。

 その後、待ち合わせの日時と場所を決め、連絡は途絶えてしまったので、どんな用件があるのかはわからず当日を待った。


「ひさしぶり、ゆかり。当たり前だけど、成人式で見かけた時から変わらないね」

「そういう灰音はちょっと老けたんじゃない?」

「えー、まだそんなに変わらないでしょう?」

「目尻に皺とかちょっとできてきたでしょう、ほらあと首も。なんだかハリがなくなってきてるんじゃない?」


 会ってそうそう、失礼な言葉を浴びせられ少しムッとしてしまう。そんな態度が伝わったのか、


「まあとりあえずどっか入ろうよ」


と待ち合わせ場所から近くのカフェに移動した。


 カフェに入ってからは、仕事のことや恋人のことなど、お互いの近況を話した。ゆかりは就職が上手くいかず、派遣社員をやっていたらしいが先日派遣切りにあってしまって、今は無職らしい。

 恋人もここ数年できていないらしく、早く結婚したいのにと不満そうだった。その所為か、こちらの話をするたびに、ゆかりは少し面白くなさそうな顔をしていたが、恋人の話をしている時、遮るように


「ね、その彼氏さんはさ、灰音が接種受けてないこと知ってるの?」


と聞かれた。


「ううん、まだその話はしてないけど」


 そう答えた瞬間、ゆかりの顔が輝いた。


「えー! それって詐欺じゃない? だってさ、灰音はこれから老いて醜くなっていくのにさ。彼氏さん可哀想じゃん」


 先程まで不貞腐れた顔していたとは思えない程、彼女は活き活きとしていた。私は勿論腹立たしくなったが、それと同時に怖くなったのだ。

 それは図星を突かれたというのも少なからずあったが、人間はこんなにも中身の醜さが顔に表われるんだと知ったから。

 その時のゆかりの顔と、老いて皺やシミができたおばあちゃんの顔と、どちらが醜いかなんて、きっと年を取った人を実際に見たことがない人でもわかるはずだ。


「ねぇ、なんで灰音は接種を受けなかったの」


 ゆかりのその質問に、私はおばあちゃんみたいに笑って答えることはできなかった。





 ゆかりと会った日、私は彼女と別れてからすぐに恋人の家に向かった。本当にゆかりの言い分は、腹が立ったけれど、納得できる部分もあったからだ。


 私は彼に接種を受けていないことと、ゆかりから言われたことを告げ、


「そんなつもりはなかったのだけど、騙してしまうようなことをしてごめんなさい。あなたが別れたいなら、大人しくあなたの前から去ります」


と、謝った。彼は驚いてしばらく絶句した後に、静かな声で


「どうして、君は接種を受けなかったの?」


と、ゆかりと同じ質問をしてきたのだった。


 結局ゆかりには曖昧に笑って誤魔化した。言いたくなかったのだ、あんな人を軽蔑しきった態度の相手に。けれど、彼は違う。同じ質問でも、私を馬鹿にしたいわけじゃないということが伝わってきた。


「私のおばあちゃんも接種を受けなかった人なの。多分あなたは見たことないと思うけど、私、小さい頃から年老いた人を実際に目にしていたわ。でも、確かにお世辞にも美しい姿とは言えないけど、別に醜いだなんて思うこともなかった」

「それだけ?」

「……ううん。私、怖かったの」


 それ以降、言葉が上手く紡げなくなった私に、彼は、


「何が怖かったの?」


と、聞いてきた。私に話をしてくれるおばあちゃんみたいに、とても優しい声だった。


「おばあちゃん、私が8歳の時に亡くなったんだけどね。一歩も部屋から外に出してもらえなかったの。勿論、接種を受けなかった人を外に出さないのは普通のことよ。でも、おばあちゃんが少し外に出たいって言った時の、お母さんやお父さんの顔が、おばあちゃんを見る目が、それを咎める剣幕が、怖くて怖くてたまらなかったの。接種を受けないと自分もこういう目に合うのかもしれないとも思った、でも、優しいおばあちゃんに対して、あんな風に接する、見た目に執着する両親がそれ以上に怖くて、私」


 気が付いたら、私は泣いていた。彼はそんな私を抱きしめて、


「もういいよ」


と頭を撫でてくれた。その手は20歳の肉体で若々しいのに、おばあちゃんみたいに優しかった。


「僕は、山崎灰音という女性が好きになったんだよ。それは勿論、外見も含まれているけど、それだけで好きになったわけじゃない。正直、びっくりしてしまったけど、そんなことくらいで別れたりなんてしないし、騙されたなんて思わないよ。話してくれてありがとう」


 私は彼にしがみついて泣いた。幸せで幸せでたまらなかった。





 今年、もう私は29歳になる。見た目は、20歳の頃から目に見えて変わっているようだった。会社でもだんだんと、私が接種を受けていないのでは、という噂が広まり、居辛くなってきた。


 そんな話を聞いた彼が言ってくれたのだ。


「なら、僕と結婚して寿退社する?」


と。私は嬉しくて、彼に接種を受けていないことを告げた時のように泣いてしまった。彼は困ったように笑いながら、


「残念だけど、君より先に僕は死んじゃうから、寂しい思いをさせてしまうだろうけど」


と言った。それは確かに悲しいことだけど、この人と結婚できるという嬉しさの方が勝っていた。


 結婚式は挙げなかった。親ももうお互い亡くなっているし、呼ぶ友達も私はいなかったから、彼が


「式は挙げずに写真だけ撮ろう」


と言ってくれたのは、きっと気を遣ってくれたのだろう。籍を入れる前に、私は会社を退職した。会社中に私が接種を受けていないことは広まっていたので、どこかほっとした様子で見送られたのが少しさみしかった。


 彼は私が話したことを覚えていてくれて、


「君が嫌な思いをしないのなら、好きに外に出ていいからね」


といつも言ってくれていた。けれど私自身、彼が何か言われるのを避けたくて、段々と外出は減っていった。

 そんな時だった、ゆかりからまた「久しぶりに会わない?」と連絡がきたのは。

 あの日以来、連絡が来たのはその日が初めてだった。


 私は「会わない」と返事をし、それに対して「わかった」とゆかりから返ってきた。しかし、次の日も、また次の日も。

 ゆかりから「会わない?」という連絡が来た。私はそのたびに「会わない」と返したが、ゆかりから連絡が止まることはなかった。

 私は5回目の「会わない?」に対して、漸く「いいよ」と返し、5年ぶりに彼女と会うことになったのだ。


「ひさしぶりね、灰音。だいぶ老けたわね」

「そんなこと言うために、私に5回も会おうって言ってきたの?」

「え? 何言ってるの? それにしても、目尻の皺目立つわね、ファンデーションで隠しても丸わかりよ」

「……用件はなに?」


 ゆかりは、見た目も、会って早々に失礼な言葉を浴びせるのも変わっていなかった。私の苛ついている様子にも気が付いていないのか、待ち合わせ場所近くのカフェに入ろうと言ってきた。前に話をした、あのカフェだった。


「それで? 用件は?」

「うーん、用件っていう用件はないんだけどね、前のさ、名前なんだったっけ、彼氏さん。彼とはどうなったの? やっぱり別れちゃった?」

「結婚したわ」

「え? 何て?」

「だから、彼と結婚したわ」


 そう告げると、ゆかりはみるみる真っ赤になって、


「そんな嘘吐かないでよ!」


と叫んだ。私は一切怯むことなく、本当よ、とだけ言った。


 ゆかりはそこからマシンガンのように私への罵詈雑言と、自分の不遇さを訴えてきた。どうしてあんたみたいに老いて醜くなる女が結婚できて、いつまでも若く美しい自分が結婚できないのかと。

 私はそれを黙って聞いていた。


 興奮しすぎたのか、いったんお手洗いに行って戻ってきたゆかりは言った。


「ところでさ、前のさ、名前なんだったっけ、彼氏さん。彼とはどうなったの? やっぱり別れちゃった?」


と。





 私が接種を受けなかった理由は、彼には話したのも紛れもない事実だ。けれど、もう一つ、怖いことがあった。


 それはおばあちゃんが亡くなる前に見せた「中身の老い」だ。同じことを何度も言ったり、色んなことを忘れたり。

 私はその中身の老いが怖かった。その中身の老いを知ることは、「おばあちゃん」がいない人たちが知らなくて当然だった。でも私は知っていたのだ。そして、それが外身の老いよりも怖かったのだった。


 眼の前にいるゆかりは、紛れもなく、中身が老いた醜い女だと思った。


 ドリアン接種を作った女性科学者は、本当にこの結果を「夢の接種」だと思ったのだろうか。





 とある、美人科学者は研究を完成させた時、思いました。


「私はもう、お誕生日は誰からもお祝いされない。けれど、私と同い年のあの子には子供が、あの子にはもう孫がいて、その子たちから『おめでとう』って言ってもらってる。どうして? 私の方があの子たちより幸せになれるはずだったのに。『おめでとう』って言われたかったのに」と。

 

 研究に没頭した彼女は、家庭を作ることもできず、自分の親も亡くなり、友達とも疎遠になってしまったのです。

 

「私はただ、美しくありたかった。老いたくなかった。そうすれば愛されるって、そんな妄執に囚われてしまった。そんなことをしなくても、あの子たちみたいに愛されていたかもしれないのに」

 

 悲しみにくれる彼女は、自分の夢が詰まった研究結果に「ドリアン」という名前をつけました。

 「老い」や「美醜」に拘って、怖がって、まるで私『ドリアン・グレイの肖像』のドリアン・グレイのようだわと、皮肉を込めて。

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