狐の窓

来世は猫

第1話 邂逅



自分は人間に向いてない。自分ほど人間失格と言った言葉が当てはまる人間を、太宰の他に自分は知らない。






暑い夏の日だった。元の学校で不登校になって、知り合いが誰もいないこのド田舎に越して来たのは。


そもそも面倒くさがりの自分には全ての物事が向いていなくて、学校も勉強も食事も、生きることさえも不適合者だった。


明日こそ何とかする。来週こそ、来年こそ、中学生になったら、…。やるべきことをどんどん後回しにして、溜めこんで、勝手に苦しんでから、全部捨てて逃げる。自分はそういう人間だった。


学校という空間は、そういう付いていけない奴をあっという間に置いてってしまう。気づいた頃には自分の居場所はどこにも無くなっていた。親は世間体を気にする人だったから、周りの目を気にして、そうして知り合いのいないこのド田舎に越して来た、というわけだ。



さて、先程からド田舎と連呼しているが、自分は口が悪い訳では無い。ここは本当にド田舎なのである。

どのくらいかと例を挙げると、まず駅がない。バス停もだ。最寄りのバス停は隣町…と言っても山一つ越えた先である。どこの家も車を持っているのが当たり前だし、家を出る時は鍵をかけたりしない。近くの学校は隣町のバス停からバスで1時間。


いくら周りの目を気にするからと言っても、ここまですることないだろう。面倒臭がりの自分のことだから登校が面倒臭すぎて、また不登校になりそうな勢いでド田舎であった。




そうやってここに越してきたのは良いものの、近くの学校(例のバスで1時間の所)は夏休み中であるようだった。

都会育ちである自分は田舎がもの珍しかったので、地理の把握も兼ねて引越してから数日も経たないうちに町の探索に出かけることにした。


放任主義な親に一声かけて、スマホだけ持って出かける。

引っ越してきた新しい我が家は少し古臭く、ドアを開けるのにも一苦労だし、庭には草木がジャングルのように生えている。なんなら階段を踏む度に軋む音がするのでいつ踏み抜けるのかと気が気じゃない。


開きにくいドアに体当たりするような形で外に出た瞬間、暑い陽の光と茹で上がりそうなほど蒸し暑い風を感じ、水筒を持ってこなかったことを途端に後悔した。


こんなド田舎に自販機があるわけないし、あったところでPayP○yなんて使えるわけが無い。

困ったら小川で水でも飲もうかな、と現実逃避を重ねながら道端の小石を蹴って進む。そのまま石は、誰かの田んぼに落ちていった。



さて、探索と言ってもこの街には何も無い。


いや、本当に何も無いのだ。コンビニやスーパーも無いのに買い物はどうするんだろう。

いざ探索だとワクワクしながら家を出たものの、この辺りは田んぼとあぜ道が続くのみで、探索するものなどなにもない。

このまま進み続けても山に入って迷子になりそうだし、喉も乾いたからそろそろ帰ろうかな、とあぜ道の十字路を左に曲がって、田んぼ越しで山沿いの道を進んで帰路に着く。


何も無い癖して広大であるからか、昼に出たというのに陽は既に傾いていた。ひぐらしが鳴いていて、畑を耕していた農家達はもう家に帰ったのか、辺りには誰もいない。

茜色に染った広大な土地にひぐらしと、鈴虫と蛙の鳴き声の大合唱が響いてどこか不気味だった。早く帰ってしまおうと足を早める。


今日の夜ご飯はなんだろう。あれっ、結局買い物はどうするんだろう?なんて下手くそな現実逃避をして、なるべく景色に目を向けないようにしていると、ふと茜色に染まる山壁に、一際目に留まる…赤い鳥居を見つけた。


途端に好奇心が顔を上げる。こういう田舎の神社は廃れかけていて味があるのがセオリーだ。お賽銭は生憎持ち合わせがないので難しいけど、寄るのはタダだし、今日はなんの収穫もなくてつまらないから最後に冒険してみようと、駆け足で鳥居まで走って行って上の方を見上げた。


上まで長い階段が続いている。石階段はいつに作られたものなのか、あちこち苔が生えていて、随分急であった。

形のまちまちな石はところどころ無くなったり欠けたりしていて、いかにも"廃神社"と言った感じがしてゾクゾクする。


こんなに心が踊ったのは何時ぶりだろうと、神社へ続く階段を駆け足ぎみに登った。




何回か転びかけて、その度にヒヤヒヤしながら階段を登りきる。


目の前には苔が生えて木の茶色が苔の緑色になりかけている神社があった。参道は思っていたよりちゃんと残っていて、昔は綺麗な白色であったことが伺える。

途中で枝分かれした参道は本堂の奥の方に進んでいた。


人っ子一人おらず、ただ遠くでひぐらしが鳴く声が静かに響くのみである。


下を見ないように登ったからか、少し下が気になってちらりと見てみると、あんなに大きかった鳥居が消しゴムのような大きさになっていて、恐怖に思わず足元がぐらつく。


すぐ後ろに段差があるから誤って落ちてしまわぬよう急いで目の前の鳥居に転げ込んだ。




「おや、今年の贄は男か」





「は?」



ふと、声がした。そんな訳ない。だってさっき神社を視認した時は、誰もいなかったのを確かに確認したのだから。


廃れた神社には人の気配などなく、声をかけられるまでこの声の存在に気がつけなかった。

酷く高い階段よりもこの声の方が恐ろしく、思わず嫌な汗をかく。


弾かれたように顔を上げると、白い狩衣を着、赤い結紐の先に梵天を付けた美少年がいた。少年なのかも分からない。

ひとつ分かるのは、この少年は人間でないことのみである。


混乱して怯える自分をものともせず、少しくせっ毛な黒髪を揺らして少年は妖しく微笑った。


「ふふ、面白い子が来たなぁ。……冗談だよ。ここ最近贄は捧げられてないからね。迷い込んだんだろう?」


軽々と言葉を紡ぐが、何を言っているのかまるで分からない。

贄?そんなの、ファンタジーの中だけだとじゃないのか。


「…あっ、あの、ここに入ったこと…怒ってますか。」


恐怖に声が震えながら、何とかそれだけ問うと、少年はつり目がちな目をゆるりと見開いて、わざとらしく驚いて見せた。

それからくっくっと可笑しそうに苦笑すると、白く骨ばった手をこちらに伸ばした。


「おいで、取って喰ったりはしないから。私は……一応ここの神様をやってるんだよ。こんなことを言ってもね、人と話すのは随分久しぶりなんだ。」


微笑んだ少年の顔は美しく、神様なんて馬鹿げたことを言っているのに、思わず信じてしまうほど人間離れしていた。

誘いなんて本来なら恐怖で断っていただろうに、まずい、と思った時には既に甘い蜜に吸い付けられるように、その手を取ってしまった後だった。





「そら、ここに座るといい。今茶菓子を…っと、人には出してはいけないのだったかな。」


本堂の後ろに続いていた参道の奥には離れがあったようで、この美丈夫はここで暮らしているらしい。

本堂から想像していたよりも綺麗な屋敷に通されて、縁側に座らされる。少年は菓子を取りに行こうと立ち上がったようだが、思い直したように座り直した。


「あ、あの…どうぞお構いなく…」


何か借りを作るのも恐ろしく、人付き合いが苦手な自分はせいぜいそう断るのが限界であった。断ったものの気まずい空気になることも無く、少年はそうかい?と首を傾げて、それならこれをあげようと、懐の懐紙から…カントリーマ○ムを取りだした。


「カンッ!?」

「おや、知っているの?」


なんだかおかきやあられが出てきそうな雰囲気だったけど、彼は袋に包まれたままのバニラとココアを僕の手に乗せた。少年はなおも続ける。


「ここは一応神域だからね。黄泉の国でないとはいえ、黄泉竈食はいただけない。」

「よもつ…?」


自分は無神論者であったが、冗談めいた優しい顔をしていた少年が真面目な顔で言うものだから、質問を返せずにこちらも真面目な顔で頷いてしまった。

よもつへぐいってなんだろ…あとでググろ……。


「さて、君はここらで見ない顔だけど、どこの子だい?」

「えっと、佐藤蛍って言います。2日ぐらい前に奥の方へ越してきて……」


パッと明るい顔に戻った少年にこちらの張り詰めた空気もパッと緩んだ。

思わず顔まで緩んでしまったが、堅い空気よりはマシである。そうして自己紹介がまだだったことを思い出し、自分の名前を名乗った。


「なるほど、道理で見ない顔だと思った。


そういえば少年の名前はなんというのだろう。いつまでも少年と呼ぶ訳にもいかない。


「…もうじき暗くなるから、それを食べたら帰りなさい。」


しかし、意に反して少年は勝手に納得すると、自分の手元に置かれたまま封を切られていないカントリ○マアムを指さした。

暗くなる、の言葉にハッとして縁側から空を見ると、ここに来てからしばらくしているというのに、陽は下の鳥居をくぐった時のままで、なんだか時が止まったように感じた。


「…ねぇ、貴方の名前はなんて言うんですか?」

「…私?」


堪えきれなくなって、少年に向き合って問うと、少年はちょうど懐からもうひとつ菓子を出したのか、ハッピー○ーンの粉が零れないように気をつけながら噛んでいたところだった。

まさか自分に問い返されるとは思っていなかったようで、少年は少し驚いた顔でこちらを見る。

少年の見開かれた瞳に西日が差し込み、彼の瞳は光を吸収するほど暗いオリオンであることを知った。


「私は……、なんと言ったかな。もう随分長いこと人に呼ばれていないんだ。…そうだ、君が、私に名前をつけてくれ。」


ふと、俯いた少年の顔に翳が差す。ゆるりとこちらを見たその顔は微笑っているのに、翳っていて、どこか暗い顔をしていた。

どうやら容易に踏み込んではいけない話題だったようで、興味本位で考えなしに聞いてしまったことを後悔する。

名前付けなんて小学生の頃の金魚ぶりだ。まともな名前がつけれるわけが無いから適当に自分の名前からもじることにした。


「え〜〜っと…蛍雪…とか…、なんか聞いたことあるけどどういう意味なんだろう……。」


なんだか聞いたことある言葉を適当に言ってから、これは人の名前を決める行為であったことを思いだす。

蛍雪…なんか文字が綺麗だから選んだけど、慣用句か何かの言葉だったっけ?とうんうんと悩みながら、ふと少年を見ると、また瞠目していた。


今までのわざとらしい顔ではなく、本当に動揺しているようで、瞳がゆら、と揺れる。



「嫌でしたか!?嫌ですよね!!ごめんなさい!!!」

「いや…その……」


思わず少年の手を取って謝る。勢いで触れた彼の手は酷く冷たく、まるで石を触っているようだった。

そもそも、素人の子供の名付けた名前などペットの名前のようなものなのだから、嬉しくなどないに決まっている。

それに、名前をつけてくれって言葉だって軽い冗談のつもりで言ったのに違いない。それなのに自分は真に受けてなんとも恥ずかしい名前を……。なんて慌てていると、俯いた少年が違うんだ、と遮った。


ぎゅ、と触れていただけの少年の手に少し力が篭もる。



「……懐かしくて 」


はにかんだその顔は、苦しげに眉が寄せられていて、今にも泣き出しそうに見えた。


細められた目からオリオンの瞳がどんな感情を秘めてるなんて読み取れなくて、自身の名前も覚えていないのに、蛍雪の何が懐かしいのかなんて、聞けなかった。











さて、そろそろ日が暮れるから帰りなさい、と気まずい空気を打破した少年に神社から追い出されてから、どうやって家に帰ったのかは正直少しあやふやだ。


どこまで行っていたのか、家に着いた頃には陽が暮れきっていて、家の中まで真っ暗であった。

導線の接触が悪いのか、電気のスイッチを何回か押してやっと明るくなった玄関で屈んで靴を脱ぐ。


カタンと軽いものが落ちた音がして、下を見てみると、カン○リーマアムが落ちていた。

屈んだ時に落ちたのだろう。拾うと、衝撃で割れているのが袋越しに感じられた。

このカント○ーマアムがなければあの神社での出来事はひと夏の夢だとしか思えていなかっただろう。


さて、家に電気は着いていないが、家を出た時には家にいた親はどうしたのだろうか。

外はいつからか雨が降っていた。


玄関でカントリーマア○を見つめてぼぅっとしていると、ガチャっと大きな音をたてて勢いよく玄関が開いた。いきなりのことで心臓が跳ねたが、入ってきた人を見て落ち着く。


「…母さん、どうしたの?もう夜遅いけど…。」

「アンタこそ…っ!」


入ってきた…母さんはレインコートを着て、びしょ濡れになっていた。

こんなに酷い雨だと言うのにどこに行っていたのだろう。買い物?そういえば結局最寄りのスーパーってどこだ??


母さんは焦った顔をしていて、自分の肩をガッと掴むと、そのまま抱きしめた。



「ちょ、母さん!濡れちゃう!」

「心配したんだから…!!」


ここまで血気迫る母さんを見るのは久しぶりで、ましてや自分の心配なんて、それこそ10年ぶりほどだった。


思わず濡れてしまうことも忘れて、一体何があったのかを聞く。

母さんは荒い息を落ち着けるとゆっくり話し出した。


「近所の子が…誘拐されたんですって。」


町の人達は神隠しだとか言ってるけど、私は貴方も誘拐されたんじゃないかって気が気じゃなくて、と母さんは続ける。


事故の可能性だってあるけど、電車や車もなかなか通らない町だし、こんなド田舎の子は山なんてマイホーム同然で、迷うこともないだろう。


そもそもこんな狭い町、誘拐犯はわざわざ来ないはずだ。本来地図に載ってるかも怪しい町である。

となると、残るは地元の人の犯行ということになる。


たどり着いてしまった答えに思わず背筋が凍った。この町に子供は2、3人しかいない。自分が狙われる可能性だって十二分にあったのだ。






………神隠し?



頭に今日出会った神様が浮かんで消えた。












⇒NEXT 第2話 神隠し




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