第2話 ダチュラ、またの名をエンジェルストランペット
「どうぞ」
勧められたカップには、なみなみと黒い液体が注がれている。その色に、今更ながら自分の置かれている状況を不安に感じてしまい、それを打ち消す為に慌ててミルクを入れてかき混ぜた。
あたしは記者だ。こんなことくらいでびびっていては駄目。新米だからといって甘えは許されないんだから。
そう自分を奮い立たせて、意気込みと共に珈琲を半分まで喉に流し込み、漸く真正面に座る相手を見据えた。
「谷原さん、本日お訪ねしたのはですね。御社が贈賄買収によって無理な」
「折川さん」
まぁ、そう焦る必要ないでしょう。
極めてのんびり牽制されただけで、あたしは二の句が継げなくなる。その笑みから与えられる威圧は半端じゃない。
そんなあたしに気付いているのかどうかわからないが、まさに貼り付けたという形容が相応しい笑顔のまま、取材相手の社長は立ち上がり、机上の植木鉢ごと飾られた花の隣に並ぶ写真立てを手に取った。
「この花をご存知ですか」
薄黄色の垂れ下がり下向きに咲く花の写真。こんな花は見たことがない。
知りません、と正直に答えようとして口を開きかけたと同時に、彼は再び愛おしそうに見つめる件の花の説明をするべく話し始めた。
「ご存知ないですか。ダチュラと言うんです。この花、先日ようやく咲きましてねぇ。エンジェルストランペットとも言いますが。ほら、トランペットみたいな形をしているでしょう」
美しい、でしょう。
そう言った彼の笑顔に寒気を感じ、ここはひとまず退散すべき、という本能に従って立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
「たに、はら……さ……」
「ダチュラにはね、折川さん。こんな逸話があるんです。
ある男女二人の子供が神々の会議を目撃し、それを事細かに母親に話してしまう。そのことで神々の怒りに触れた二人は、ダチュラの花に変えられてしまった。
それ以来、ダチュラを口にした者は何でも話してしまうようになったのです。と、まぁ、あくまで逸話ですけれど。
だからと言って敬遠することはありませんよ。確かに、言語障害などを引き起こすアルカロイドを含む有毒花ではありますが、取り扱いにさえ気をつければ問題ありません。
昔はともかく、今は自白剤なんてナンセンスなものではなく、麻酔薬なんかのクスリとして使われるのが主のようですがね。
おや、どうかされましたか、折川さん」
しまった。やられた。しくじった。
ニヤリと笑う目の前の男に、一服盛られたに違いない。
悔しさに唇を噛み締めるあたしに、哀れむような、揶揄うような声色で、
「ああ、今ダチュラを口にさせたいのは、貴女の方ですね」
なんて、ぐらりと反転する世界の片隅で、笑っている。
嗚呼、どう、しよう。逃げなけれ、ば。
けれども毒がまわる。
彼がくれた、あの赤い花が持つのと同じ毒物が。
『神々の怒りに触れた二人は、ダチュラの花に変えられてしまった』
歪む視界に迫りくる男は、もう笑ってなんかいない。
「いらぬことを話してしまう貴女も、ダチュラに変えなければいけませんね」
人の形に変装していた神の、秘めやかなる怒りに触れてしまったあたしは、ただ力なく瞼を下すしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます