ノーマルモードがデスモード

第40話

 仕事終わり、私は及川先輩のデスクに向かった。

「あの、及川先輩……」

「ん、どうした? 仕事上がれそう?」

「仕事は大丈夫です。それで、あの、この後ご飯でもどうですか?」

「おお! 行こう行こう! 確か駅前に新しくいい感じの居酒屋が出来て……」

 そう言ってスマホで場所を調べ始める。仕事だけじゃなくて、こういうところも有能なんだな……


 及川先輩が見つけてくれたお店は、目の前で串物を焼いてくれる、確かに「いい感じ」の場所だった。

 一杯目の生ビールで乾杯し、喉を潤す。今日は先輩に言うって決めてきたんだから、ちゃんと言わないと。でもなんて切り出そう……

「それで? 珍しく桐生からご飯に誘うなんて、私に話したいことでもあるんじゃない?」

「あ、はい! そうなんです。実は……斗真君と付き合うことになりました」

「そか。よかったじゃん」

 そう言って及川先輩は生ビールをクイッと流し込んだ。

「それだけですか!?」

「なぁに? 桐生はもっと驚いてほしかった?」

 及川先輩はからかうようにニヤッと笑う。

「いや、そうじゃないですけど……『ついに手を出しやがったな』とか言われるかなって……」

「手を出すって……」

 及川先輩はハァっとため息をついた。

「あのね、桐生。『手を出す』なんて発想が出てくるからには何かしらやましい気持ちがあるんだろうけど、それって多分勘違いだから」

「勘違い……?」

「斗真君は自分から桐生のことを選んだのよ。だからどんなに自分の立場に引け目を感じても、そのことは信じてあげて。……まあ、桐生達のきっかけは『手を出した』って言われても仕方ないかもね」

 きっかけは家に入れなくなった斗真君をうちに泊め、そのお礼になんでもすると言われた時。「らむねちゃんを現実リアルで見たい!」という己の欲望のままに、斗真君の善意を利用した。

「で、ですよね……」

 落ち込む私の様子を見て、及川先輩はふふっと笑った。

「ごめん、冗談よ。そんなきっかけがあったっていいじゃない」

 そう言ってビールの入ったグラスを持った。

「もう一回乾杯しましょ。可愛い後輩が幸せになった記念ね」

「ありがとうございます」

 私達はグラスを合わせた。


「ところで、仕事以外で勘の鈍い桐生サンはいつ自分の気持ちに気づいたのかしら?」

「……んぐ!」

 私は二杯目の生ビールがのどにつかえた。

「何ですか急に!」

「こうなる前から、斗真君に対する桐生の気持ちは『推しと似てるから好き』だけじゃなかったもの。でも桐生はあくまでも異性としては意識してないって言い張るから、ああこの子は自分の気持ちに気づいてないんだろうなって。で、いつから変わったの? 先輩に教えてみなさい」

 これは完全に面白がられてるな……でもまあ、この人にならいいか。

「……変わったのは、及川先輩と一緒に行ったドリームランドの時です」

 私は別行動した時の出来事を話した。

「へぇ、いいわね」

 そう言って及川先輩が優しく微笑む。

「そういえばあの時、及川先輩の様子がいつもと違いましたよね。なにかあったんですか?」

 及川先輩は珍しく視線を泳がせた。

「いや、えーっと……何だったかしら。私のことはいいから、これから仕事も少し落ち着いてくるし、せっかく付き合いたてなんだから二人で遠出でもしてきたら?」

 遠出……お泊り……

「誰と誰がですか?」

「桐生と斗真君に決まってるでしょ!……はぁ」

 及川先輩は頭に手を当てた。


 目の前のテレビでは関東の小旅行特集が垂れ流されている。ふとこの前の会話を思い出した。斗真君と遠出……お泊り……

「旅行……」

「旅行がどうかしましたか?」

 隣に座っていた斗真君が私の方を向いた。ハッと我に返る。

「もしかして口に出てた!?」

「はい。旅行、行きたいんですか?」

 ここで行きたいって言ったら、誘いを催促してるみたいにならない!? そうならないためにも自然な感じで話を流そう。

「あー、この前ね! 会社の先輩と話してて、これから仕事は落ち着いてくるし旅行でも行ってきたらって言われたんだよねー。それだけ!」

「そうだったんですね」

 そりゃね、斗真君と長く一緒に過ごせるなんて楽しいに決まってますよ。でも今までは「斗真君にアイフレを知ってもらう(あわよくば好きになってもらう)」っていう目的があったから突っ走ってこれた訳で、恋人同士で普通の旅行なんて私にはハードルが高い……! 私にもっと女子力戦闘力があれば……っ!

「もし菜々子さんが良ければ僕と一緒に旅行、行きませんか?」

「喜んで!」

 ……ああ、どうして私は斗真君からの誘いにこんなにも弱いんだろう。


 ボストンバッグの中身は3回確認した。ハンドバッグの中には財布、ハンカチ、ティッシュ……ってスマホ忘れてた!

 急いでスマホをバッグに突っ込むと、部屋のチャイムが鳴った。荷物を持って玄関のドアを開ける。

「おはようございます。準備は大丈夫ですか?」

「もちろん!」

 いざ行こう。一泊二日、オタクという牙をもがれた私の未開の地恋人同士で普通の旅行へ。


 アパートを出ると斗真君が手を差し出した。

「荷物持ちますよ」

「いやいやいや! 腕折れちゃうよ!」

 可憐な斗真君に傷をつけるわけにはいかない。

「僕はそんなに非力じゃないです」

 そう言って斗真君は私からボストンバッグを取り上げた。

「ああっ!」

「このくらいなら余裕です。それにしても、荷物多いんですね。僕はこれだけです」

 斗真君は自分のリュックに視線を向けた。

「それは、まあ……いろいろな事態を想定してというか……」

 着替え、化粧ポーチなんかはもちろん、折りたたみ傘、着替え(2着目)、予備のスニーカーまで入っている。

「じゃあ、もしもの時は頼りにしてますね」

 そう言って斗真君が微笑むから、

「ぐぅっ!」

「どうしたんですか、菜々子さん!」

「か、可愛すぎて……!」

「……菜々子さんらしいです」

 斗真君は少し笑って言った。

 あーダメダメ! 私達は恋人同士になったんだから、オタク的思考は禁止して、恋人らしい普通のデートを……普通ってどうすればいいの?

 え? え!? デートってどんな感じだったっけ!? 前の彼氏は高校3年の時だけど、お互い受験勉強忙しくてろくにデートもしないまま自然消滅して、大学は女友達と遊ぶのとオタ活が楽しすぎて、付き合うとかそんなんなかったもんなぁ。ちゃんとデートした記憶あるのは中学3年生の……ってヤバくない!?

「菜々子さん?」

「は、はい!」

「このバスに乗りますよ」

 気づけばバス停の前についていた。まもなくバスが来て、私達は乗り込んだ。

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