第10話 非有名観光地特捜班

 次の日曜日。


 結衣と京介は初秋の飛鳥山公園を歩いていた。『事件』のことを整理したいと言って、結衣が京介を飛鳥山公園に誘ったのだ。『事件』の犯人は『喫茶ゲーテ』のマスターだったので、さすがに、いつもの『喫茶ゲーテ』に行くわけにはいかなかった。


 飛鳥山あすかやま公園は、東京都北区にある区立公園だ。JR王子駅南口より徒歩1分の立地にある。総面積73,000平方メートルの敷地に600本を超える桜が植えられており、都内有数の桜の名所としても有名だ。実はここが桜の名所になったのには、八代将軍徳川吉宗が関係している。吉宗が享保の改革を行った際に、行楽の地とするため飛鳥山に桜を植えたのだ。さらに、飛鳥山では、幕府により禁止されていた花見の酒宴や仮装が許可されていたため、江戸の庶民は花見とともにこれらを楽しんだといわれている。明治6年には飛鳥山が、上野、芝、浅草、深川とともに、我が国で最初の都市公園に認定された。園内には飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館、飛鳥舞台等の博物館や資料館などが多数設置されている。石碑・銅像も散歩道に多数置かれていて、入園者を楽しませていた。


 結衣と京介は公園内をゆっくり歩いて、飛鳥舞台の観客席に並んで座った。飛鳥舞台は屋外にある能舞台だ。今は何も上演されていないので、観客席にいるのは結衣と京介の二人だけだった。


 日曜日の午前中であり、公園内はまだ人影はまばらだった。秋晴れの陽が前方の舞台に暖かく降りそそいでいる。これ以上ないくらいの良い天気だった。


 結衣が持ってきた水筒からコーヒーを紙コップについで京介に渡した。そして、自分のコーヒーも水筒からついで、一口飲むとおもむろに話しだした。


  「ここで鏑木君ともう一度今回の事件を整理してみたいの。こうやって、二人で事件を整理するのは、もう何回目だろうね?」


 結衣が明るく笑った。「鏑木君」が「京介君」になるのはいつだろうか? そんなことを考えながら、京介は夢見心地で結衣の話を聞いている。


 「さて、いつものように今回の事件を整理してみましょう。まず事実を列挙してみるわね。

 〔事実1〕犯人は吸血鬼の格好をしている

 〔事実2〕過去2年、通行人はゲーテの小径で襲われた

 〔事実3〕今年、鏑木君は東京ゲーテ記念館の前で襲われた

 〔事実4〕犯行はゲーテの誕生日に行われている

 〔事実5〕犯人は鏑木君に『コリントの花嫁』というメッセージを渡した

 〔事実6〕犯人は昼間に出没している 

 どう、鏑木君。ここまではいい?」


 相変わらず、結衣の頭脳は明晰だ。京介は感心する。


 「うん。山瀬さんの言うとおりです」


 「では、これらの事実からどう推理を展開するかなんだけど・・・実は鏑木君は、ここで大きな間違いに陥ったのよ」


 「えっ、ぼ、僕が?・・・どういうことですか?」


 「いい? 〔事実1〕は『吸血鬼』を示唆しているわよね。そして、〔事実2〕から〔事実4〕は『ゲーテ』を示唆しているわ。そして、〔事実5〕は『コリントの花嫁』のことを言っている。・・・つまり、〔事実1〕から〔事実4〕は吸血鬼に関することと、ゲーテに関することに分けられるわね。そして、両者は、ゲーテと吸血鬼の両方に関連する、〔事実5〕の『コリントの花嫁』でつながっているのよ」


 「そ、そうですね」


 京介は頭の中で相互関係を整理しながら答えた。


 「それでね、鏑木君の犯した間違いというのは、うっかりと、これらはゲーテに関することが主体で、それに吸血鬼に関することが付随していると考えてしまったことなの。つまりね、ゲーテの小径や東京ゲーテ記念館は実在しているものでしょう。だから、どうしても『ゲーテ』が『吸血鬼』より具体的にイメージしやすい存在になったのよ。つまり、無意識に〔事実2〕から〔事実4〕が主体的な事象で、〔事実1〕は従属的な事象だと勝手に思い込んでしまったのよ。そのために、鏑木君は、この事件では『ゲーテ』が『吸血鬼』よりメインの存在だと無意識のうちに勘違いしてしまったわけなの。


 そうなると、〔事実5〕の、紙に書かれた『コリントの花嫁』の解釈が違ってくるのよ。・・・ここで、紙に書かれた『コリントの花嫁』が意味するものは何かと考えたときに、ゲーテに関することがメインという先入観念から、吸血鬼を連想せずに、ゲーテやゲーテの文学作品の中身を連想してしまったわけなの。つまり、ゲーテの文学作品の中身というのは『娘が殺されて土に埋められた』、つまり、『誰かの死体が埋められている』という話になるのね。


 それで、鏑木君は、紙に書かれた『コリントの花嫁』から、犯人の狙いは『誰かの死体が埋められている』ことをアピールすることにあると考えてしまったの。その結果、『東京ゲーテ記念館の周りに死体が埋まっている』という結論がで出てきてしまったわけなのよ。・・・だけど、この結論では、この前、私が鏑木君に言ったように、〔事実4〕の『犯行はゲーテの誕生日にだけ行われている』理由と、〔事実6〕の『犯人は昼間に出没している』理由が説明できないわけよね」


 京介は両手を広げて、思わず天を仰いだ。


 「ああ、そうだったのか・・・」


 結衣はそんな京介の大仰な仕草を見てクスリと笑うと、言葉を続けた。


 「実はこれは逆だったのよ。つまり、これらは〔事実1〕の吸血鬼に関することが主体で、それに〔事実2〕から〔事実4〕のゲーテに関することがおまけとして付随していると考えなければいけなかったわけ。


 吸血鬼に関することが主体として考えると、紙に書かれた『コリントの花嫁』が意味するものは、ゲーテの文学作品の中身ではなくて、単純に吸血鬼そのものの存在ということになるのよ。・・・ということは、〔事実1〕が吸血鬼をアピールしていて、〔事実2〕から〔事実4〕までが、その吸血鬼に付随したもので、〔事実5〕も吸血鬼を主張している・・・ということになるわけなの。このように考えると、さっきとまるで違った解釈が出てくるのよ。つまりね、〔事実1〕から〔事実5〕までの、すべての事象は『犯行を行ったのは吸血鬼だ』ということをアピールしたかったものだとなるのよ」


 京介は黙って結衣の話を聞いていた。このような発想はいままでにしたことがなかった。結衣の話でまさに目からウロコが落ちる思いだ。


 「では、次に『犯人が犯行を行ったのは吸血鬼だということをアピールする理由は何か?』ということになるわよね。


 こう考えると、〔事実6〕から導かれる疑問、つまり『犯人がわざわざ吸血鬼に一番ふさわしくない白昼に犯行を行っているのはなぜなのか?』という疑問が俄然活きてくるのよ。つまり、『犯行を行ったのは吸血鬼だ』ということをアピールしながら、その一方で、犯人は吸血鬼に一番ふさわしくない白昼に犯行を行っているのよ。・・・こう考えると、答えは一つしかないの。つまり、犯人は吸血鬼が犯行を行ったということを、白昼、みんなに見せたかったのよ」


 京介は思わず結衣の顔を凝視した。


 「あっ、そうか。つまり犯人は、吸血鬼が犯人だということをみんなに見せるために、わざわざ白昼を選んで犯行を行ったということになるんですね。つまり、夜では暗くて犯人が吸血鬼の扮装をしていることが分からないから、犯行は白昼でないといけなかったわけですね」


 京介は頭の中を整理しながら、結衣の言ったことを繰り返す。


 「鏑木君。その通りなの。じゃあ次は、吸血鬼が犯人だということをみんなに見せて、犯人が得することはいったい何だろうという疑問になるわけなのよ。ここで、犯人が鏑木君のポケットに入れた『コリントの花嫁』という紙が出てくるのよ」


 「えっ、あの紙が?・・・あれがどう繋がるんですか?」


 「よく思い出してほしいの。あの紙には『コリントの花嫁』という文字のほかに、右下に子犬のイラストが描かれていたでしょう」


 「子犬・・・そうだ。確かに子犬のイラストがありました・・・」


 「思い出してくれたようね。子犬のイラストは印刷してあったわけだから、私はこの紙は何か商売に使われていたのじゃないかって思ったの。それでね、インターネットでその子犬を調べてみたの」


 「それで、何か分かったんですか?」


 京介が先を促す。


 「ええ、あの子犬は、北区の東十条銀座商店街のキャラクターの『ラブちゃん』なの。ラブちゃんは、ラブラドール犬なのよ。ラブラドール犬なので、『ラブちゃん』ね。


 それで、東十条銀座商店街で『吸血鬼をみんなに見せる』ことに関係するものを調べてみたのよ。そうしたら、数年前まで、あの『写真館 十条屋』というお店が、ハロウィンの衣装をインターネットで販売していたことが分かったの。東十条銀座商店街のお祭りである『ハッピーハロウィン東十条』のときは、全面的に仮装衣装を商店街に提供していたのね。あのお店では、特に吸血鬼の衣装が独特で人気があったらしいわ。それで、事前に電話だけ入れておいて、鏑木君と訪問してみたというわけなのよ。あとは、鏑木君も見た通りよ」


 「ああ、それで、東十条銀座商店街の『写真館 十条屋』に繋がったわけですね・・・」


 そこで京介は一度、口をつぐんだ。そして、一番気になっていたことをゆっくりとした口調で結衣に聞いた。


 「でも、『喫茶ゲーテ』のマスターはあれで良かったのでしょうか? なんだか僕たちは犯罪を見逃したって気もするんですけど?」


 結衣も我が意を得たりというように、京介を見ながらうなずいた。


 「いろんな考え方があると思うわ。私も自分のやったことが絶対に正しいという自信はないのよ。・・・でもね、私はこう思うの。あのマスターがもし悪い人だったら、今後も吸血鬼事件を引き起こすと思うの。そうしたら、自然にそれにふさわしい罰が下されるんじゃないかしら。


 私たちは神様ではないし、裁判官でもないわけでしょう。そんな私たちが人を裁くなんてことはするべきではないと思うのよ。それは神の仕事じゃないかしら。・・・でも、あのマスターは悪い人には見えなかったけどね。もう何もしないと思うよ」


 「うん。僕にも、悪い人には見えませんでいた。僕もマスターはもういたずらはしないと思います。・・・しかし、山瀬さんの推理力と洞察力はすごいねえ。まるで、小説家のようです。新聞記者をやめても、小説家になって充分に生活していけますよ」


 結衣は少し宙を見るような目つきをして・・・そして笑った。


 「ウフフ。小説家ね。いいわねえ。・・・実はね、鏑木君。今回の事件は新聞には載せないけれど、私は事件のことを、一応、編集長に報告したのよ。するとね、編集長が、今回のように特別有名ではない観光地に残っている都市伝説や謎を追ってみたら、面白いことが出てくるかもしれないって言い出したのよ。それでね、今度、試行として、社内で非有名観光地の不思議を探る特捜班を造ることになったのよ。私が班長で・・・鏑木君、あなたが班員なの。二人だけの特捜班だけどね」


 「えっ、そうなんですか? そ、そんなの、ちっとも知りませんでした」


 「特捜班のことは、社内に明日発表される予定なのよ。だから、あなたが知らないのも当然よ。・・・もっとも、特捜班っていっても・・・私たちは専任じゃなくて、今まで通りの仕事をしながら、今回のように、もし何か見つかったら、そのときに初めて特捜班として動き出すことになるのよ」


 京介の顔が輝いた。


 「す、すると、僕はこれからも山瀬さんと一緒に仕事が出来るんですね?」


 「そうなの。・・・でもねぇ。また鏑木君がどこかを掘り始めたら、困っちゃうわよねぇ。・・・『♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪』って唄いながらねぇ」


 結衣が京介のあのときの不気味な唄を真似るように口ずさむ。


 「そ、そんなあ。もう、どこも掘ったりしません。だから、もう許してください。お願いです」


 あわてる京介の顔を、再びはじけるような結衣の笑顔がのぞき込んだ。飛鳥舞台の観客席に並んで騒ぐ二人を公園の通行人が不思議そうに振り返って歩いていく。


 初秋の陽が、そんな二人をやさしく照らしていた。結衣が京介のことを、「鏑木君」ではなく「京介君」と呼ぶ日はあんがい近いのかもしれない。


            (エピソード1 ゲーテの小径と吸血鬼の謎 了)

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