第2話
「いやはや、こんな豪華な夕食を頂けるなんて、さすがオーリエ伯爵です」
ハイディガーは、笑みを浮かべた表情で夕食に舌鼓を打っていた。
オーリエ伯爵はご機嫌な青年の顔を見ると、満足したように大声を上げた。
「わっはっは、そうかそうか。最近、贔屓にしている商業ギルドがおってな、なかなか品質の高い食材を扱っておるんだ。ほれ、このトマトを食べてみなさい」
そう言うと、伯爵はハイディガーに、トマトが盛られたお皿を目の前に差し出す。
ハイディガーはそのお皿を受け取りニッコリすると、私の目の前にその皿をよこしてきた。
「いえいえ、伯爵様。これから、この護衛の方達に頑張って頂かなければいけませんから、この子達にいっぱい食べて貰わないと」
「おおう、そうだったな、ほら!君達も遠慮せず、食え、食え!」
目の前に掲げられた皿で、胸を軽くどつかれる。
そして、ハイディガーの笑顔で開かない目がこちらの耳横に近寄る。
「私はトマトが嫌いなんだ。君が全部処理しろ」
「は、はひ!」
ハイディガーからかっ攫う様にトマトが盛りつけられた皿を奪い取り、一気にトマトを口の中へ掻き込む。
「おいおい、そんなにお腹が減っていたのかね。食事はまだまだいっぱい用意してあるから、慌てなくて良いんだよ」
「あやめさんは、さっきからお腹の虫がずっとなっていましたからね~。はい、このお皿もどうぞ」
「ありがとうございます~。お腹ペコペコでもう…、ありがとうございます…」
ハイディガーから私に、トマトが盛りつけられた皿が次から次へと差し出される。
邪悪な笑みを浮かべる青年によって勝手に腹ペコキャラにされた私は、一生分かと思えるほどのトマトを食べる事になるのだった。
「それで、ハイディガー君。いつ出立する予定なんだね。魔獣の討伐は早いに越した事はない」
夕食が一通り片付けられていくと、オーリエ伯爵が改まった口調でハイディガーに問いかけた。
「ええ、分かっております。目的地までも時間が掛かりますからね。もう3日程準備しましたら、出発する予定です」
「そうか、3日後か。ま、何か必要なものがあれば、
「ありがとうござます」
青年はわざわざ椅子から立ってお辞儀をすると、その甘いマスクでオーリエ伯爵に誠実さを植え付けた。
食事を行った部屋から出ると、私は胃袋に詰め込んだトマトが食道から逆流するのを堪えながら、ハイディガーの後ろについて行く。一応、既に護衛任務は始まっているからだ。
私の後ろに、ユナイトが隠れる様に身を縮めながら着いてくる。
夕食でハイディガーが私に嫌がらせを行ったのは、先ほど彼の自室で行われた尋問とも呼べるような問いかけに、私が反抗したからだろう。
それは私達があの時に、幻想が砕け散ってしまった後、恐怖して言葉を発する事が出来ない私達に満足したのか、対象をユナイトに絞り込んで言葉を掛けてきた事が発端だった。
「おい、
沈黙の中で、突然呼ばれたユナイトは”ビクビクッ”と背筋を伸ばして硬直する。
「ひゃ、ほは、ひはあ、ひぇ、…ン、あ、ああ、なんへ…」
ユナイトは混乱して目の前が暗くなっていく。
「もういい、娘。お前は邪魔だ。今すぐ消えろ」
ユナイトから力が抜けていき、後ろにバランスが崩れる。
それに気づいた私は、術式を展開し瞬時に彼女をその空間に固定した後に強く抱き寄せた。
「ハイディガー様、ユナイトは今はこんな状態ですけれど、今回の護衛に必要な人物です。どうか今のお言葉を撤回して下さい」
ハイディガーの鋭い光を見つめる。
沈黙の時が流れた。
「…お前がリーダーだったよな。じゃあお前がメンバーを選んだって事でいいか?」
「はい、私が総合的な判断をしてメンバーを選びました」
「そうか、じゃあお前がそいつのフードを脱がせろ。お前の責任でな」
ハイディガーが冷たく言い放つ。
彼の言う事はもっともだ。護衛対象に顔を見せないなど前代未聞である。
しかし、今現在において彼女のフードを脱がせる訳にはいかなかった。
「申し訳ありません、ハイディガー様。ですが、ユナイトのフードは脱がせられないのです」
「ほう、どうしてだ」
ハイディガーの興が乗った言葉が放たれる。
「呪いをかけられているのです」
簡潔にシンプルな言葉を吐き出した。
再度、薄暗い空間の中に沈黙が流れる。
「…で、その呪われた娘が役に立つというのか、お前は」
鋭い光が、ユナイトから私に揺らぎを向ける。
「はい、恐らく…この中で群を抜く程に」
ハイディガーとの視線上に”ボワボワ”とした異質で邪悪な雰囲気が漂った。
彼はその身をソファーに深く預けると、深くため息を付きあっさりと言葉を吐いた。
「そうか、ならいい」
ハイディガーはそう言うと、力尽きたかのように天井を見上げたまま動かなくなった。そしてまた、沈黙が訪れる。
「あ、あのー…私達どうしたら宜しいでしょうか」
沈黙に耐え切れなくなったバーナムが、律儀に手を上げて声を発する。
「
「はい、ハイディガー様」
「案内してやれ」
「はい、ハイディガー様」
そう言うと、一羽は腕に抱えたハイディガーの服を腕に掛けたまま、扉を開いて私達の退室を促してきた。
私達は、出来るだけ慎重に足音を立てないよう扉まで歩いて行き、廊下に出て扉が閉まると同時に全員が大きなため息を漏らした。
「あやめさん聞いてないですよこんなのーー!!!」
小柄な体格のヘルツが抗議の言葉を小声で送ってくる。
「わ、私だって知りません!!護衛対象がこんな腹黒アルカイック野郎だなんて!!」
と小声で応対する。
「おい。メイドがいるぞ」
指摘したガドー以外の4人が、一斉に一羽へ視線を向ける。
一羽の顔は、その美しさを保ったまま無表情に廊下の奥を見つめている。
「私に気を使わなくても結構です。告げ口など致しませんし、する必要性もありません」
そう言うと、一羽は私達の横をすり抜けて前を歩いて行った。
…そして今に至る。
一行はハイディガーの後ろについたまま、あの忌まわしく薄暗い部屋で再度その部屋の主である青年と対峙しているのであった。
「おい、この館での俺の警備はどうする予定だ」
突然の振りに多少動揺したが、夕食前に一羽に館内を案内された時に想定した事を口に出した。
「はい、ハイディガー様の部屋は角部屋となっておりますので、その隣の部屋に私達から一人選んで待機させて頂きます。ここに滞在している間は、交代で見張りを行う予定です。護衛の本番はこの館を出てからだと思いますので、ここでそんなに厳重な警備は必要ないと思っております」
自信たっぷりに警備計画を口に出す。
しかし、ハイディガーからお褒めの言葉など出ては来なかった。
「甘いな。お前は何も分かっていない」
ハイディガーが言葉を吐き捨てる。
「お前は、この道中で何が一番危険だと思っている」
自身で考えた予定がいとも容易く跳ね除けられたショックを飲み込んで、思考を回転させる。
「道中の魔物や盗賊なのではないのでしょうか…」
「阿保か!」
ハイディガーの低く唸るような怒声が私に向けられる。
「そんな薄汚い奴らはどうという事は無い。いいかお前ら、なんでお前らのような未熟なガキが集められたと思う」
「まともな奴は受けないんだよこの依頼をな。お前達はギルドの長に見捨てられたんだよ」
害のある言葉を正面から受け止めないよう、言葉を変換して頭で復唱する。
「いいか。人間は薄汚い。盗賊なんてかわいいもんだ。この世には魔獣による人間への虐殺を望む奴らだっている。そして、今回俺を狙ってくるのは、そのイカレタ野郎どもだ」
”ガッシャ―――ン”
ハイディガーが言葉を言い終わる時を狙ったかのように、唯一の窓が割れその元凶となる四角い物体の角から煙が噴射された。
煙は徐々に部屋を満し、視界と呼吸を阻害する。
「駄目だ!扉がビクともしねぇ!!」
ガドーが叫ぶ。
「皆!息を吸って!ハイディガー様も!!」
煙がどのような成分で出来ているかわからない以上、体に取り込むわけにはいかない。
だが、ハイディガーは嘲笑うようにこちらに言葉を返してきた。
「さあて、お手並み拝見としますか」
彼はソファーに寝転ぶと、近くに伏せてあった本に手を伸ばし黙読を始めた。
ハイディガーの挑発に何故か”ニヤァ”と口角が上がってしまう自分を感じる。
体全体の高揚を抑えて、状況を瞬時に観察する。
「扉は壊せない、そして、壊れた窓から風が入ってくる様子もないという事は…、結界ね」
そう呟くとあやめは、床に術式を展開し叫んだ。
「皆さん、この術式の上に乗って下さい!」
あやめの声を聴いた一行は、飛び込むようにして術式の上に乗り込んだ。
「一羽さんも、早く!」
棒立ちしたままの一羽に手を伸ばすと強引に引っ張って術式の上に乗せた。
「俺はいいのか?」
ソファーに座ったままのハイディガーがあやめに問いかける。
そしてあやめは言い放った。
「あんたはそこに居なさい!ばーか!」
ハイディガーを除く一行は、あやめの捨て台詞と共に消え去った。
そして…
「ふざけるなあああぁぁああ!!!!!!!」
取り残されたハイディガーは、その怒りを爆発させて咆哮した。
そして、部屋中を満たそうとするそのガスがハイディガーを包み込もうとした瞬間、彼のソファーの下に術式が現れ、彼の体はソファーごとその姿を消した。
そして一行は、埃まみれの部屋に転移していた。
「あやめ様!ハイディガー様が残っています!!」
一羽は冷静さを失った口調で、あやめに詰め寄る。
「ケホケホッ。大丈夫ですよ、ちょっとお仕置きしただけですから」
あやめは一羽に”グラグラ”と頭を揺すられていると、天井に術式が展開されてそこからソファーに乗ったハイディガーが落ちて来た。
「ぐふうぼぉ!!」
ハイディガーから夕食が全て台無しになる様な何かが噴出した音が聞こえる。
「き、貴様、どういうつもりだ…」
ソファーからよろめきながら這い上がるように立上り、彼はあやめに恨みの籠った言葉を吐きつける。
しかし、その言葉を吹き飛ばすかのような怒りの声があやめから解き放たれる。
「それは、こっちのセリフです!!」
あやめはハイディガーを”ビシッ”と指さし宣言した。
「私が護衛リーダーです!よって、貴方も私の指示に従ってもらいます!」
二人の交差する視線が、”バチバチ”と音を鳴らすのを合図にハイディガーの護衛が始まるのであった。
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