第87話 夏の午後のひと時
ところ変わって、こちらは神川ゴルフ練習場。
この時間、受付には午後から出勤の渡会海未がいて、打席側を見ると陸斗が新しいクラブを手に練習していた。
時々、ゴルフクラブを置いては額の汗をぬぐい、柱に掛けられた扇風機で涼をとる。ほとんど熱風のような状態ではあるが、無いよりはましだ。
「今日も暑いな」
用意してあったペットボトルの水を手に取り、ゴクゴクと一気に飲み干した。
冷水ではなく常温の水であったが、それでも美味しく感じられるのは、この暑さのせいだろう。
他の打席を見てもお客さんの姿は無く、みな日中の暑さが和らぐのを待っているのだ。
そこへ、昼休憩を終えた美里が、冷たいアイスを持って差し入れに来た。
「うふふ、りっくん、頑張っているわね」
「あ、ミサトおばさん、ありがとう」
「どういたしまして。でも、熱中症になったら危険だから、無理しちゃだめよ」
「うん、気をつけるよ」
陸斗は椅子に座り、さっそく受け取ったカップアイスの蓋を開け、プラスチックのスプーンで掬い取ろうとするが、まだ固まっていて全く歯が立ちそうになかった。
「あら、金属のスプーンが良かったかしら?」
「ううん、ちょっと待っていれば、すぐに溶けるから大丈夫。それよりも、シホねえちゃんからは、なにか連絡来た?」
少し残念ではあるが、目の前のアイスは待っていれば溶ける。
なので、手持無沙汰となった陸斗は、気になっていることを美里に聞いてみた。
「そうね、まだ何も連絡はないわ。でも、ルリちゃんなら大丈夫よ。むしろ、これからが大変ね。雑誌社や新聞社からの取材がここにも来るだろうし、今週は兄さんがいるからいいけど、来週だったら神奈川県で男子ツアーの競技があるし、私だけじゃ困っていたわね。
あっ、りっくん、そろそろいいみたいよ」
そう話す美里は、大会の様子が気になる陸斗と違って、その後のことを心配していた。
ただ、今週は男子ツアーの予定が無く、兄も家にいることから安心しているようだ。
「冷た! でも、美味しい」
「うふふ、あまり急いで食べると、頭がキーンとするわよ」
ズキッ
「うっ……」
「ほら、今言ったばかりじゃない」
「うん、気をつけているつもりだったんだけど……」
それでも、すぐに痛みは治まり、再びすくっては口へ運ぶ。
「でも、美味しい」
「うふふ、こう暑いとしかたないわよね」
夢中になってアイスを食べる甥っ子の姿を眺め、美里は楽しそうに微笑んだ。
遠い空の下では可愛い娘が戦っており、心配ではあるけど、彼女にとってはどうでもいいこと。
「ふぅ、美味しかった」
陸斗は食べ終わったアイスのカップを片付けようと立ち上がるが、それを美里が受け取る。
「片付けは私がするから、いいわよ」
「ありがとう」
「じゃあ、練習頑張ってね」
「うん」
ただ、そうして美里が立ち去ろうとすると、今度は佳斗がこちらへ歩いて来た。
「あら、兄さん。どうしたの?」
「ああ、美里。こっちに居たんだね。今、雑誌記者の方から連絡があって、取材をしたいそうだ。それで、この後の予定はどうなっているかなって思ってね」
それは美里の予想通りの結果であった。
「じゃあ、やっぱり。ルリちゃんが派手にやったのね」
「まあ、そうみたいだね。今日一日で7アンダーの65で周ってきたそうだ。
「へえ~、じゃあ、その記者さん。岐阜からここまで戻ってくるの?」
「ああ……、けど、そのあとすぐにまた戻るみたいだからね。彼が来たらすぐに対応できるようにしておきたいんだ」
「そうね、わかったわ。とりあえず対応を決めておきましょうか」
「うん、そうしてくれると助かるよ」
その会話を近くで聞いていた陸斗は、喜びを噛みしめる。
ずっと一緒に練習してきた瑠利が、最高のスタートを切ったのだから嬉しくないはずがない。
「すごい、すごいよ、ルリねえちゃん」
「うふふ、そうね。でも、これはまだまだ始まりよ。今後はもっと大きな騒ぎになっていくはずだから、りっくんは目標を見失わないようにしなくちゃね」
「うん、僕だって負けないよ」
「そうそう、その意気ね」
「ははは、だったらまずは体力作りだね。飯をいっぱい食べて体を大きくしなきゃいけないな」
「わかった。ご飯をいっぱい食べて、うんと体を大きくするよ」
「うふふ、そうね。なら、私も協力するわ」
「やったー。ありがとう」
そうした穏やかな午後の時間。
瑠利の活躍に歓喜し、新たな目標を定めた陸斗であったが、ここで詩穂からのメールが届く。
「あら、詩穂からだわ」
「どうかしたの?」
「そうね、ルリちゃんの結果はさっき聞いた通りだけど、その貯金をカエデが全部使っちゃったんだって。どうやら借金まであるみたいね」
「ええっ」
詩穂から送られてきたメールの内容を聞いて、そう驚く陸斗。
どうやらカエデがやらかしたらしく、春乃坂学園ゴルフ部のピンチであった。
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