第75話 姉の思い

 話は、スタートホールまで遡る。


 1番ホールのティーグラウンド上で、二組目が瑠利の二打目セカンドショットを待っていた時のことだ。


 ゴルフでのティーショットは、基本的に前の組が二打目を打ってから。

 理由は打ち込む恐れがあるからで、たとえ届かないとしても、二打目を打つ時に近くでボールの落下音が聞こえれば、それがミスに繋がりかねない。

 そのために敢えて待つのであるが、注目すべきはその二打目。

 皆、アレが届くのかどうか、気になるのだ。


「残りはどれくらい?」


「たぶん230くらいだと思うけど」


「じゃあ、3Wで届くかどうかね」


「えっ、でも、ちょっと待って。あのクラブ、ヘッドが小さくない?」


「あっ、ほんとだ。そうかも」


「ええええっ、あそこまで飛ばして、刻むの?」 


 それは、双眼鏡を手にした者たちの会話だった。


 ここには二組目と三組目の選手のほかに、各学校ごとのゴルフ部員や保護者の一部も代表選手のプレーを見ようと集まっている。 

 中には偵察を目的とした生徒もいるが、純粋に楽しんでいる者もいるようだ。


「まあ、届かないんじゃ、無理するよりも刻んで三打目勝負で正解かもね」


「そう? 私なら狙っちゃうわ」


「でも、これは団体戦だから」


 そんな会話が聞こえてくる中、正確な情報を持つものがポツリと呟く。


「あ、やっぱり5Wか。昨日オーバーしたから仕方ないかな」


「「「「えっ?」」」」


 これは、もちろんカエデだ。


 周りの反応に気をよくした彼女は、ついうっかり「昨日の練習ラウンドで、3Wじゃグリーン奥のバンカーまで行っちゃってね」などと、余計なことまで喋ってしまう。


 ただ、そこで彼女の頭にゴツンと拳骨が落ちてきた。


「コラァ、うちの情報を勝手に漏らさない」


「イタタッ……、う……、お姉ちゃん……」


 叩かれた頭を押さえながらカエデが振り向くと、そこにいたのは保護者として付いてきた詩穂である。


「ひどいよ……、一年生の方を見に行ったんじゃないの?」


「いいえ、酷いのはあなた。あの子たちが、あなたの方が心配だから、そっちに行ってあげてっていうから見に来たけど、案の定ね」


「うぐっ……」


 そう、ここには偵察目的の生徒もいるというのに、仲間の情報を漏らすなんてとご立腹。

 

 ただ、彼女にも言い分はあるようだ。


「だって、鶴都学園の子にルリがバカにされてたから、見返したくて」


「ええ、それも聞いたわ。でもね、あの子はそんな事で動じるような玉じゃないでしょう。あなただって同じことして、返り討ちにあったじゃない」


「う……、それ今言わなくても……」


 姉の言葉で周りからもクスクス笑いが起き、更に恥ずかしさが増すカエデ。


 結果的に情報を追加したことになるが、今更である。


 瑠利の第二打は、見事グリーンにオン。


「うそっ、乗った」


「えっ、届いたの?」


「5Wでしょう」


「すごすぎ」


 その会話が広がるやいなや「続きまして、二組目のスタートです」と、アナウンスが流れる。

 これからスタートする選手たちは、このムードの中で打たなければならないのだ。


 緊張の走る中、二組目の選手たちも無事にティーショットを終え、スタートしていく。


 そして三組目、カエデの出番である。


「うちはあなた次第なんだから、頑張るのよ」


「うん。じゃあ、お姉ちゃん、行ってくるね」


 心配する姉に手を振り、集合場所へ向かうカエデ。

 彼女もまた、自分の役割をわかっていた。


「ルリの作った貯金を、少しでも残せるように頑張らなきゃ」


 それは誰にも聞こえないような呟きだが、彼女の覚悟の表れでもある。


「続きまして、三組目1人目は、春乃坂学園。夏目カエデ選手。ティーショットを始めて下さい」


 アナウンスが流れ、いざスタート。


 ここでカエデの放ったショットはフェアウェイ右の220ヤード。

 それを二打目で残り80ヤードにつけた第三打。PWで放った彼女のボールはグリーンセンターにオン。そして、そのままスルスルと転がり、ピンそば1メートルのバーディーチャンスへつけると、それを決めての幸先のいいスタートとなった。


 スタートホールでその様子を見ていた観戦者たちは、驚きまじりの感想を漏らす。


「すごいわ、あの子もバーディースタートって、今年の春乃坂学園はどうなってるのよ」


「やっぱ、最初の子の影響かしら」


「要注意ね、春乃坂学園」


「わたし、主将キャプテンに知らせてくる!」


 と、二人続けてのバーディーにティーグラウンドが騒然とする中、詩穂だけは違った感想を抱いていた。


「バーディースタートって、あの子、大丈夫かしら……」


 それは、ある意味真実だ。

 ゴルフはメンタルスポーツと呼ばれるように、ちょっとした気持ちの変化でプレーが変わる。

 これまで優勝争いをしていた選手が、それを意識した途端にボールが曲がり始めるなんてことはザラで、プレッシャーとどう向き合っていくかが勝負のカギとなる。


 そう言った意味では、これまでカエデにバーディー発進の経験はないのだ。

 最初はよくても、じわりじわりと魔の手は押し寄せてくる。


「まあ、カエデのことだから、自分でどうにかするでしょう。なんてったって、ルリちゃんの影響を一番受けているのが、あの子だからね」


 詩穂は二番ホールへ消えていく妹を見送ると、ティーグランドを後にした。

 次は七組目に佐子田佳奈美が控えているけど、彼女はまだパッティング練習場だ。


「さてと、あとはルリちゃんが、どれくらいで周ってくるかなのよね。本人は優勝する気だから、私たちも覚悟を決めなきゃいけないわ。みんな、頼んだわよ」


 その呟きは誰に伝わるものでもないが、詩穂は二番ホールのある方向へ視線を向けた。


 この大会は、瑠利の大事なデビュー戦。

 それを、仲間たちが足を引っ張ることなど無いようにと、願っているのだ。


「ほんと、あの子次第なのよね……」


 カエデは、そんな姉の思いを受けて、奮闘するのだった。

 

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